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2025年8月の読書メーターまとめ

ヴェネツィア
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124
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124
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2025年8月に読んだ本
124

2025年8月のお気に入り登録
30

  • DORA好き(´▽`ʃ♡ƪ)
  • 福子
  • あみ
  • 夜
  • racco201
  • masa
  • モリコロ
  • タマ
  • 口こ
  • 夏目ソウかい
  • haru
  • hart
  • うえぽん
  • seminotou
  • ぐりこ
  • コシヒカリ
  • トリック
  • milka
  • Sora
  • はるか
  • ゆき
  • スケサク
  • 瑠璃室郎
  • 清水新月
  • えむえむ
  • まさお
  • ココア
  • みどりこ
  • フランソアポンポン
  • ぎじはしこ

2025年8月のお気に入られ登録
27

  • DORA好き(´▽`ʃ♡ƪ)
  • 福子
  • あみ
  • 夜
  • racco201
  • masa
  • モリコロ
  • タマ
  • 口こ
  • 夏目ソウかい
  • haru
  • hart
  • うえぽん
  • ぐりこ
  • コシヒカリ
  • トリック
  • milka
  • Sora
  • はるか
  • スケサク
  • 瑠璃室郎
  • えむえむ
  • まさお
  • ココア
  • みどりこ
  • フランソアポンポン
  • ぎじはしこ

2025年8月にナイスが最も多かった感想・レビュー

ヴェネツィア
5つの短篇から成る作品集。いずれも、2019年から2020年にかけて「小説宝石」に掲載されたもの。軽やかなオカルトという共通点を持つが、こうして短篇集になった時に、結果として最良の配列になっている。巻頭に置かれた「海の家」は、物語世界への導入に最適であるし、巻末の「パンダに乗って」もまた掉尾を飾るのに相応しい。いずれの5篇も逸脱することのない暖かみを有している。コロナを正面から描く表題作「コロナと潜水服」にしても、実は現実を逸脱しているのだが、小説の中ではそれを感じさせない。実は他の4篇もそうなのだが⇒
Norikazu  Ando
2025/09/03 07:47

奥田作品にハズレなし(贔屓目ですが)

ヴェネツィア
2025/09/04 10:03

Norikazuさん、まあそう言えそうですね。

が「ナイス!」と言っています。

2025年8月にナイスが最も多かったつぶやき

ヴェネツィア

皆様、先月もお付き合いいただきありがとうございました。今月もどうぞよろしくお願いします。☆2025年7月の読書メーター 読んだ本の数:123冊 読んだページ数:14698ページ ナイス数:51546ナイス ★先月に読んだ本一覧はこちら→ https://bookmeter.com/users/157091/summary/monthly/2025/7

皆様、先月もお付き合いいただきありがとうございました。今月もどうぞよろしくお願いします。☆2025年7月の読書メーター 読んだ本の数:123冊 読んだページ数:14698ページ ナイス数:51546ナイス  ★先月に読んだ本一覧はこちら→ https://bookmeter.com/users/157091/summary/monthly/2025/7
レモングラス
2025/08/01 11:12

カリブ海なんですね。暑くてもうどこも行きたくないと旅の予定も立てずに過ぎた夏ですが、どこか行きたい気持ちが湧いてきました。レビューもいつも楽しみに拝読しています。素敵な写真に感謝です♪

ヴェネツィア
2025/08/01 12:18

レモングラスさん、ありがとうございます。今月もどうぞよろしくお願いします。

が「ナイス!」と言っています。

2025年8月の感想・レビュー一覧
124

ヴェネツィア
「阿賀野川の水が枯れることがあっても坂口家の金は枯れることがない」とまで言われた裕福な家に育った安吾。父親の写真を見ると怖そうだが、母親の方はもっと怖そうだ。安吾自身も中学生くらいからは、意志が強そうな顔立ちである。一口に無頼派とはいっても、それぞれなのだろう。そして、作家としてのスタートが笑劇にあったことは意外であった。坂口本人は、昭和20年40歳のルパンで撮られた写真を「私の写真の決定版とする」と言っているが、総じて中年以降の写真はいずれも作家らしい風貌である。かえって、先のルパンの写真などはむしろ⇒
masa
2025/08/31 22:08

何年間も掃除せずに、大酒飲んで書いてたんですよね。ちょっと常人ではないんだろう。現代人だと、態々、抵抗力落として不潔な生活を送っていたら病気になるじゃん。アホなのか?と言われそうだが。でも書いてるものは鋭い指摘が的を得ているし、頭脳明晰な主人公も登場する。なんじゃそりゃと。不思議な作家だよなあ。まあ、変人具合が好きな人も多いから現代でもファンが多いんでしょうね。

ヴェネツィア
2025/09/01 08:42

masaさん、典型的な旧時代型の作家だったのでしょうね。その意味では、確かに太宰にも檀一雄にも共通点はあるようです。

が「ナイス!」と言っています。
ヴェネツィア
タイトルに惹かれて。読む前は翻訳劇だとばかり思っていた。ところが、ケラリーノ・サンドロヴィッチというのはペンネームで、日本人の劇作家が日本語で書いた劇だった。登場人物は多いのだが、すべて女性ばかり。というのも、どういうわけかこの村の男たちは全員がいなくなっていたのである。物語の舞台は西部劇に登場するような町の娼館を併設した酒場。劇中に観客席から笑いが漏れるだろうところが何か所かある。また、劇の進行は軽やかにスムーズに進んでいく。ただ後半からは命が途端に軽くなり、何人もが殺されるハメになる。西部劇風を⇒
ヴェネツィア
2025/08/31 15:18

⇒装ったのも、このためであったと思われる。おそらく、この劇は脚本を読むよりは、ライブな舞台で見ることを想定しているし、脚本からは十分に面白さが伝わらない部分もあるだろう。

が「ナイス!」と言っています。
ヴェネツィア
第1巻は住宅建築。ANDO by ANDOすなわち、自らの建築家としての来歴を語った項目があるのだが、なかなかに示唆に富んでいる。安藤忠雄がグランドツアーと称する建築世界紀行に旅立った折、アテネのパルテノン神殿(ここは彼の目的地の中でも筆頭だった)の前に立ってみると「わからない」と立ち止まらざるを得なかったそうだ。それから数日、連日パルテノンに通い詰め、とうとう「この場所を支配しているのは数学だ」との解を得たそうだ。またモダニズムとはいうものの、ル・コルビュジエの建築だけでも初期の白の時代の住宅と晩年の⇒
ヴェネツィア
2025/08/31 15:06

⇒ロンシャン礼拝堂とではまったく異質の空間性を備えており、ではモダニズムとは何なのか、とその多様性に新たに向き合うのである。そんな安藤忠雄自身の住宅建築の原点となったのが、かの有名な「住吉の長屋」である。これ以降、彼は様々な住宅建築の設計を手がけるが、それらをトータルに見るならば、安藤忠雄様式とでも呼ぶべきスタイルがあることが了解される。そして、それこそが独学で建築を学んだ成果だろう。

が「ナイス!」と言っています。
ヴェネツィア
小風さち・文、山本忠敬・絵。小さなプロペラ機が、大きなジェット旅客機(エアバスか)に引け目を感じたり、憧れたりするお話。絵はこのプロペラ機の飛行感をよく捉えている。男の子たちにウケそうだ。ところで、子どもにはやはり性差があるのだろうか。どうも女の子たちにはあまりウケそうな気がしない。あるいはそれは、私の誤った(これまでに刷り込まれた)ジェンダー意識のせいなのだろうか。
ヴェネツィア
2025/09/02 13:01

白銀の月さん、境界が取り払われたジェンダーレスお人形ごっこですね。お気に入り登録はどうぞご随意に。

白銀乃月
2025/09/02 18:10

ありがとうございます。さっそく登録させていただきます。

が「ナイス!」と言っています。
ヴェネツィア
今はなき青函連絡船の特集。執筆は宮脇俊三。鉄道ではないまでも、それに準ずるものという扱いなのだろう。実際に頻繁に利用していた人たちにはどうかはわからないが、私たち旅人にとっては大いに旅情を喚起するものであった。青函トンネルでは、こうはいかない。私もかつて一度だけだが乗ったことがある。北海道に渡るのだという感慨にしみじみと浸ることができるのである。私は船も好きで、舞鶴から小樽までのフェリー(二泊三日だった)を利用して北海道に向かったこともある。もっとも、この時には激しい船酔いで、ずっと寝ていたのだが。
ヴェネツィア
2025/08/31 18:15

ヘタレ女王さん、青函連絡船には独特の旅情がありましたね。私も八丈島には挑戦してみたいです。

ヴェネツィア
2025/08/31 18:16

海猫兄弟さん、幻となったラーメンは追憶と幻想の彼方にあって、ますます輝かしく。

が「ナイス!」と言っています。
ヴェネツィア
初演は1973年、文学座。大学教授の父親と7人の娘たちの織りなす物語。戦後ずいぶん経っているのだが、どこかに戦後色を残す。そして、同時に戦後の新しい家庭を模索するかのようである。妻の不貞にも寛容な父親。7人の娘たちは互いに仲はいいが、志向するところはそれぞれにバラバラ。七女の巴絵などは修道院に入ってしまうし、六女の文代は実の父親(母親の不倫相手)に恋してしまう始末。あげくには命を落とすことに。これがいわば大団円なのだが、劇中ではそれほど大きな事件は起こらない。むしろ、一見普通の家族の普通の生活が描かれる。
ヴェネツィア
2025/08/30 16:42

今となっては古い感じも否めないが、現在でも引き続き上演されているようだ。演出によっては現代劇にもなり得るかも知れない。

が「ナイス!」と言っています。
ヴェネツィア
ELLE編集による80年代回顧。日本版のELLE・Japonは、1989年の上陸なので、この頃はまだ。80年代といえば、政治的にはレーガン、サッチャーといった強面路線だった。映画ETもこの頃。ことファッションの世界に目を転じれば、KENZOがいて、ISSEYがいて、ラガーフェルド、ソニア・リキエルが活躍した時代。KENZOのエスニックは今にいたるも新鮮だ。ELLEの主たるターゲットは、20代半ばから30代くらいだろうが、背伸びをすれば10代でも、また40代でも大丈夫。40数年前のファッション⇒
ヴェネツィア
2025/08/30 07:11

⇒なのだが、全くといっていいほどに古びてはいない。ヴィヴィッドなカラーが目にも鮮やかだ。

が「ナイス!」と言っています。
ヴェネツィア
さとう わきこ・作。大人はともかく、子どもたちにウケるかなと思ったが、余計な心配だったようで、この「ばばばあちゃん」のシリーズは、すでに20冊を重ねている。親近感だろうか、それとも安心感なのだろうか。主人公のばばばあちゃんはとりわけ魅力的だとも思えないのだが。絵も全体に素人っぽさが漂う。やはり、このアマチュアリズムがいいのだろうか。
が「ナイス!」と言っています。
ヴェネツィア
事件の命名だが、単に「南京事件」といっただけでは、小競り合いのようなものを想像してしまう。ここは、はっきりと「南京大虐殺事件」というべきだろう。それにしても、聞きしにまさる有様である。日本軍によって殺された中国の将兵がとんでもないくらいに多数。民間人にいたっては、糧食を奪われ、次々に殺戮され、あげくには家に火をかけられる。女性たちは強姦され、輪姦され、そしてやはり殺される。これらの殺戮は国際法に違反しているばかりか、軍の方針をも無視して突き進んでいたのである。これが皇軍兵士のやることなのか。とっくに⇒
kinkin
2025/08/31 21:03

