相手を見るということは自分を観るということ。自分の背中は見れない(≒自分自身を完全に観れない)。そのもどかしさを『蹴りたい』。こんな妄想が当たっているとは思えませんが、「蹴りたい背中」というタイトルは秀逸ではないかと思いました。
気の向くままに乱読(濫読)。乱読(濫読)によるケミストリー(化学反応)を楽しんでいます。
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相手を見るということは自分を観るということ。自分の背中は見れない(≒自分自身を完全に観れない)。そのもどかしさを『蹴りたい』。こんな妄想が当たっているとは思えませんが、「蹴りたい背中」というタイトルは秀逸ではないかと思いました。