
皆様、先月もお付き合いいただきありがとうございました。今月もどうぞよろしくお願いします。☆2025年7月の読書メーター 読んだ本の数:123冊 読んだページ数:14698ページ ナイス数:51546ナイス ★先月に読んだ本一覧はこちら→ https://bookmeter.com/users/157091/summary/monthly/2025/7
カリブ海なんですね。暑くてもうどこも行きたくないと旅の予定も立てずに過ぎた夏ですが、どこか行きたい気持ちが湧いてきました。レビューもいつも楽しみに拝読しています。素敵な写真に感謝です♪
何年間も掃除せずに、大酒飲んで書いてたんですよね。ちょっと常人ではないんだろう。現代人だと、態々、抵抗力落として不潔な生活を送っていたら病気になるじゃん。アホなのか?と言われそうだが。でも書いてるものは鋭い指摘が的を得ているし、頭脳明晰な主人公も登場する。なんじゃそりゃと。不思議な作家だよなあ。まあ、変人具合が好きな人も多いから現代でもファンが多いんでしょうね。
⇒装ったのも、このためであったと思われる。おそらく、この劇は脚本を読むよりは、ライブな舞台で見ることを想定しているし、脚本からは十分に面白さが伝わらない部分もあるだろう。
⇒ロンシャン礼拝堂とではまったく異質の空間性を備えており、ではモダニズムとは何なのか、とその多様性に新たに向き合うのである。そんな安藤忠雄自身の住宅建築の原点となったのが、かの有名な「住吉の長屋」である。これ以降、彼は様々な住宅建築の設計を手がけるが、それらをトータルに見るならば、安藤忠雄様式とでも呼ぶべきスタイルがあることが了解される。そして、それこそが独学で建築を学んだ成果だろう。
ヴェネツィアさん 今「南京事件 新版」を読んでいます。先般女性ジャーナリストが南京大虐殺はなかったと言っています。著者はこのあった、なかったの論争はすでに終わっている。と書かれていました。今頃このジャーナリストは何を言っているのか強く憤りを感じました。
⇒惹かれたままにである。ほんとうにいい小説だった。あるいは、江國香織では最高かも知れない。なお、タイトルの意味は最後まで不明であった。また、このタイトルにはいささか不満である。
タイトルのは、作中の童謡「雨降りお月さん」に由来するのだろうし、人の死は最後は孤独でしかないということなのだろうが、このタイトルでは軽すぎるかな。あるいは、この軽みこそが江國香織の真情か。
⇒グレタ・ガルボなんかに、まさにピッタリのドレスである。巻末にスキャパレリの「12の掟」というのがある。1. たいていの女性は自分自身をわかっていない。わかろうとすべきである。…4.覚えておくこと:世の女性の20%は劣等感を抱え、70%は幻想を抱いている。等々。
⇒というよりは、全体がそんな部分ばかりが集まってできているのである。彼の建築が「住むことができる彫刻」と評されるのも納得である。室内空間は、カリフォルニアらしく限りなく明るい。ベッドルームまでが陽光に溢れている。思うに、かかった総額の割には、居住スペースは少ないのではないだろうか。もちろん、初老の夫婦が住むだけだから、それでいいのだろうが。
ヴェネツィアさんがレビューされた本の写真に驚きました。私も老いてからの写真しか見たことがありません。『暗夜行路』を読んでから志賀直哉の小説が好きになりました。このアルバムのシリーズは地元の図書館で見かけたことがあるので、今度借りようと思います。
東北出身ということで、寺山修司と共通するところはあるかもしれませんね(寺山は青森、渡辺は山形)。ただ、渡辺えり(子)自身は唐十郎からの影響を強く語っています。自分の書いた戯曲を早いうちから認めてくれたのが唐十郎だったとか。先日読んだ『唐十郎襲来!』にも熱い文章を寄稿しており印象的でした。
⇒いる。悲惨な状況下の子どもたち。それでも健気に焼け跡を進む子どもたち(表紙写真)。これらからは、先の第2次世界大戦は、戦闘員と非戦闘員の区別は全くなかったことがよくわかる。
この本を0歳児の読み聞かせに用いるならば、たとえ子どもが理解できなくても、お母さん(もちろん、お父さんでも)は幸せな気分に包まれるだろう。そして、子どもも。