ヴェネツィアさん 今「南京事件 新版」を読んでいます。先般女性ジャーナリストが南京大虐殺はなかったと言っています。著者はこのあった、なかったの論争はすでに終わっている。と書かれていました。今頃このジャーナリストは何を言っているのか強く憤りを感じました。

ヴェネツィア
2025/09/01 15:29

kinkinさん、私もそれは論争にすらならないと思っています。日本軍内部の資料でさえ肯定しているのですから。しかも、時として誇らしげに。

が「ナイス!」と言っています。
ヴェネツィア
もう半世紀も前になるのだなあと、感慨に耽る。若い人たちにとっては、もはや現代史ではないのかも知れないが、私たちの世代にとっては、ライブな同時代史であった。私自身が闘争に参加したわけではないのだが、それでも共感は持っていた。かつて、三里塚、芝山の農民たちと支援の学生たちがこの地で熾烈な闘争を繰り返し、最終的には破れはしたが、闘争そのものには大いに意味があったと思う。この写真集には、学生たちの姿も捉えられているが、そのほとんどは農民たちである。彼らは生活権そのものをかけて闘った。権力と農民の構図をこれほど⇒
racco201
2025/08/29 22:50

子供心にもサンリヅカの言葉の響きは覚えています。学生運動なども熱い時代でした。

ヴェネツィア
2025/08/30 07:53

raccoさん、学生運動もこのあたりが最後の光芒で、その後は内ゲバに陥っていきました。

が「ナイス!」と言っています。
ヴェネツィア
谷川俊太郎・文、川島敏生・写真、乾 千恵・書。この「書」というところが、なんともユニーク。どのページにも一文字が書かれている。スタイルはまさに雄渾。ちょっと象形文字っぽいものも。「音」や「馬」がそんな風だ。あまり難しい漢字はないけれど、対象年齢はやはり小学校中学年以上か。あるいは、もっと低年齢でも、書の感覚がダイレクトに伝わるかも知れない。類書はあるのかな。あまりなさそうだけれど、試みとしては成功か。
が「ナイス!」と言っています。
ヴェネツィア
この巻では、「議事堂への系譜」の副題のもとに、それに先駆する建築家が紹介される。すなわち、妻木頼黄、武田五一、大熊喜邦、そして臨時議院建築局である。中で最も注目されるのは武田五一。ただし、彼の路線が議事堂に繋がるとは思えないが。彼はセセッションを日本に導入した人物である。それが顕著に現れているのは、旧京都府記念図書館(現・京都府立図書館)だろう。なんとも優美なのである。しかも、時代の新しい息吹も感じられる。次いでは、同志社女学校静和館とゼームス寮。これは外観こそは、やや無骨だが、内部空間が美しい。
ヴェネツィア
2025/08/28 17:31

ちょっと変わったところでは、東本願寺内侍所洋館がある。仏教寺院と洋館という奇妙な取り合わせが面白くもあり、また不思議な空間を現出せしめている。

が「ナイス!」と言っています。
ヴェネツィア
頗る小説らしい小説。最終章を読み終えた後の空無な余韻の残影が、この小説を屹立させるとともに、江國香織の最良の作品を読んだとしみじみと思う。序章と終章(そうした表示はないが)以外は、脈絡なく物語が展開していくようにも見える。登場人物も多いし、しかも互いにそれまでは無関係な人たちだった。彼らが交錯するようでもあり、また互いにそれぞれの道を進むようにも見える。読者は、あるいは誰に感情移入して読むかに戸惑うかも知れない。私は性も年齢も全く違うのだが、それは葉月であり踏子であった。もちろん、冒頭の3人には強く心を⇒
ヴェネツィア
2025/08/28 16:44

⇒惹かれたままにである。ほんとうにいい小説だった。あるいは、江國香織では最高かも知れない。なお、タイトルの意味は最後まで不明であった。また、このタイトルにはいささか不満である。

ヴェネツィア
2025/08/28 16:52

タイトルのは、作中の童謡「雨降りお月さん」に由来するのだろうし、人の死は最後は孤独でしかないということなのだろうが、このタイトルでは軽すぎるかな。あるいは、この軽みこそが江國香織の真情か。

が「ナイス!」と言っています。
ヴェネツィア
1920年代後半から40年代にかけて、一世を風靡したエルザ・スキャパレリ。当時は、ココ・シャネルの最大のライヴァルだったようなのだが、どこで後世の知名度にこんなに差がついてしまったのだろうか。名前からも分かるように、彼女はローマ生 まれのイタリア人。そして、主な活躍の舞台はニューヨークとパリ。ダリやコクトーとの付き合いもあり、一時期はシュール・レアリスムにも傾斜していた。彼女のファッションを今、写真で見ると、やはり戦間期のモード感が横溢している。もちろん、見方によっては古い。なにしろ、当時のモデル⇒
ヴェネツィア
2025/08/28 10:35

⇒グレタ・ガルボなんかに、まさにピッタリのドレスである。巻末にスキャパレリの「12の掟」というのがある。1. たいていの女性は自分自身をわかっていない。わかろうとすべきである。…4.覚えておくこと:世の女性の20%は劣等感を抱え、70%は幻想を抱いている。等々。

が「ナイス!」と言っています。
ヴェネツィア
こいでたん・文、こいでやすこ・絵。森の中で道に迷ってしまった3匹のねずみが家を発見。誰もいないので、とりあえず泊めてもらうことに。続いてやってきたのが2匹のうさぎ、さらには3匹のたぬき。そして、最後に現れたのは…というお話。あわや、という場面はあるが、総じては平和で友好的なプロットで終止する。絵は色鉛筆画だろうか。線も色彩も柔らかいタッチ。背景の描き込みも丁寧だが、なんとなく素人っぽさも漂う。そこがよさでもあるのだろう。
ヴェネツィア
2025/08/28 07:45

「とんとん とめてくださいな」のセリフは、クリスマス・ページェントのマリアとヨセフの逃避行の場面を思わせる。作者の意識の中にもあったか。

が「ナイス!」と言っています。
ヴェネツィア
この巻はフランク・ゲーリー設計のシュナーベル邸である。1990年、ブレントウッド(カリフォルニア州)。施主のシュナーベル氏は、元フィンランド大使などを歴任。夫人は南カリフォルニア大学で建築を学んだ人であるらしい。施主にお金もたんまりとあって、しかも相当に度量が広くないとこの邸はあり得なかっただろう。なにしろ、遊び心が満載の邸なのである。ダリが住んでいると言われても、そうかも知れないと納得しそうになるくらい(さすがにそこまでではないか)。ともかく、この邸は、およそ実用的という言葉からは遠いのだ。無駄が多い⇒
ヴェネツィア
2025/08/27 10:19

⇒というよりは、全体がそんな部分ばかりが集まってできているのである。彼の建築が「住むことができる彫刻」と評されるのも納得である。室内空間は、カリフォルニアらしく限りなく明るい。ベッドルームまでが陽光に溢れている。思うに、かかった総額の割には、居住スペースは少ないのではないだろうか。もちろん、初老の夫婦が住むだけだから、それでいいのだろうが。

が「ナイス!」と言っています。
ヴェネツィア
志賀直哉の写真は、これまでに見たものは老人のそれであり、『城崎にて』や『清兵衛と瓢箪』などのイメージからも、もっぱら爺むさいものであった。今回のこのアルバムでは、表紙をはじめ若き日の志賀直哉の写真がふんだんに見られる。自転車に乗っていたり、ボートレースで優勝したりと、思いがけない姿も多々あった。そして、学習院に通い、白樺に参加していたな ど、なんとも裕福な(こちらは従来のイメージ通り)青少年時代を送っている。また、自画像の絵などを見ると、こちらの才能も捨てたものではなかったようだ。
新田新一
2025/08/27 14:51

ヴェネツィアさんがレビューされた本の写真に驚きました。私も老いてからの写真しか見たことがありません。『暗夜行路』を読んでから志賀直哉の小説が好きになりました。このアルバムのシリーズは地元の図書館で見かけたことがあるので、今度借りようと思います。

ヴェネツィア
2025/08/27 16:58

新田新一さん、このアルバムには若い志賀直哉がいっぱいです。

が「ナイス!」と言っています。
ヴェネツィア
渡辺えり子は初読。私は知らなかったのだが、この人は女優としても活躍している、あの渡辺えりと同一人物。テレビを見ない私でも知っている(映画「シャル・ウイ・ダンス」で見た)くらいだから、女優業でもかなり有名なのだろう。脚本家としても、『ゲゲゲのげ』で岸田國士戯曲賞、そして本作でも紀伊國屋演劇賞を受賞している。さて、その本作だが、なんとも掴みどころのないお芝居である。切れ目なく、なんとなく続いていくかのような構成であり、登場人物たちもあまり個性的ではない(これはあえてそうなのだろう)。言葉が羅列されるのだが、⇒
玄趣亭
2025/08/27 17:38

東北出身ということで、寺山修司と共通するところはあるかもしれませんね(寺山は青森、渡辺は山形)。ただ、渡辺えり(子)自身は唐十郎からの影響を強く語っています。自分の書いた戯曲を早いうちから認めてくれたのが唐十郎だったとか。先日読んだ『唐十郎襲来!』にも熱い文章を寄稿しており印象的でした。

ヴェネツィア
2025/08/28 08:10

唐十郎の影響下にあり、しかも唐に認められたのですか。女優としても魅力的な人ですね。状況劇場の舞台にも似合うかも。

が「ナイス!」と言っています。
ヴェネツィア
「戦争と子どもたち」のタイトルで編集されているので、圧倒的に多いのは空襲の写真である。しかも、一応は公平を期すためか、日本軍による中国の町々への空襲の様子を映したものも。あらためて、これらの写真や絵を見ると、空襲とは、文字通り大量破壊兵器による人民の殲滅・殺戮にほかならない。また、これまであまり見ることがなかった地方都市の空襲による惨状が数多く掲載されている。東京や大阪、名古屋はもちろん、横浜や岡山、福井、高松、呉など、どれを見ても、広島の原爆による被災と変わらないほどに市街の全域が一面の焦土と化して⇒
ヴェネツィア
2025/08/27 08:20

⇒いる。悲惨な状況下の子どもたち。それでも健気に焼け跡を進む子どもたち(表紙写真)。これらからは、先の第2次世界大戦は、戦闘員と非戦闘員の区別は全くなかったことがよくわかる。

が「ナイス!」と言っています。
ヴェネツィア
松谷みよ子・文、いわさき ちひろ・絵。松谷みよ子のあとがきによれば、「これは、下の子が生まれたころの、ひとりごとのようなもの」であるらしい。そうすれば、直接の対象はまだ言葉を解さない0歳児ということになる。言葉の意味は了解しなくても、そこに流れる言葉のリズムは伝わっていたはずである。松谷みよ子にそのつもりがあったかどうかはともかく、これは言語教育としては最良のスタートだったのではないだろうか。どのページも弾むような歌のリズムに溢れている。いわさきちひろの滲むようなタッチの絵も絶妙のコンビネーション。
ヴェネツィア
2025/08/27 07:59

この本を0歳児の読み聞かせに用いるならば、たとえ子どもが理解できなくても、お母さん(もちろん、お父さんでも)は幸せな気分に包まれるだろう。そして、子どもも。

が「ナイス!」と言っています。
ヴェネツィア
著者のミッチェル・オークリー・スミスもアリソン・クーブラーもともにオーストラリアの著述家、アート・ディレクター。本書は2015年の刊行なので、既に最先端とは言えないのかも知れないが、どうせ私には区別がつかないものと思われる。逆に見る人が見れば、これらはもはや一時代前のアートであり、ファッションなのだろう。「イントロダクション」にアンディ・ウォーホールが引用されている。「今日、人がどう装うかは、ある種の芸術表現だと思う」云々と。ファッションとアートとの融合は、今に始まったことでもないだろう。既に⇒
ヴェネツィア
2025/08/26 15:46

⇒かなり以前から、ファッションはアートとして自立していただろう。すなわち、時として「装う」という域を超えていたと思われるのである。今、それがさらに突出してアートを意識するようになったのだろうか。ただし、ファッションは、その総体として商業資本主義の範疇の中にあることもまた免れない。例えば、先端のファッション産業は建築家とのコラボレ ーションを果たし、美術館とも見紛う店舗や自身のブランドの博物館を作るにいたっている。それはまたファッション産業界の強い自信のあらわれでもあったのだ。

が「ナイス!」と言っています。
ヴェネツィア
ニコラス・グリムショー&パートナーズは、このシリーズ2度目の登場。先のセビリア万国博覧会・英国パビリオンでも、その特徴は顕著なものであったが、ここでも構造材を顕に誇示している。ただし、今回はぐっと控えめだが。1988年、ロンドンの竣工である。施主はロンドンきっての新 聞社の一つ、フィナンシャル・タイムズ。同社の創立100周年を記念してのものであるらしい。この建物のもう一つの特徴は、各棟の大きな印刷機械と、建物とが渾然一体となっていることである。しかも、両者が互いを引き立て合っているのである。まあ、その⇒
ヴェネツィア
2025/08/26 14:33

⇒ように設計されたということなのだが。内部空間も構造の美が追求されており、エレベーター&階段室などはその典型だろう。

が「ナイス!」と言っています。
ヴェネツィア
主な対象年齢は、小学校中学年から中学生くらい。もちろん、大人の鑑賞にも十分に耐える。全体はフォークロア的な趣きを持つ。おばあちゃんから、お母さん、そして主人公の私と、世代的な連続性の中で語られる。これは、平穏な日常の隠喩でもあったことが後にわかる。この三世代のみんなが、それぞれにキツネに化かされた共通項を持つのだが、それはまた自然との融和性の喩でもあっただろう。そして、これを一気に断絶させてしまったのが、原爆であっ た。物語がこれまで柔らかな広島方言で語られてきたのも、この故であった。被爆後も物語は⇒
ヴェネツィア
2025/08/26 07:13

⇒淡々と進み静かに閉じられるが、そこに残る微かな悲哀と子供時代を喪った悲しみとが私たちの心の内にひたひたと沁み入るのである。

が「ナイス!」と言っています。
ヴェネツィア
岩田明子・作。これもシリーズ化されていて、ということは人気が高いのだろう。本書は、その第1巻のようだ。おばけのばけたくんが、キャンディーを舐めればキャンディーの模様に、イチゴを食べればイチゴにと次々に変身していくお話。それだけと言えば、それだけ。ここは、やはり絵で勝負だろう。真っ黒な背景にばけたくんが、くっきり鮮やか。デザイン性を重視した絵だ。対象年齢は、どうみても幼児向けか。年少あたりの読み聞かせでは、ウケそうだ。
が「ナイス!」と言っています。
ヴェネツィア
著者の松本敏子氏は、日本服飾学会副会長(当時)。ジェンダー視点も交えながら、世界の民族衣装におけるズボンとスカートを見ていく。男性のスカートといえば、誰しもがスコットランドのキルトを思う。クランの紋様も誇らしく、それぞれのデザインのチェック柄を着こなしている。ハンガリーにも、スカートに見えるズボンの一種、ガチャというのがある。一方、日常的にズボンを履いている女性たちも当然いる。ヤオ族やモンゴルの人たちである。ウズベキスタンやハザク族といったシルクロードの人たちもそうだ。後半は世界の珍しいスカートとズボン⇒
ヴェネツィア
2025/08/25 16:40

⇒である。バリ島の晴れ着、ツォー族(台湾)の巻きスカート、インドのサリー等々。かなり珍しい衣装も登場するし、見ていてもカラフルで目にも鮮やか。

が「ナイス!」と言っています。
ヴェネツィア
感想は『アイアース』のみ。ギリシアの大英雄アイアースを描く。ただ、この劇ではアイアースの最も活躍していた武勲は、彼の死後に異母弟のテウクロスによって回想されるのみで、直接に描かれることはない。むしろ、ソポクレスが描くのは狂気に陥ったアイアースであり、自ら死を選ぶアイアースである。しかも、最後はオデュッセウスによって、死後の蹂躙からは救われるが、アガメムノーンら他の名だたる武将たちからは散々に貶められる始末である。劇はその後を描いてはいないが、テクメーッサ(アイアースの妻。ただし、アイアースによって⇒
ヴェネツィア
2025/08/25 14:28

⇒滅ぼされたブリュギア王の娘)と、遺児となったエウリュサケースは、またしても極めて厳しい立場に追い込まれることになる。したがって、悲劇としては(現代的な観点からは)むしろテクメーッサこそがそれを背負うことになるのである。

が「ナイス!」と言っています。
ヴェネツィア
最近の日本史の教科書が、第2次世界大戦の前後をどのように記述しているのかは知らないし、授業での扱いもわからない。私たちの頃は、中学校でも高校でもそれほど詳しく述べられていたり、また授業で熱心に取り組まれたということはなかった。さて、アジア各国の教科書は、予想通りとい うか、日本の侵略、占領、そしてそれに対する抵抗運動にいたるまで相当に詳しく述べられている。教科書全体の中でも、最も力点が置かれているのではないだろうか。ここにはシンガポールからはじまって、10カ国の歴史教科書の記述が採録されているのだが⇒
ヴェネツィア
2025/08/25 10:45

⇒それはもう惨憺たるものである。日本軍の欺瞞、殺戮、拷問、略奪など、およそこれ以上はないくらいに最悪である。彼らはこういう教科書であの戦争を学ぶのだ。彼我の歴史認識に大きな齟齬が生じるはずである。

が「ナイス!」と言っています。
ヴェネツィア
5つの短篇から成る作品集。いずれも、2019年から2020年にかけて「小説宝石」に掲載されたもの。軽やかなオカルトという共通点を持つが、こうして短篇集になった時に、結果として最良の配列になっている。巻頭に置かれた「海の家」は、物語世界への導入に最適であるし、巻末の「パンダに乗って」もまた掉尾を飾るのに相応しい。いずれの5篇も逸脱することのない暖かみを有している。コロナを正面から描く表題作「コロナと潜水服」にしても、実は現実を逸脱しているのだが、小説の中ではそれを感じさせない。実は他の4篇もそうなのだが⇒
Norikazu  Ando
2025/09/03 07:47

奥田作品にハズレなし(贔屓目ですが)

ヴェネツィア
2025/09/04 10:03

Norikazuさん、まあそう言えそうですね。

が「ナイス!」と言っています。
ヴェネツィア
ネタバレささき まき・作。シリーズ化されていて、本書はその第一作目のようだ。ねずみが旅をしていて、一件の家にたどり着く。そこはなんだか奇妙な家。お化け屋敷だったのかも…というお話。最後のページで汽車にもぐりこむシーンは、次作への繋ぎのためなのだろうが、いかにも唐突。絵はいかにも佐々木マキらしい、キッパリとしたタッチ。メイン・キャラクターのねずみもシリーズ化に耐えそうだ。でも、「ねむい」というだけで、ずっと通せるのだろうか。あるいは、そのマンネリこそが眼目なのか。
が「ナイス!」と言っています。
ヴェネツィア
好き嫌いはあるかも知れないが、藤村は日本近代文学にとっては大きな足跡を残した。しかも、詩においても、散文においてもそうだ。文語定型詩とスタイルこそ古いが、そこに籠められた抒情はまさしく近代のものである。散文では、やはり藤村を代表するのは『夜明け前』だろう。これまた近代の黎明を描いた小説である。そこでも描かれた木曾谷の旧家に生まれた藤村は、幸いにも写真や資料が多く残されている。写真は着物姿だったり洋装だったりするが、いずれもハイカラでモダンである。洋行もしているし、この時代にあっては傑出した文化人の一人⇒
ヴェネツィア
2025/08/24 17:13

⇒だったのだろう。直筆原稿もたくさん残っているが、上手いという字ではないものの、原稿はいずれもきわめて丁寧である。几帳面な性格だったのだろう。その後にいたるまで愛唱し続けたわけではないが、私は中学生の頃は、藤村の「千曲川旅情の歌」と「初恋」が好きであった。憧憬していたと言ってもいい。

が「ナイス!」と言っています。
ヴェネツィア
初出は昭和10(1935)年10月「文藝春秋」。太宰26歳。未完のようにも見えるが、これで完結しているのだろう。奥野健男や三島由紀夫らが高く評価しているようだ。究極のデカダンス小説と言えば、言えるのかもしれない。表題の「ダス・ゲマイネ」は、ドイツ語の"das gemeine"だろうが(異説もあるようだ)、だとすれば通俗的なというくらいの意味合いだろう。ただし、これは通常の意味での通俗性を意味するのではない。登場人物たちの全てがデカダンスを気取っており、しかもデカダンスの何たるかを掴みきれないのである。⇒
ネギっ子gen
2025/08/25 09:18

ヴェネツィアさん、面白いお話なので参加させてもらいますね。表題ですが、確かに太宰治のエッセイ『もの思う葦』で『ダス・ゲマイネ』からタイトルをつけたというようなこと書いてあるからそうなのでしょう。ただわたしは、異説の方が好み。出身地である青森県の方言の「だから駄目なんだ」という意味する「んだすけ、まいね」。こちらと併せた意図的に仕組んだ「ダブル・ミーニング」説を支持したいです。

ヴェネツィア
2025/08/25 18:05

ネギっ子さん、青森方言説もありますね。私もダブル・ミーニング説に賛成しようかと思います。

が「ナイス!」と言っています。
ヴェネツィア
せな けいこ・作。おばけえほんの1冊。「みせもの」というのが、なんとも時代がかっているが、昔はこういうのがあったなあ。文化相対主義といったテーマだろうか。いかにもありきたりなのだが、それでもこれが絵本として十分に成立するのは、ひとえに作者の絵の力。はり絵の技法が駆使され、それが最大限の効果を上げている。怖くないおばけの絵本なので、年少の子どもでも大丈夫。
ヴェネツィア
2025/08/24 07:49

でも、見方を変えれば、逆に相当に怖いかもしれない。

が「ナイス!」と言っています。
ヴェネツィア
この巻は、1921年に完成したフランク・ロイド・ライトのバーンズドール邸である。場所はハリウッドに隣接するオリーブ・ヒルと呼ばれる超一等地。施主はアリーン・バーンズドールだが、彼女は父親(南北戦争後に石油を掘り当てた大富豪)から財産を譲り受けており、豊富な資金力があったのである。この邸は複合的な建物から成るが、メインとなるのはホリホック・ハウスである。その全体の意匠は、およそライトらしくはない。誰しもが第一印象として抱くのは、中米マヤの遺跡とのイメージの重なりである。表紙からも、それは窺えなくはないが⇒
ヴェネツィア
2025/08/23 16:58

⇒建物の全体を見れば、より明らかである。色といい、形態といいまぎれもなくマヤの神殿を連想するはずだ。細部の装飾もまたそうだ。さらには内部空間にまでそれは及んでいるのである。およそライトらしくはないが(私はそう思うのだが、専門家から見ればそうではないのかも知れない)実に素晴らしい大豪邸である。なにより神秘的な気配が濃厚に漂うのである。