⇒かなり以前から、ファッションはアートとして自立していただろう。すなわち、時として「装う」という域を超えていたと思われるのである。今、それがさらに突出してアートを意識するようになったのだろうか。ただし、ファッションは、その総体として商業資本主義の範疇の中にあることもまた免れない。例えば、先端のファッション産業は建築家とのコラボレ ーションを果たし、美術館とも見紛う店舗や自身のブランドの博物館を作るにいたっている。それはまたファッション産業界の強い自信のあらわれでもあったのだ。
⇒滅ぼされたブリュギア王の娘)と、遺児となったエウリュサケースは、またしても極めて厳しい立場に追い込まれることになる。したがって、悲劇としては(現代的な観点からは)むしろテクメーッサこそがそれを背負うことになるのである。
⇒それはもう惨憺たるものである。日本軍の欺瞞、殺戮、拷問、略奪など、およそこれ以上はないくらいに最悪である。彼らはこういう教科書であの戦争を学ぶのだ。彼我の歴史認識に大きな齟齬が生じるはずである。
⇒だったのだろう。直筆原稿もたくさん残っているが、上手いという字ではないものの、原稿はいずれもきわめて丁寧である。几帳面な性格だったのだろう。その後にいたるまで愛唱し続けたわけではないが、私は中学生の頃は、藤村の「千曲川旅情の歌」と「初恋」が好きであった。憧憬していたと言ってもいい。
ヴェネツィアさん、面白いお話なので参加させてもらいますね。表題ですが、確かに太宰治のエッセイ『もの思う葦』で『ダス・ゲマイネ』からタイトルをつけたというようなこと書いてあるからそうなのでしょう。ただわたしは、異説の方が好み。出身地である青森県の方言の「だから駄目なんだ」という意味する「んだすけ、まいね」。こちらと併せた意図的に仕組んだ「ダブル・ミーニング」説を支持したいです。
⇒建物の全体を見れば、より明らかである。色といい、形態といいまぎれもなくマヤの神殿を連想するはずだ。細部の装飾もまたそうだ。さらには内部空間にまでそれは及んでいるのである。およそライトらしくはないが(私はそう思うのだが、専門家から見ればそうではないのかも知れない)実に素晴らしい大豪邸である。なにより神秘的な気配が濃厚に漂うのである。
屋根に注目しての紀行もいいな。日本の一つの町だけでも随分と色々な屋根がありそうだ。大阪あたりのビルディングなどは、屋上に稲荷社があったりもするし。海外屋根紀行も楽しそうだ。
⇒と思しき若き女性も再登場する。ポーリーヌ贔屓の私としては、嬉しい限りである。下巻でも、主軸はやはりルーシー・スノウの物語であり、ポーリーヌは花を添えるだけなのか。あるいは…という期待を持って下巻へ。
⇒無くなった。あとは捏造するばかりである」として、持ち出してきたのが、かつての成功作『女生徒』。読者としては、犬のジャピイとか懐かしくはあるのだが、如何せん二番煎じ。しかも、あの憧憬に満ちた結びには遠く及ばない。
⇒など、これは美術館としての機能を追求した結果でもあるようだ。ちなみに、キンベル美術館はミケランジェロなどのルネサンス美術からピカソらの現代美術にいたるコレクションを誇っている。
⇒本書のタイトルは『世界が語るコム デ ギャルソン』である。たしかに、今あらためて見ても斬新だ。それに思っていたよりもカラフルでもある。なお、本書はNHKの取材フィルムを書籍化したもの。製本、装丁は平凡社。こちらもなかなかに斬新。
⇒それが私にとっては今との一番大きな違いだろうか。一方、戦時中の子どもたちの写真を見ていると、その健気さに涙を誘われそうになる。彼らはそんな時代を何とか生き延びたのだ。
劇中で、日本語の特徴の一つとして、女言葉の問題が取り上げられているが、たしかに世界の言語の中では、とりわけそれが発達した珍しい言語である。劇中で語られるように、歴史的には(あるいは現代においても)それだけ抑圧されてきたことの証であるのかもしれない。
⇒イギリスにも足を伸ばしているが、たしかに、イギリスのカレーが紹介されることはあまりない。インドからイギリスを経て、日本にたどり着いたカレー。カレーパンにカレーうどん、カレーラーメンからカールカレー味など縦横無尽の変化を遂げた。
「こんな賢い人がこんなことになるか?」ごもっともです。しかし それは「賢く見える」だけではありませんか? 世の中の賢い人はどうでしょう? つまらない人間に引っかかっていませんか? そういうことじゃありませんか?