が「ナイス!」と言っています。
ヴェネツィア
上巻では、ルーシー・スノウの語りがライブな時制でなされているものだと思って読んでいた。ところが、下巻を読了した今では、それは全てが終わってから回想された過去であったことがわかる。そもそも、グレアムとポーリーナの物語かと誤解しそうになったこと自体も、語り手の計算のうちにあった、いわば語りの詐術であった。私たち読者は、そんな風な曲折を経てようやくルーシーの実像らしきものにたどり着くのである。『ジェイン・エア』が持っていた外へ向かう情念は、ここでは徹底して内に向かっていた。物語の結末からは、ルーシーの自分自身⇒
ヴェネツィア
2025/08/23 16:40

⇒からの解放をみるべきなのだろうか。あるいは、そこにあるのは達観と諦念なよだろうか。なお、最後の結びの一文は、フローベールの『ボヴァリー夫人』を思わせる。

が「ナイス!」と言っています。
ヴェネツィア
小野かおる・作。屋根をめぐる文字と絵による考察。実によくできていて、子どもも大人も大いに楽しめる。大昔の洞窟から始まる。そして、横穴と竪穴の住居へ。その次は洛中洛外図屏風(1550年頃)の京都。板葺きの屋根は洛外か。西洋と東洋の家の建て方の違いもレクチャー。また、様々な屋根の材料と製作方法も。ユニークな屋根は、タナトラジャのトンコナンやアルベロベッロのキノコ型の石の屋根。北極圏には氷の屋根、中東には石ですっかり固めた屋根。中国のヤオトンに、カッパドキアの家の屋根。案内役のネコもビックリ。
ヴェネツィア
2025/08/23 12:11

屋根に注目しての紀行もいいな。日本の一つの町だけでも随分と色々な屋根がありそうだ。大阪あたりのビルディングなどは、屋上に稲荷社があったりもするし。海外屋根紀行も楽しそうだ。

が「ナイス!」と言っています。
ヴェネツィア
パット・ハッチンス 作。ウサギがフクロウに「あした うちへ あつまってね」と、こっそり耳打ち。フクロウからリスに、リスからアヒルへと伝言ゲームが広がって行く。でも、その内容は何だかバラバラ。最後はめでたくみんなでパーティー…というお話。実に他愛ないお話だ。この絵本の生命はやはり絵。ここでも独特のハッチンス・スタイル。動物たちの身体の模様が、人によっては、ちょっと気味が悪いかも。私はこのシンメトリーと版画のようなタッチがいいと思うのだが。
mitu
2025/08/23 09:05

ヴェネツィアさん、おはようございます。「ロージー」は読み聞かせした気がします。

ヴェネツィア
2025/08/23 17:35

mituさん、こんにちは。『ロージー』が代表作でしょうかね。

が「ナイス!」と言っています。
ヴェネツィア
初出は昭和29(1954)年7月「文章倶楽部」。太宰の死後6年も経ってのもの。このエッセイの中では、婦人公論のNさんからの依頼原稿ということになっているので、結局この時にはは掲載されなかったのだろうか。また、『恩讐記』なるものも残されていない。でも、どうやらこの時のNさんとのやりとりは、ほぼこのようなものであったと思われる。また、昭和15年の読者との記述もあるので、それは本来はその年の婦人公論に掲載されるはずだったのだろう。何か憚られるような箇所があったのか。しいて探すとすれば、忠臣蔵と曽我兄弟のくだり⇒
ヴェネツィア
2025/08/22 16:55

⇒くらいしか見当たらない。軍部はこれが気に入らなかったのだろうか。ここが太宰らしくて一番面白いところなのだが。

が「ナイス!」と言っています。
ヴェネツィア
忠実な報告者、メアリー・スノウが語る物語といった形式をとる。最初の3章までは、もっぱらグレアムとポーリーナのことが語られるので、この2人を主人公にした物語だと思って読み進めていた。ことにポーリーナが魅力的であるがゆえに、そこからルーシーの物語に転じた時には、読む速度までが落ちたほどである。タイトルのヴィレットは架空の町のようだが、シャーロットの経歴からすると、モデルになっているのはブリュッセルのようだ。途中からは、ルーシーの苦難の物語めいてくるが、後半ではグレアムと再会し、さらに上巻の最後にはポーリーナ⇒
ヴェネツィア
2025/08/22 14:31

⇒と思しき若き女性も再登場する。ポーリーヌ贔屓の私としては、嬉しい限りである。下巻でも、主軸はやはりルーシー・スノウの物語であり、ポーリーヌは花を添えるだけなのか。あるいは…という期待を持って下巻へ。

が「ナイス!」と言っています。
ヴェネツィア
この巻は、全6巻の総集編。著者の後藤真樹は写真家。編集に一貫性が欠如しているために、やや散漫で恣意的な感を与える。本書では、日本の食の原点を「水」、「米」、「出汁を引く」あたりに置いているようだ。特集的に扱われるのが永平寺のごま豆腐と京都のおばんざい、そして五箇山の「ホンコサマの御膳」。さらには北の料理の代表としてのアイヌ料理、南からは沖縄料理が紹介される。最後に全国の郷土料理の地図付き一覧があるが、これもやや恣意的かつ、伝統料理というには疑わしいものも含まれる。結局、何が言いたかったのかわからない。
ヴェネツィア
2025/08/22 10:48

最終巻であるだけに残念。ほんとうに伝統的な、その地域に根ざした料理、そして新しく作り出されたネオ郷土料理と、あらためての体系的な考察が望まれる。

が「ナイス!」と言っています。
ヴェネツィア
石津ちひろ・文、山村浩二・絵。文とはいっても、見開き2ページに「おたまの たまのり とまらない」や「へらが ふらふら フラダンス」など、短い言葉があるだけ。これらの文は、リズミカルといえばそうだが、切れ切れで相互の脈絡には乏しい。したがって、80%以上は絵に負っているだろう。絵はなかなかにカラフルにして軽快なタッチで、サーカスの祝祭感も伝える。幼児向けの絵本だろうが、はたして再読に耐えるだろうか。
が「ナイス!」と言っています。
ヴェネツィア
初出は昭和15(1940)年1月「新潮」。太宰31歳。いつもの書けない病である。「雑誌『新潮』に、明後日までに二十枚の短篇を送らねばならぬ」のであるが、それができない。「腹案はちゃんとできていて」などと言いつつ、それでは駄目なことはわかっている。そこで編み出したのが、まずはミケランジェロの聖母子。そして4年前の入院と退院。ここで『人間失格』のタイトルが出てくるが、それが実を結ぶのは戦後だ。さらには5年前の思い出。このあたりまでは、なんとか小説として上手くいきそうだった。だが、それもここまで。「もう種が⇒
ヴェネツィア
2025/08/21 17:00

⇒無くなった。あとは捏造するばかりである」として、持ち出してきたのが、かつての成功作『女生徒』。読者としては、犬のジャピイとか懐かしくはあるのだが、如何せん二番煎じ。しかも、あの憧憬に満ちた結びには遠く及ばない。

が「ナイス!」と言っています。
ヴェネツィア
この巻はルイス・I・カーン設計のキンベル美術館。1972年、場所はフォートワース(テキサス州)。「私は原初を愛する。私は原初に驚嘆する」と語るカーン。このキンベル美術館が彼の代表作とも言われているのだが、かなり奇妙な建物である。全面がコンクリートの打ちっぱなしであり、外観からはとても美術館には見えない。私の印象から言えば、兵舎か、ことによれば霊廟のように見えなくもない。内部もコンクリートがむき出しであり、これまた無機質に見える。ただ採光には万全の工夫が凝らされていて、天井から取り入れた光を一旦反射させる⇒
ヴェネツィア
2025/08/21 14:46

⇒など、これは美術館としての機能を追求した結果でもあるようだ。ちなみに、キンベル美術館はミケランジェロなどのルネサンス美術からピカソらの現代美術にいたるコレクションを誇っている。

が「ナイス!」と言っています。
ヴェネツィア
私がコム デ ギャルソンを着ていたのは、20代の終わりから30代のはじめ頃まで。そこからはアルマーニに転向したので、3年間くらいか。40代の半ばからはゼニアに移行したので、アルマーニ時代は10年間くらい。コム デ ギャルソンに飽きたというわけではないが、何となく子どもっぽいような気がしたのだった。本書を読むと、それは間違いだったようだ。各国のデザイナーたちがこぞって川久保玲を絶賛している。ダナ・キャラン、アレクサンダー・マックイーン、ウォルター・ヴァン・ベイレンドンク…何人も何人もである。なにしろ、⇒
ヴェネツィア
2025/08/21 14:32

⇒本書のタイトルは『世界が語るコム デ ギャルソン』である。たしかに、今あらためて見ても斬新だ。それに思っていたよりもカラフルでもある。なお、本書はNHKの取材フィルムを書籍化したもの。製本、装丁は平凡社。こちらもなかなかに斬新。

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ヴェネツィア
いもと ようこ・絵と文。内容は『旧約聖書』創世紀第6〜9章の記述を、子ども向けにアレンジしたもの。女子パウロ会の発行なので、内容はお墨付き。絵は、この人独自のはり絵の技法によるもの。色彩も美しく、綺麗な絵本に仕上がっているのだけれど、ノアも動物たちも可愛い過ぎるようだ。表情ものんびり、うっとりとしていて、まるで遠足にでも出かけるよう。これでは、危機感が皆無だろう。
が「ナイス!」と言っています。
ヴェネツィア
初出は昭和11(1936)年「新潮」。太宰27歳。「愛ハ惜シミナク奪ウ」などと格調高く掲げながら、そこからは只管に書けないスランプの苦しみを吐露する。途中でも「もういい。太宰、いい加減にしたらどうか」などと言い出す始末。あれこれと書いているけれど、これらの煩悶はつまるところ、芥川賞のことが気になって気になって仕方がなかったからではないか。この時期には、井伏の言葉もあって、太宰は受賞にやや楽観的な風でもあるが、とにかく何が何でも欲しかったのだろう。結果は、夢破れてということになるのだが。
が「ナイス!」と言っています。
ヴェネツィア
昭和は1926年から1989年まで、実に63年間もあった。昭和元年生まれの人は現在99歳、そして昭和末年生まれだと36歳になる。そうしてみると、昭和が終わって36年。平成や令和生まれからすれば、昭和はもはや遥かな過去の時代か。中村草田男の句に「降る雪や 明治は遠くなりにけり」というのがあったが、今では昭和がその位置である。昭和時代の最大の事件は、言うまでもなく第2次世界大戦だろう。本書は主に戦中と戦後の子どもたちの写真。昭和生まれの私には懐かしい光景もあちこちにある。かつて、遊び場所はどこにでもあった。⇒
ヴェネツィア
2025/08/20 14:06

⇒それが私にとっては今との一番大きな違いだろうか。一方、戦時中の子どもたちの写真を見ていると、その健気さに涙を誘われそうになる。彼らはそんな時代を何とか生き延びたのだ。

が「ナイス!」と言っています。
ヴェネツィア
永井愛は初読。二兎社主催。数々の演劇賞に輝く。本作は1997年度芸術選奨文部大臣新人賞と翌1998年の第1回鶴屋南北戯曲賞を受賞。劇の基軸を成しているのは、タイトル通りに「ら抜き言葉」である。また、そこから派生し、敬語、日本語のジェンダー、方言、諺などに及ぶ。終始、言葉がテーマになっており、所作の動きは少ない。面白いのだが、言語としての日本語に興味が薄ければ、劇としての楽しみも薄そうだ。逆に言えば、劇の形を取っているが、日本語論としても興味深い。このあたりは、ちょっと井上ひさしのお芝居を連想させるか。
ヴェネツィア
2025/08/20 11:22

劇中で、日本語の特徴の一つとして、女言葉の問題が取り上げられているが、たしかに世界の言語の中では、とりわけそれが発達した珍しい言語である。劇中で語られるように、歴史的には(あるいは現代においても)それだけ抑圧されてきたことの証であるのかもしれない。

が「ナイス!」と言っています。
ヴェネツィア
石井桃子・文、横内 襄・絵。家を飛び出した子猫のちょっとした冒険と、お母さん猫の救出を描いた作品。文も絵も徹底的にリアリズム。ことに絵は猫の動作や表情など見事に写実的に描いている。読み聞かせの対象としては、やはり幼児か。最後のページなどは共感を得られそうだ。また、大人(といっても、高年齢)には、街並みと車にノスタルジーを感じるだろう。
が「ナイス!」と言っています。
ヴェネツィア
写真と文は、アジアの食文化紀行では第一人者ともいうべき森枝卓士。子ども向けということもあって、カレーのルーツや来歴についてはごくごく一般的なもの。ただ、インドのカレーについては、もう少し地域差についての記述が欲しかったところだ。一方、構成には工夫が凝らされていて、初っ端から子どもたちとカエルカレーに挑戦する。カエルだけを調理して(最も一般的なのはモモのフライか)出されると、子どもたちも腰が引けるかも知れないが、カレーに入ってしまえば食べやすいだろう。そこがまたカレーの偉大なところだ。カレーの中継地⇒
ヴェネツィア
2025/08/19 15:35

⇒イギリスにも足を伸ばしているが、たしかに、イギリスのカレーが紹介されることはあまりない。インドからイギリスを経て、日本にたどり着いたカレー。カレーパンにカレーうどん、カレーラーメンからカールカレー味など縦横無尽の変化を遂げた。

が「ナイス!」と言っています。
ヴェネツィア
本作はクリスティ自身が自作の中から選んだベスト10の中に入っている。ウィリアム・ブレイクの詩句から取られたタイトルも、そしてそれを実に巧みに活かしたプロローグとエピローグにあたる部分の叙述もなかなかの格調の高さを示している。しかし、構成に関して見れば、最後の章段に物語の核心が置かれているのは、いささか残念である。なぜなら、そこにいたるまでの主人公(語り手でもあるマイケル)に魅力が乏しいために、大半に冗長な印象が残るからである。こんな男に知性も豊かなエリーが簡単に籠絡されてしまうだろうか。
歩月るな
2025/08/20 23:35

「こんな賢い人がこんなことになるか?」ごもっともです。しかし それは「賢く見える」だけではありませんか? 世の中の賢い人はどうでしょう? つまらない人間に引っかかっていませんか? そういうことじゃありませんか?

ヴェネツィア
2025/08/21 13:30

歩月るなさん、それはそうかも知れません。それにしても、マイケルにもう少し魅力があってもよかったのにと思います。

が「ナイス!」と言っています。
ヴェネツィア
戦争の元にあった子どもたちを撮る。ベトナム戦争、レニングラード包囲戦など、20世紀はまさに戦争の世紀であった。戦災孤児となって呆然とする子どもたち、手や脚を失った子ども、銃火の中を逃げ惑う母と子、、アウシュビッツのたくさんの子どもたち、枯葉剤の犠牲になった子ども…。20世紀の戦争は戦闘員だけのものではなくて、総力戦だった。だから、子ども たちにも容赦なく襲いかかる。私たちは子どもに未来を見るのだが、ここにはその未来がない。それでも子どもたちは生きる。映画にも、「禁じられた遊び」や「火垂るの墓」など⇒
ヴェネツィア
2025/08/19 06:51

⇒子どもと戦争を描いたものがある。もちろん、今のこの時にもパレスチナやウクライナなど、戦禍に苦しむ子どもたちがたくさんいる。

が「ナイス!」と言っています。
ヴェネツィア
クライド・ロバート・ブラ 文、市川里美 絵。ブラはアメリカの児童文学作家、市川はパリやニューヨークでも活躍するイラストレーター。姉のジェニーと兄のマイクとハワード。そして、末っ子のアレン。どこでもすぐに置いていかれてしまうので、アレンはいつも一所懸命に走ってる。走り疲れて転んだら、そこには新しい風景が…というお話。市川の絵はアメリカ絵本っぽいタッチ。よく文章を支えている。何のことはない絵本だけど、末っ子には共感を呼ぶかも。
が「ナイス!」と言っています。
ヴェネツィア
初出は昭和12(1937)12月「日本学藝新聞」。太宰28歳。『晩年』こそ上梓したものの、まだ駆け出しの作家であった太宰が「創作余談」を書くようにとの依頼を真顔で受けたとも思えない。幾分かは嬉しくもあり、また大半は困惑というところであっただろう。文体は読者に語りかけるというスタイルを取っているのだが、自らに言い聞かせてもいるのである。しかし、最後のマニュフェストを見ると、覚悟は相当なものであったようだ。曰く「私たちは、全く、次の時代の作家である」と。そして、アレクサンドル・デュマで締め括る。意気やよし。
ヴェネツィア
2025/08/18 16:46

この時代(昭和12年)には、まだマルクスやエンゲルス、レーニンなどと書けたのだなあと、感慨が湧く。翌年あたりからは、次第にそうもいかなくなるはずだ。

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ヴェネツィア
ネタバレ岩合日出子・文、岩合光昭・写真。「らくらく きのぼり 1ぱんだ」、「のはらで のんびり 2ぱんだ」…という調子で.ページを繰るごとに1ぱんだずつ増えていく。どれも、パンダの最高に可愛い瞬間を巧みに切り撮っている。ただし、さすがに野生のパンダではなく、四川省臥龍の中国保護大熊猫研究中心などの協力を得て撮影されたようだ。巻末には「ぱんだについて しりたいこと10」のおまけもついていて、これはパンダについてのミニ百科。どのページも、子パンダたちがほんとうに可愛い。パンダ好き必見!
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ヴェネツィア
『雲』のみ。初演は紀元前423年春、ディオ二シューシア祭で。作中にソクラテスが重要な役どころで登場するが、この年にはまだ存命中で45歳くらいだったはず。喜劇は、これほどにライブなものだったのである。タイトルにも冠されている「雲」は、ここでは女神たちが姿を変えたものとして讃えられている。それはいいのだが、ソクラテスのゼウスの扱いは惨憺たるもので、これでは観衆たちの反感を買いかねないだろう。そもそも、アリストパネスの目的もそこにあったやも知れないのである。だとすれば、ソクラテスの死罪にも加担していたことに⇒
ヴェネツィア
2025/08/18 09:49

⇒もなるだろう。ギリシャ喜劇、実に恐るべしというところか。

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ヴェネツィア
設計はニコラス・グリムショー&パートナーズ。グリムショーは、ロンドンのウォータールー駅などを設計した建築家。本書のセビリア万国博覧会・英国パビリオンだが、通常のビルディングとは設計のあり方が大きく異なると思われる。すなわち、開催期間だけの建物なので、永続的な耐久性は問われないのである。むしろ、英国に付随した堅牢な、あるいは野暮ったいといったイメージを払拭する華やかなものが求められていた。グリムショーは、この課題を見事に、あるいはそれ以上のものとして乗り越えているようだ。この建物には、美し さと軽やかさを⇒
ヴェネツィア
2025/08/18 08:10

⇒兼ね備えた機能美が実現されているのである。唯一、装飾的に見える屋根の帆船の帆のような翼も、ソーラーパネルとして機能し、建物全体にエネルギーを供給している。また、建物の構造を支える軽量鉄骨も直線とカーブの配列が実に美しい。ガラス張りのファサードの美しさは英国のイメージを一新したことであろう。

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ヴェネツィア
初出は昭和15(1940)年4月「文藝」。太宰31歳。善蔵は、同郷の葛西善蔵だと思われるが、なぜタイトルに冠されているのかは不明。津軽(葛西善蔵の出身地は弘前)という以上の繋がりは無さそうなのだが。もっとも、本篇では執拗なくらいに「衣錦還郷」が何度も出てくるが、太宰の心中にはずっとこの言葉が巣食っていたのだろう。なんとしても故郷の津軽に錦を飾って戻りたかったのである。それはもう涙ぐましいくらいの痛切な思いであったに違いない。できることならば、本物の仙台平の袴をはいて。
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ヴェネツィア
ガウディはこれで何冊目だろうか。思い起こせば、ガウディとの最初の出会いは大学1年生の時。何がきっかけだったか忘れてしまったが、最初に関心を持った建築家がガウディであり、サグラダ・ファミリアであった。そこからモンタネールらのバルセロナ・アール・ヌーヴォーへ、やがては様々な様式に触れるようになったのだった。さて、本書のガウディでは、当然サグラダ・ファミリアやカサ・ミラ、カサ・バトリョなども紹介されているが、カサ・ビセンテがかなり詳しく写真も多い。次いでは、これもあまり出てこないキハーノ邸やアストルガ司教邸⇒
ヴェネツィア
2025/08/17 16:12

⇒ボデガス・グエル、コロニア・グエル教会などにも光をあてている。更に珍しいところでは、ベリェスガールなども登場するなど、やはりガウディ好きには見逃せない1冊だ。

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ヴェネツィア
著者のイアン・バーンズはダービー大学歴史学科の教授。ハルシュタット文化(紀元前750-450年)の時代にはじまり、現代にいたるまでのケルト世界と文化の歴史を総覧する。時間的にも空間的にも、実に壮大なスケールである。ハルシュタットをはじめ、この文化の揺籃の地は、おおよそ今 のドイツ語圏に重なる。そこから、端を発して、ヨーロッパの全域から、遠くはアメリカ大陸、オーストラリアにまで拡散して行った。現代のケルト世界といえば、ブルターニュ、アイルランド、コーンウォール、マン島などを思うが、実際は遥かに広範なようだ。
ヴェネツィア
2025/08/17 14:31

ニューヨークでセント・パトリック・デイに遭遇したことがあるが、緑のスカーフを巻いた一大集団がセント・パトリック教会へと向かっていた。彼らもまたケルトの末裔である。

が「ナイス!」と言っています。
ヴェネツィア
トリーナ・パウルス 作。この人についてはほとんど情報がなく、名前からすればアメリカ人女性、そして内容からはフラワー・チルドレンの流れをくむ人ではないかと想像される。活字を用いないで、手書きの文字を製版印刷したものである。このあたりにも、こだわりがあるのだろう。お話は、毛虫の誕生から羽化までを描くのだが、今一つ主題が明瞭ではない。生き物としての摂理を語るのだろうと思われるのだが、そうすると毛虫の塔は何のためなのだろうか。無駄な足掻きをやめて、摂理に従え…でもなさそうだ。絵はモノクロームに一部彩色を⇒
ヴェネツィア
2025/08/17 07:58