⇒兼ね備えた機能美が実現されているのである。唯一、装飾的に見える屋根の帆船の帆のような翼も、ソーラーパネルとして機能し、建物全体にエネルギーを供給している。また、建物の構造を支える軽量鉄骨も直線とカーブの配列が実に美しい。ガラス張りのファサードの美しさは英国のイメージを一新したことであろう。
⇒ボデガス・グエル、コロニア・グエル教会などにも光をあてている。更に珍しいところでは、ベリェスガールなども登場するなど、やはりガウディ好きには見逃せない1冊だ。
ニューヨークでセント・パトリック・デイに遭遇したことがあるが、緑のスカーフを巻いた一大集団がセント・パトリック教会へと向かっていた。彼らもまたケルトの末裔である。
⇒それとの決定的な違いもよくわかる。いくつもの発見する喜びがあるのだが、ターナーの『雨、蒸気、スピード:グレート・ウェスタン鉄道』の持つ印象派への先駆性や、見えなかった人影などもそうだ。
⇒たくさんの作品を残しているが、やはり菊池寛の最大の功績は芥川賞と直木賞の創設だろう。今にいたるも、毎年の春秋、読書子ばかりか社会的なニュースとして取り上げられているのであるから。
⇒ここからがアリストパネスの凄いところなのだが、そんなクレオーンを礼賛するのではなく、彼に擬せられたのは舞台上の攻防で敗北するパプラゴーンなのである。相手の腸詰屋との言い争いは、もうほとんど子どもの喧嘩といったレベルなのであるが、当時の観客たちには大いにウケたようなのである。笑いの感覚は相対的であることを免れないために、現代の私たちには何が面白いのか、ほとんどわからないほどである。
⇒「あけび野商店街」、「布袋」、「丸秋足袋店」などが、こうした懐古趣味に一層の彩りを添える。登場人物たちもまた揃って現代の忙しい時間の中を生きてはいない。続編を匂わせるような終わり方だったが、続編があればまた読みたくなる小説である。
⇒分析家としてのブレイディみかこさんが最も冴えを見せるのは、「極右を率いる女たち」である。イスラモフォビアと女性の右傾化やフェミニスト運動と右派の女性政治家との関係など実に見事に解き明かしてくれる。お勧め!
最初は気が付かなかったのだが、この絵本は、女の子の細やかな愛情を表現していたのだった。この愛情はきっと大きくなっても失われることはないのだろう。あるいは時々は形を変えて、例えば慈しみのように、続いていく。
⇒くだりこそ小説としての成果を示すが、全体としては無駄に長い印象である。孫文と中国の革命状況、およびそうした中で仙台にいて揺れ動く周、そして灯籠事件を契機に周が帰国し、魯迅となる、そうした中核部から惜別へと導いていくべきではなかったか。
⇒マヤの死をめぐる一連のエピソードだろう。彼らは(ほんとうは彼らだけの問題では全くないのだが)共通して明日への希望を奪われている。小説全体の世界観の構築はなかなかによくできている。ただ、結末部があれではあまりにも残念である。なお、本書の成立の背景には「サフラジェット」があったと思われる。
「ちょうめいそうが たくさん はえ、よなぐにうまが ヒヒーンと なく」こんな風にリージョナルなところと、「せかい」あるいは「へいわ」といったグローバルなものとが並置されるところがいい。
⇒アメリカン・バンガローの趣きを取り入れたというのだが、なんだか造型の簡素さと、建物の重厚さが互いに他を牽制し合っているようにも見える。また、ここでも印象を述べれば、アメリカ風というよりは、なんだか東洋趣味がほの見えるのである。寺院の一部を無理やりに折衷したかのようなのである。高級な木材で埋め尽くされた室内空間も、やはり東洋趣味が強く出ているように思われる。
⇒すなわち、彼は大いなる葛藤に晒されることになる。結局、王は民衆の意見をも入れて受け入れるのだが、その葛藤が昇華されることはない。なぜなら、その後が描かれることはなく、その後もひたすらに嘆願が続けられるからである。このあたりは、現代的な演劇観とは大いに違うところだと思われるが、「嘆願」の様式美のようなものが満たされれば、それで十分に劇として成立するということなのだろう。
と述べ、「日本は今に世界文化の中心になるかも知れぬ」とまで言うのである。最後に太宰の友人だという批評家(誰だろう?和辻哲郎?小林秀雄?)が引き合いに出され、「日本有數といふ形容は、そのまま世界有數といふ実相」と結論づけるのである。なんとも事大主義的、国粋主義的な太宰であることか。さる政党が聞いたら喜びそうだが。
いぬいとみこ先生は、『北極のムーシカ・ミーシカ』の作者としてしか存じ上げていなかったのですが、戦争をテーマにした本も書かれていたのですね。しかも、絵は司修先生…! 探してみます!
⇒との外交関係までもが影響を及ぼしているからである。ギリシア悲劇は普遍性を獲得しやすいが、喜劇は多分に現在時が問題であり、その限りにおいて即物的になりがちである。エウリピデスへの揶揄などもまたそうだ。
⇒についても語られているが、それよりも彼等の食事や日常生活などの記述に精彩を放つようだ。それにしても、あらためて思うのは、エジプト文明というのは、あらゆる意味において、なんとも壮大なスケールを持っていたことである。
⇒警察小説としてのリアルである。結果はなんともやりきれないものではあるのだが。『異邦人』のムルソーやEnfant terribleを連想もするが、おそらくは本書の背後にあるのは、より今の社会が抱える不毛であろうと思われる。
⇒かつ、悲壮感が漂う。戦闘場面で、そして追悼の場面での「ポポイ!」、「オトトイ!」、「アイアイ!」「エーエー!」などの間投詞が大きな効果を上げている。これが上演された時の客席の高揚した様子が目に浮かぶようだ。
みあさん、『天井棧敷』はぜひとも。ジャン=ルイ・バローとピエール・ブラッスール(サルトル劇の初演多数、映画では『リラの門』)の両男優、そして女優のアルレッティが素晴らしいです。もちろん、映画そのものの質はさらに。
⇒ともかく、外観はシンプルで、十字架がついていなければ、それがキリスト教会であることがわからないようなものも珍しくない。一方、内部空間はやはりシンプルではあるものの、光が工夫されていて、それなりの華やかさを見せている。とりわけ立派なのは銀座教会。壮麗なまでのパイプオルガ ンが祭壇後ろに控えている。
津軽方言で語られる(歌われる)この「雀こ欲うし」のやりとりは、まことに温かみのあるものである。私たちの育った地方での歌い始めは「たんす長持どの子が欲 しい」だった。おそらくは、全国的に最もオーソドックスなスタイルだったのではないだろうか。あの単純きわまる遊びを何度も行っても飽きなかったのは、今思えば不思議なくらいである。今の子どもたちには、もはや伝承されていないのだろうか。
⇒物語が展開して行くのである。ただし、読者が最後にたどり着いた時には、さらにその先に未知の結末が待ち受けているのであるが。そんな風に凝った構成を取るのだが、登場人物たちも読者からの共感は得にくいだろうが(そもそも彼女たちはすべからく、他者の共感を拒否したところで自立している)存在感は実に大きい。7歳のまゆみにしてからがそうだ。桜木紫乃のファンならば、お勧め。
ヴェネツィアさん、ナイスをありがとうございます。 桜木さんの描く釧路・登場人物は、いつも暗いですよね。そして、登場人物は一癖も二癖もある、、でも、それに惹かれます。 旅情を掻きたてられたぼくは、2年前の夏、東京から車で北海道に旅行し、遂に釧路湿原まで行きました。 次回は、釧路市内・厚岸・根室まで足を延ばしたいです。
⇒サンフランシスコの歴史的建造物をリノベートしたブリッジポイント・アシステッドリビング他があり、また内装の豪華さではサンタバーバラのスパニッシュ・コロニアルスタイルを誇るマラヴィラなどがある。日本にも結構豪華な施設があるようだ。例えばザ・バーリントンハウス馬事公苑ほかいくつもの施設が紹介されている。
⇒一気に佳境に入ることになる。後半の展開はとりわけスリリングであるが、静子に太宰を「芸術家」と言わせ、真の芸術家こそ真の芸術を知るとの構想を組み立てていくのである。静子のファナティックで刹那的な行動は、まさに太宰の姿そのものでもあったのだろう。
徒然草の引用ありがとうございます。その内容は覚えていたのですが、誰が言ったのかなぁって思っていたので、出典、有難いです。建築は、文化・芸術の柱ですものね。民家にはその人となりがあらわれるので、興味深いです。
⇒までになる。人との出会いもまた兼寛の運命に大きく関与する。彼がたまたま英語を学ぶことになり、イギリス人の医師と出会わなければ、また彼は違った人生を歩んでいたことだろう。展開も早く、面白い物語。下巻へ。
ヴェネツィアさん 夜分に失礼します!🙇💦 私の好きな此の絵本が、共読絵本に一冊加わり、とても嬉しく思います!🍀 此の様に秀逸な絵本は、人生の機微を学ばせて貰えます!💗 此れから更に、暑さが厳しい日々ですので、お互いに体調に留意したいと思います!🍀 8月もどうぞ、宜しくお願い致します!✨ おやすみなさい!🌃 宵待草
2011年4月からの参加で、15年目にはいりました。一番よく読んでいるのは日本文学、次いでは翻訳文学です。読むジャンルの幅は広い(半ばは意識的にそうしています)のですが、何でも手当たり次第に読むというわけではありません。特に誇れるものはありませんが、連続読書日数は初日から5263 日(2025年9月2日現在)、冊数は8098冊になりました。胃癌で入院中も、海外旅行中も毎日読んできました。さて、どこまで伸ばせることやら。
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奥田作品にハズレなし(贔屓目ですが)
Norikazuさん、まあそう言えそうですね。