⇒施したもの。全体は、長すぎて読み聞かせは無理だろう。自分で読むとすれば、小学校中学年くらいからか。

が「ナイス!」と言っています。
ヴェネツィア
初出は昭和11(1936)年11月「文藝通信」。新聞に投稿された中條百合子(後年の宮本百合子である)の抗議「文學に何ぞ、この封建風の徒弟気質」から起筆し、自らの幸福な境遇を語る。曰く「井伏さんからは特に文章を、佐藤先生からは特に文人墨客の魂を、菊池氏からは家を」。それぞれ、井伏鱒二、佐藤春夫、菊池寛であることは言うまでもない。また、それぞれへの敬称の付け方が違っているのも面白い。察するに、一番近しいのは井伏鱒二、敬愛しているのが佐藤春夫、菊池寛との付き合いは、もっぱら編集者としてであろう。
が「ナイス!」と言っています。
ヴェネツィア
松谷みよ子・文(詩というべきか)、瀬川康男・絵。対象年齢は1、2歳くらいだろうか。「だれでしょう」、「ワン ワン ワン ぼくは いぬです」といった応答が、いさにもリズミカルだ。単調といえば単調だが、その繰り返しが、絵本全体としてのリズムを構成するのである。絵もこれに呼応するかのように軽快、かつ重厚なところもある。エンディングはとりわけ言葉のリズムと絵のスピード感が楽しい気分を醸成する。
が「ナイス!」と言っています。
ヴェネツィア
著者の結城昌子氏は、巻末の略歴ではアートエッセイストとあった。この原寸の企画はなかなかにいいアイディアだ。視点を近づけることで見えてくるものも多い。例えば、巻頭のボッティチェリ『ヴィーナスの誕生』では、ヴィーナスの顔と指の輪郭線がはっきりと見える。『春』でもそれは同様である。ところが、ダ・ヴィンチの『モナリザ』にはそれがない。また、デューラーの細密画にも匹敵する『野ウサギ』のリアルや、ボッシュの『悦楽の園』の透明球体なども実に鮮やかに見てとることができる。また、拡大した時のタッチと、離れたところから見る⇒
ヴェネツィア
2025/08/16 10:42

⇒それとの決定的な違いもよくわかる。いくつもの発見する喜びがあるのだが、ターナーの『雨、蒸気、スピード:グレート・ウェスタン鉄道』の持つ印象派への先駆性や、見えなかった人影などもそうだ。

が「ナイス!」と言っています。
ヴェネツィア
一種のディストピア小説だろう。全寮制の高校と思しき隔離された環境で物語は展開する。そこでは、1日に3回のオーガズムが義務付けられ、後はひたすらに体力増強と、日々、直感を鍛える試験を受け続ける。すなわち、そこの生徒たちは、知らず知らず思考停止を強いられているのである。それが何のためであるのかは、最後までわからない。そもそも始まりもなければ、終わりも判然としない。わずかに学校の解体が仄めかされてはいるのだが。本書は作家の意図はわからなくはないが、どうやらそれが空転し、通俗化の方向に傾斜してしまったように⇒
ヴェネツィア
2025/08/16 07:54

⇒思われる。作中の催眠中の物語や、演劇部の公演作品の長々とした記述も、小説全体の中での位置づけが不明瞭なままである。構想が上手く結実しなかったか。

が「ナイス!」と言っています。
ヴェネツィア
菊池寛は、昭和23年3月に60歳で亡くなっている。芥川をはじめとした彼の盟友たちに比べると長生きではあったが、それでも若死にだろう。それは、まさに駆け抜けるような一生だったに違いない。死後に筐底から発見された遺書には「私はさせる才分無くして文名を成し、一生を大過なく暮らしました」とあった。そうしてみると、これまた芥川らとは違って、幸せな一生だったのであろう。「文藝春秋」創刊以降の菊池の写真を見ると(例えば表紙の写真) 作家というよりは、実業家(事実そうだったのだが)然としている。『真珠夫人』をはじめ⇒
ヴェネツィア
2025/08/15 17:01

⇒たくさんの作品を残しているが、やはり菊池寛の最大の功績は芥川賞と直木賞の創設だろう。今にいたるも、毎年の春秋、読書子ばかりか社会的なニュースとして取り上げられているのであるから。

ヴェネツィア
2025/08/15 17:02

篇中で一番珍しい写真は、水着姿の菊池寛。もっとも、あまり見たいというようなものではないのだが。

が「ナイス!」と言っています。
ヴェネツィア
巻頭を飾るのは日本銀行本店である。設計はもちろん辰野金吾。さすがに国家の枢要を成すべく建てられただけあって、見る者を威圧するごとくに迫ってくる建物である。日本には珍しい、石の厚さと重量のせいかと思われる。いかにも西洋風の古典様式に見えるが、かなり色々な要素が混淆しているようである。私に馴染みが深いのは大阪支店であり、本店の写真を見るなりそれを思ったが、こちらも当然のごとく辰野金吾のもの。なお、和洋折衷の本店内部は、よく言えばバロック、だがほとんどもう悪趣味の一歩手前である。そして辰野金吾といえば、⇒
ヴェネツィア
2025/08/16 05:06

tacchiniyanさん、辰野金吾の作品はかなり沢山残されているようです。

おとん707
2025/08/16 09:49

ヴェネツィアさん、そうなんです。サントリーホールを含むアークヒルズの建設の時でした。新会堂は旧会堂の面影を残すように考慮はされているのですが。

が「ナイス!」と言っています。
ヴェネツィア
感想は『騎士』のみ。そもそも喜劇というものは、極めて相対的なものなのだろう。一方の悲劇は、そのすべてがではないものの、絶対の領域に半ばは身を処しているが、こと喜劇は全て相対化においてしか成立しないように思われる。したがって、それが演じられた時の社会の状況との関係に於いてしか了解し得ない事柄が多いのである。さて『騎士』だが、本篇はピュロスの攻防戦がその背景にあった。すなわち、主戦論を唱えたクレオーンが自ら軍団を率いて凱旋。大いに勝利の栄光をその手に収め、彼の全盛期がここに招来したのである。そして、⇒
ヴェネツィア
2025/08/15 10:55

⇒ここからがアリストパネスの凄いところなのだが、そんなクレオーンを礼賛するのではなく、彼に擬せられたのは舞台上の攻防で敗北するパプラゴーンなのである。相手の腸詰屋との言い争いは、もうほとんど子どもの喧嘩といったレベルなのであるが、当時の観客たちには大いにウケたようなのである。笑いの感覚は相対的であることを免れないために、現代の私たちには何が面白いのか、ほとんどわからないほどである。

が「ナイス!」と言っています。
ヴェネツィア
E.H.ミナリック 文、モーリス・センダック 絵。Little Bearのシリーズ(全5冊)の1冊。4話の連作短篇から成る。いずれも、くまくんが主人公。それぞれは短いながら、かなりしっかりとした構成で、短篇小説の体を成している。また、各キャラクターの造形も上手い。絵は比較的初期の頃のセンダックかと思われる。面白いのは、お父さんとお母さんは擬人化されているのだが、くまくんと他の動物たちには、表情以外にはそれがないところだ。不思議な抒情を喚起する絵。
が「ナイス!」と言っています。
ヴェネツィア
石川啄木というと、赤貧のイメージなのだが(私の勝手な思い込みであるのかも知れない)、幼少時から結構沢山の写真が残されている。出生は明治十九年、岩手県南岩手郡日戸村の常光寺の住職の長男(姉は2人いた)であった。盛岡高等小学校時代や盛岡中学の時の写真も残っている。一貫して、やや童顔か。なお、表紙の写真は、明治四十一年(啄木23歳)に金田一京助と一緒に撮られたもの。他に意外だったものは、詩稿ノート「呼子と口笛」や「YELLOW LEAVES」などに見られる、思いもよらないモダニストぶりである。
が「ナイス!」と言っています。
ヴェネツィア
ネフェルタリは、第19王朝時代の第3代ファラオ、ラムセス2世の最初の王妃。神后の称号で呼ばれた。紀元前1255年頃に死去したようだ。このネフェルタリの墓は1904年にエルネスト・スキャパレッリによって発見され、1986-1992年にゲッティ保存研究所とJ・ポール・ゲッティ博物館のスタッフ等によって、徹底的な修復が試みられた。その結果を示したのが本書。残されていた壁画の美しさと、それが持つ歴史的、美術史的意義は実に大きい。オシリス、ラー、マアト女神などの神々、牛をはじめとした動物、そして「死者の書」。
みゃーこ
2025/08/14 18:14

素晴らしい

ヴェネツィア
2025/08/15 04:40

みゃーこさん、一見の価値がありますよね。

が「ナイス!」と言っています。
ヴェネツィア
タイトルからはエッセイかと思っていたが、小説。もっとも、物語的な起伏は小さく、終始淡々と進んでゆく。主人公であり、物語の視点人物の役割を果たすのは沙希。それまでのアメリカ暮しを捨てて、先頃帰郷し、ここ「うらはぐさ」の女子大で2年契約の教員として働いている。「うらはぐさ」は、武蔵野あたりを漠然と指しているようだが、直接のモデルとなっているのは、西荻窪の東京女子大とその近郊あたりである。地名としての「うらはぐさ」は、古き良き武蔵野を彷彿とさせ、そこには独特のノスタルジックな感傷が付加される。作中の⇒
ヴェネツィア
2025/08/14 15:14

⇒「あけび野商店街」、「布袋」、「丸秋足袋店」などが、こうした懐古趣味に一層の彩りを添える。登場人物たちもまた揃って現代の忙しい時間の中を生きてはいない。続編を匂わせるような終わり方だったが、続編があればまた読みたくなる小説である。

が「ナイス!」と言っています。
ヴェネツィア
ピーター・スピア作。スピアは、オランダ出身でアメリカの作家・イラストレーター。本書にはお話はなく、各ページごとにいろんなシーンでひたすらにオノマトペが絵と音とで描かれる。台所のシーン、リビングのシーンといった風に。ただ、そうしたシーンの中でのそれぞれの絵相互の関連性はあるものの、基本的には一つの絵に一つのオノマトペという対応である。面白みには欠けるかなあ。中には言葉のない絵本 もあるのだから、オノマトペだけでもお話を構成できるはずだ。
が「ナイス!」と言っています。
ヴェネツィア
『惜別』に先立って、おそらくは執筆の依頼を受けて間もなくの頃に書かれたものと思われる。本文中で、太宰は後年の魯迅の文学論には興味が持てないと語っており、したがって魯迅になる以前の医学生であった周さんを書くのだと述べている。たしかに、太宰が描いた周は、様々な思いから悩み多き時期にあった。すなわち、周は日本にいながら故国中国(当時は清であったが)が、まさに新生中国に変転しようとする時期にあり、その中で苦闘する若い人たちを思っていたのである。それを描くことには成功もしていたが、同時に「日支全面和平」などと⇒
ヴェネツィア
2025/08/13 15:51

⇒依頼者の期待を過剰に忖度してしまい、それが小説の純化を妨げた結果になったものと思われる。

が「ナイス!」と言っています。
ヴェネツィア
本書が書かれたのが2018年から2020年。その頃に活躍していた女性の政治家たちを俎上に載せて、ブレイディみかこさんが切れ味鋭く語る政治家評論。まず最初に思ったことは、自分が世界の政治動向にも、フェミニズムにも疎い事である。さすがに、かつてのサッチャーやメルケル、アーダーンは知っていたけれど、本書の中でもとりわけ興味深く読んだアレクサンドリア・オカシオ=コルテスは今まで全く知らなかった。実に痛快、かつ政治的に有能な人だ。日本にこんな人がいないのはまことに残念。もっとも、アメリカにだって類を見ないのだが。⇒
ヴェネツィア
2025/08/13 13:40

⇒分析家としてのブレイディみかこさんが最も冴えを見せるのは、「極右を率いる女たち」である。イスラモフォビアと女性の右傾化やフェミニスト運動と右派の女性政治家との関係など実に見事に解き明かしてくれる。お勧め!

が「ナイス!」と言っています。
ヴェネツィア
著者の平松洋氏は、作家・美術キュレーター。本書の構成は、「ギリシャ神話の美女たち」、「キリスト教の聖女たち」、「物語と寓意画の美女」、「美しき肖像」、「美女たちの風俗」から成っている。つまり、描かれた素材ごとに集められているために、絵画としての様式は、いわばバラバラである。絵画において美女が語られるにしても、時代によってその基準や好みは大きく異なるであろう。描かれたものがヴィーナスであったとしても、それらは相当に開きがあるはずだ。例えば、ルネサンス期に描かれた美女、印象派のそれといった分類と解説の方が⇒
sheemer
2025/08/13 12:06

ジョン・エヴァレット・ミレイの「エステル」は絵そのものも物語性も含めて好きです。

ヴェネツィア
2025/08/13 13:46

sheemerさん、おそらくは平松氏の好みなのでしょう。私は好きな絵がいっぱいあります。

が「ナイス!」と言っています。
ヴェネツィア
さの ようこ・作。おにいさんは、あおいリボンのついたぼうし、わたしはあかいはなのついたぼうし。全ページ、ぼうしの話題で突っ走る。お話は、ぼうしのことしか語らないのだけれど、「わたし」の造形がそこに次第に像を結んでゆく。絵は太い描線(けっして強すぎない)で縁どられ、柔らかなパステルカラーが添えられる。
ヴェネツィア
2025/08/13 07:47

最初は気が付かなかったのだが、この絵本は、女の子の細やかな愛情を表現していたのだった。この愛情はきっと大きくなっても失われることはないのだろう。あるいは時々は形を変えて、例えば慈しみのように、続いていく。

が「ナイス!」と言っています。
ヴェネツィア
初出は昭和15(1940)年1月「新潮」。太宰31歳。成立の事情については、本文の「あとがき」によれば、内閣情報局と文學報国会の委嘱によって書かれたということになる。太宰はしきりに、これらの機関からは何らの干渉もなく、全く自由に書いたと述べているのであるが、日露戦争の勝利や、日本の精神がいかに優れているかについて、執拗なくらいに述べており、太宰の忖度が疑われる。さて、小説は東北地方の某村で開業する老医師の回想という形式をとる。仙台医専を舞台に、周樹人(後の魯迅)と藤村先生を描くのだが、最後の「惜別」の⇒
ヴェネツィア
2025/08/12 15:30

⇒くだりこそ小説としての成果を示すが、全体としては無駄に長い印象である。孫文と中国の革命状況、およびそうした中で仙台にいて揺れ動く周、そして灯籠事件を契機に周が帰国し、魯迅となる、そうした中核部から惜別へと導いていくべきではなかったか。

が「ナイス!」と言っています。
ヴェネツィア
近未来ディストピア小説。だが、昨今の情勢を見ると、これは近未来ではなく、少しだけ位相のズレた現代のディストピアか。置かれた境遇はそれぞれなのだが、7人の在日の若者たちを描く。社会への向い方もまた違っている。梨花たちは韓国への移住を敢行するし、太一たちは日本社会を揺さぶるべく、ある種のテロリズムを計画する。なぜなら、この物語の中の日本において、韓国人(ニューカマーもオールドカマーも全ての在日を含む)は、極めて生きにくい状況に置かれているからである。いくつものエピソードが描かれるが、その中で最も痛切なのは⇒
ヴェネツィア
2025/08/12 14:04

⇒マヤの死をめぐる一連のエピソードだろう。彼らは(ほんとうは彼らだけの問題では全くないのだが)共通して明日への希望を奪われている。小説全体の世界観の構築はなかなかによくできている。ただ、結末部があれではあまりにも残念である。なお、本書の成立の背景には「サフラジェット」があったと思われる。

が「ナイス!」と言っています。
ヴェネツィア
映画と演劇のポスターが満載。ポスターの出来次第で観客動員数も大きく違うだろう。1枚のポスターに賭けた、アート・ディレクターの執念たるや並々ならぬものがあると思われる。私は、インパクトが強いのは当然として、アートとしても優れるものが好みである。本書から、そうしたものを拾っていくと…アラン・レネ「去年マリエンバートで」、ルイス・ブニュエル「皆殺しの天使」(ブニュエル作品にはいいポスターが多い)、タルコフスキー「アンドレイ ルブリョフ」、長谷川和彦「青春の殺人者」(最初期の水谷豊と原田美枝子がカッコいい)⇒
N島
2025/08/12 07:04

表紙をざっと眺めるだけで、面白い表現に気付かされます。個人的にはフェリーニの81/2のデザインに惹かれます。

ヴェネツィア
2025/08/12 07:58

N島さん、フェリーニのポスターも総じて高水準ですね。

が「ナイス!」と言っています。
ヴェネツィア
安里有生・詩、長谷川義史・絵。詩は「児童・生徒の平和メッセージ」(沖縄県平和祈念資料館)、小学校低学年・詩の部門の最優秀賞を獲得。安里有生くんは、1年生。これが小学校1年生のものだと知らなければ、なんと能天気な平和観かと思うところだが、見方を変えれば肯定的、明るく楽天的、天真爛漫な平和観ということだろう。最も優れるのは「へいわな よなぐにじま、へいわな おきなわ」のくだりか。長谷川の絵は、小学生が水彩絵の具で描いた夏休みの絵日記風のタッチ。構図も、色の塗り方も。こういうあたりがさすがにプロフェッショナル。
ヴェネツィア
2025/08/12 06:23

「ちょうめいそうが たくさん はえ、よなぐにうまが ヒヒーンと なく」こんな風にリージョナルなところと、「せかい」あるいは「へいわ」といったグローバルなものとが並置されるところがいい。

が「ナイス!」と言っています。
ヴェネツィア
施主のギャンブル夫妻は、西部で大成功をおさめたプロクター・アンド・ギャンブル石鹸会社を経営する一族の一員。彼らはパサデナ(カリフォルニア州)に土地を購入し、当時既に名を上げていたグリーン兄弟に設計を依頼した。こうして誕生したのが、アメリカにおけるアーツ・アンド・クラフツの成果ともされる、このギャンブル邸である。完成したのは1907年である。カラーページの最初はステンドグラスで装飾された正面玄関。直線的ではあるものの、受ける印象はアール・デコである。続いて建物外観の全景であるが、これはかなり変わっている。⇒
ヴェネツィア
2025/08/11 16:36

⇒アメリカン・バンガローの趣きを取り入れたというのだが、なんだか造型の簡素さと、建物の重厚さが互いに他を牽制し合っているようにも見える。また、ここでも印象を述べれば、アメリカ風というよりは、なんだか東洋趣味がほの見えるのである。寺院の一部を無理やりに折衷したかのようなのである。高級な木材で埋め尽くされた室内空間も、やはり東洋趣味が強く出ているように思われる。

が「ナイス!」と言っています。
ヴェネツィア
『ヒケティデス』のみの感想。この劇の構成上の特質は、コロスの部分が最も長いことである。主人公は、エジプトからアルゴスに逃れてきた一族の長のダナオスだが、実質的に主題を背負うのは、むしろこれを受け入れるアルゴス王ペラスゴスであろう。「嘆願」が劇の全体を貫流するモチーフであるが、ダナオスの側はひたすらに嘆願するしかない。これを受けたペラスゴスは、嘆願を退ければゼウス・ヒケシオスの怒りを招くし、かといって受け入れれば、すぐさまにアイギュプトスらエジプトから追ってきた軍団との戦闘を余儀なくされるだろう。⇒
ヴェネツィア
2025/08/11 12:32

⇒すなわち、彼は大いなる葛藤に晒されることになる。結局、王は民衆の意見をも入れて受け入れるのだが、その葛藤が昇華されることはない。なぜなら、その後が描かれることはなく、その後もひたすらに嘆願が続けられるからである。このあたりは、現代的な演劇観とは大いに違うところだと思われるが、「嘆願」の様式美のようなものが満たされれば、それで十分に劇として成立するということなのだろう。

が「ナイス!」と言っています。
ヴェネツィア
ネタバレ本書は、主としてアメリカ人向けに、バーバラ・アダチ氏が英語で書いた"The Voices and Hands of Bunraku"を和訳したもの。ドナルド・キーンの序文を付す。大判の写真も多く、とにかく分かりやすさを心がけて書かれている。ただ、人形浄瑠璃は(厳密には文楽とは違う)は、本来は語りもの文学であり、あくまでも大夫こそが主役であった。ところが、ここではヴィジュアルな人形に焦点が当てられているのは、まあ無理からぬところか。文楽は主に三業すなわち、大夫、三味線、人形遣いとから成るが、大夫の役割を⇒
が「ナイス!」と言っています。
ヴェネツィア
ヘレン・ピアス 作。ねずみが「さむすぎないし、あつすぎないし、ひろすぎないし、せますぎないし、やかましすぎないし、ぬれてもいないし、きたなくもない」理想の家を探して、とうとう見つけるというお話。もっぱら、画像が頼りである。そこで、本書の工夫が実を結ぶ。普通の絵本のような絵の代わりに、ねずみを実写した写真を用いた。合成写真だろうか。それとも、おとなしいねずみをいろんなシチュエーションで撮影したのだろうか。
ヴェネツィア
2025/08/11 06:42

これが子どもたちに喜ばれるとすれば、ドールハウスやおままごとの感覚なのだろう。

が「ナイス!」と言っています。
ヴェネツィア
初出は昭和16(1941)年10月「早稲田大学新聞」。太宰32歳。随分と乱暴な、そしてはなはだ論理性を欠く論考(エッセイ?)である。太宰は冒頭にまず、ヨーロッパの近代人が書いた「キリスト傳」を2、3冊読んでみたが、あまり感服できなかったという。それはキリストを知らないが故であると理由づける。我々だって佛教の何たるかを知らないように、西欧人もまたキリスト教の何たるかを知らないという。そして、彼が先ごろ「キリスト傳」を読んだが、たいしたことはないという。今では日本人にとっては外国の思想も何ほどのこともない⇒
ヴェネツィア
2025/08/10 15:42

と述べ、「日本は今に世界文化の中心になるかも知れぬ」とまで言うのである。最後に太宰の友人だという批評家(誰だろう?和辻哲郎?小林秀雄?)が引き合いに出され、「日本有數といふ形容は、そのまま世界有數といふ実相」と結論づけるのである。なんとも事大主義的、国粋主義的な太宰であることか。さる政党が聞いたら喜びそうだが。

が「ナイス!」と言っています。
ヴェネツィア
いぬいとみこ・文、司 修・画。画文集なのだが、内容はその牧歌的な響きの言葉を大きく裏切る。1942年6月9日の夜、リディツェ(プラハの西北60kmくらい)の村に突然ナチスの兵隊たちが押し寄せ、192人いた男たちの全員を虐殺、女と子どもたちは全員が強制収容所に拉致された。チェコ占領を命じられたナチ親衛隊長ラインハルト・ハイドリヒ暗殺の容疑を押し付けられたのだ。村は焼かれ、リディツェは名前さえ残らないように徹底的に破壊された。本書は、この抹殺事件から起筆し、ベトナム、広島の破壊へと想念を広げてゆく。⇒
更紗蝦
2025/08/10 22:21

いぬいとみこ先生は、『北極のムーシカ・ミーシカ』の作者としてしか存じ上げていなかったのですが、戦争をテーマにした本も書かれていたのですね。しかも、絵は司修先生…! 探してみます!

ヴェネツィア
2025/08/11 09:02

更紗蝦さん、図書館にあればいいのですが。

が「ナイス!」と言っています。
ヴェネツィア
『アカルナイの人々』のみ。本篇は、アリストパネスの喜劇の中では、完全な形で残る最古のものであるようだ。初演は紀元前426年とされている。その頃のアテネはスパルタとのペロポネソス戦争の6年目という、苦しい状況にあった。タイトルの「アルカナイ」は、対スパルタ戦に最も強硬な態度でのぞむデーモス(一種のコミュニティ)の名前である。現代の私たちがこの劇を見る(もしくは読む)場合は、当時の社会情勢や文化的な状況を、ある程度は押さえておかないと、何のことなのかわからないだろう。先のスパルタとの関係ばかりか、ペルシャ⇒
ヴェネツィア
2025/08/10 14:14

⇒との外交関係までもが影響を及ぼしているからである。ギリシア悲劇は普遍性を獲得しやすいが、喜劇は多分に現在時が問題であり、その限りにおいて即物的になりがちである。エウリピデスへの揶揄などもまたそうだ。

が「ナイス!」と言っています。
ヴェネツィア
島田ゆか・作。私は初めてだが、これも人気シリーズのようで、既に何冊かが出版されている。本書は第4弾?今回はバムとケロが町の市場にお買い物に。市場でいろいろと楽しんでみんな大満足の1日。本のサイズも小さいし、絵もコマ割りがなされているので、なお小さい。色彩は豊かで、細部も丁寧に描かれている。ただ、このシリーズは、ひとえにバムとケロに魅力を感じるかどうかにかかっていそうだ。私はどうも最後までバムの顔になじめないままであった。
が「ナイス!」と言っています。
ヴェネツィア
初出は昭和16(1941)年1月「新潮」。太宰32歳。中国清代の『聊斎志異』所収の「黄英」を原典とする翻案小説。原典との比較検討をしていないのだが、少なくとも太宰の『清貧譚』は、大陸らしく実におおらかな作品に仕上っている。物語の全体の骨格は変身譚なのだが、神仙譚風の味わいといえるだろう。主人公の才之助の造形は、もちろん戯画化された太宰自身である。こうして思い切り現実からは離れた寓話的な物語は、次第に逼迫してくる現実社会から逃避する意味でも、書いていた太宰も楽しかったことだろう。もっとも、まだ⇒
ヴェネツィア
2025/08/09 20:06

⇒この時には太宰にも、社会全体にもこれくらいの余裕があったのだろう。

が「ナイス!」と言っています。
ヴェネツィア
著者のギャリー・J・ショーは、リバプール大学でエジプト学の博士号を取得し、アメリカン大学(カイロ)、エジプト探求協会(ロンドン)で教鞭をとる。本書は「図鑑」というよりは、エジプトのファラオに関する概説書といった趣きである。扱う範囲は広く、エジプトに統一王権が誕生したナカダⅢ期(前3150年〜3000年)にはじまり、プトレマイオス朝にまで及ぶ。一般向けであるためか、文字資料についてはあまり書かれてはいないが、豊富な出土品や遺跡・遺構の写真を通してビジュアルに読者に迫るものである。ファラオの死生観や宗教⇒
ヴェネツィア
2025/08/09 17:03

⇒についても語られているが、それよりも彼等の食事や日常生活などの記述に精彩を放つようだ。それにしても、あらためて思うのは、エジプト文明というのは、あらゆる意味において、なんとも壮大なスケールを持っていたことである。

が「ナイス!」と言っています。
ヴェネツィア
80年目の長崎原爆の日に。副題に見られるように、本書は1945年8月8日の長崎の1日を描いたものである。何人もの長崎市民がここには登場するが、特定の主人公はいない。すなわち、普通に(とはいっても末期の戦時下にあったのだが)暮していた人々の日常の光景がここにはあったのだ。"あとがき"には、「ストーリーのための虚飾は用いなかった」とある。この日、長崎の町では結婚式が行われ、市職員等の4人が刑務所に収監され翌日の公判を待っていたのであり、路面電車の運転手とその妻は「明日」を考えていた。最終章に登場する⇒
sabosashi
2025/08/10 12:13

さいわいにわたしは雑誌掲載時に読ませていただきました。その後、読書感想文の課題図書にも選ばれたんでしたね。

ヴェネツィア
2025/08/10 15:57

sabosashiさん、初出は1982年でしたか。課題図書のことは知りませんでした。課題図書にしては、やや難解かなと思います。

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ヴェネツィア
落合恵子・文、篠田昌三・絵。1979年刊行の絵本。少年の物語ではあるが、全体はこの少年を軸とした幻想を描く。「青い鏡」は、時の象徴であろうかと思われる。巻末の詩が、やや説明的なのは残念。絵が文の拙さを救っているだろう。そして、その絵 もまた個々の事象はリアルであるものの、1枚ごとのタブローはリアルを超えて、幻想の領域に入ってゆく。
が「ナイス!」と言っています。
ヴェネツィア
鏡花といえば、金沢、浅野川などというステレオタイプな印象で語ってしまいそうになるが、彼が郷里の金沢にいたのは17歳まで。その後は一時的な帰郷はあっても、基本的にはずっと東京暮しである。たしかに、鏡花には荷風とはまた違った意味で、喪われた江戸情緒の体現者という側面もあって、これがまたよく似合っている。本書に収録された写真も、和服姿のものが多い。というか、大半はそうである。やはりある種のダンディストであったのだろう。また原稿もたくさん残されているが、これまた毛筆で書かれている。ここにもまた鏡花流の美意識が⇒
yama
2025/08/08 20:37

こんにちは。私は泉鏡花を未読の方には「代表作は色々あるけど、なによりも『歌行燈』と『高野聖』が代表作にして超名作」と紹介しています(まったくの独断ですが)。

ヴェネツィア
2025/08/09 08:16

yamaさん、『歌行燈』もたしかに選ばれそうです。

が「ナイス!」と言っています。
ヴェネツィア
初出誌はよくわからないのだが、書かれたのは昭和21(1946)年の6月のようだ。記者に書け、書けとせっつかれているところからすると東奥日報あたりに書いたものかと思う。内容はもう全く選挙の応援演説そのものだが、兄の文治の衆議院選挙の折のものだろうか。ただ、書き出しが佐倉宗五郎子別れの場というのが、太宰らしい。もっとも、ふざけているのではなく、珍しくも今回は真面目に兄の選挙を応援しているようだ。昭和21年ということもあり、アメリカ流の政治家像で売ろうというのである。
が「ナイス!」と言っています。
ヴェネツィア
エーレンデュル捜査官シリーズの第5弾。事件はタイからの移民の子、エリアスが殺害されたことに端を発する。いわゆる北欧(アイスランド)ミステリーなのだが、この一連のシリーズは、サスペンスよりも徹底して警察小説としてのリアリズムを追求する。したがって、事件解決に向かっての動きは、いたって悠長であり遅々として進まない。そして、最後に一気に解決に向かうのだが、読者の側からすれば、謎解きといった楽しみもまた奪われている。では、何が面白いのだということになるのだが、それはやはり本書が語るアイスランド社会のリアルであり⇒
ヴェネツィア
2025/08/08 15:53

⇒警察小説としてのリアルである。結果はなんともやりきれないものではあるのだが。『異邦人』のムルソーやEnfant terribleを連想もするが、おそらくは本書の背後にあるのは、より今の社会が抱える不毛であろうと思われる。

が「ナイス!」と言っています。
ヴェネツィア
酒井駒子・作。夜、男の子の部屋にやってきた「よるくま」。どうやら、お母さんとはぐれたみたいだ。それが「ぼく」と「よるくま」の冒険の始まりだった。絵の感じからは、どうやら酒井駒子さんの初期の作品ではないかと思われる。『金曜日の砂糖ちゃん』あたりと比べると、お話も絵も酒井駒子スタイルの完成形ではない。でも、彼女の絵本の最大の美点である抒情はそこここに溢れている。ややもすると、哀愁の一歩手前くらいの、喪われた幼年への郷愁も。
が「ナイス!」と言っています。
ヴェネツィア
初出は昭和17(1942)年6月、錦城出版社から刊行。藤田嗣治の装丁。タイトルは本文にもあるように『マタイによる福音書』第16章16節からとられているが、本篇にはそれ以外にも新約聖書からの引用がかなり多く見受けられる。長編小説だが、一貫して主人公の芹川進の日記として、16歳から18歳までが一人称体で語られる。ここで読者の誰もが、男女の違い、また短編と長編の違いはあるものの、すぐさま想起するのは、本書の3年前に書かれた『女生徒』である。ただ、残念ながら、本篇には『女生徒』の持つ、あの鮮烈な抒情はない。⇒
ヴェネツィア
2025/08/07 20:03

⇒長編ゆえに、引き伸ばされた感もあるが、ここで語られるのは、何度かの挫折を経験しながらも成長してゆく、進のビルドゥングス・ロマンである。

が「ナイス!」と言っています。
ヴェネツィア
この巻はリチャード・マイヤー設計の「フランクフルト工芸美術館」である。1985年に完成。マイヤーはアメリカの建築家で、この前年にはプリツカー賞を受賞している。ただ、このフランクフルト工芸美術館のコンペは1980年に始まっており、受賞以前である。コンペには4人の建築家が招待されており、マイヤーが第1位を勝ち取った。建物全体についてはル・コルビュジエのものに似ているという印象である。直線を基調としながら、ところどころに見られる曲線も美しい。色彩的にはやはり圧倒的に白である。表紙写真では、機能的過ぎるかの⇒
Himeko is not cat
2025/08/07 22:54

専門家さながらの読み応えあるレビューだと思います!

ヴェネツィア
2025/08/08 09:23

過分なお言葉ありがとうございます。

が「ナイス!」と言っています。
ヴェネツィア
『ペルサイ』のみの感想。登場人物はいたって少なく、クセルクセース(ペルシア王)、アトッサ(王の母)、(先王)ダーレイオスの亡霊、敗戦を報告する使者、およびコロスである。劇の場はペリシアの都スーサ、ダーレイオスの墓前。史実の上からはサラミスの海戦がこれにあたり、アイスキュロスはかなり忠実にこれを踏まえているようだ。ギリシア側からすれば、勝ち戦どころか大勝利であったのだが、これを敗者のペルシアの側から描いたところが秀逸。全体のトーンは沈鬱であり、挽歌の憂いが劇全体を支配する。また、劇の詞章も勇壮であり、かつ⇒
ヴェネツィア
2025/08/07 12:44

⇒かつ、悲壮感が漂う。戦闘場面で、そして追悼の場面での「ポポイ!」、「オトトイ!」、「アイアイ!」「エーエー!」などの間投詞が大きな効果を上げている。これが上演された時の客席の高揚した様子が目に浮かぶようだ。

が「ナイス!」と言っています。
ヴェネツィア
巻頭を飾るのはナタリー・ポートマン。彼女が最新の人気女優だったのだろう。1998年刊行なので、もう四半世紀も前。最近の映画の動向を知らない私にとっては別に支障はないのだが。本書に登場するのは419人もの女優さんたち。なかなかに壮観だし、これまでハリウッドをはじめとした映画界が求めた女優の典型をなんとなく髣髴とさせる企画である。私は年齢もそうだし、映画の趣味はそれ以上に古いので、この中からベスト3を選ぶとすれば、まずは断トツでイングリッド・バーグマンである。続いては、オードリー・ヘップバーンと⇒
ヴェネツィア
2025/08/07 20:25

みあさん、『天井棧敷』はぜひとも。ジャン=ルイ・バローとピエール・ブラッスール(サルトル劇の初演多数、映画では『リラの門』)の両男優、そして女優のアルレッティが素晴らしいです。もちろん、映画そのものの質はさらに。

ヴェネツィア
2025/08/07 20:27

wassermusikさん、キム・ノヴァク、ドミニク・サンダも捨てがたい魅力です。

が「ナイス!」と言っています。
ヴェネツィア
シェル・シルヴァスタイン 作。倉橋由美子 訳。お話も絵もいたってシンプル。ことに絵はこれぞシンプルの極みという単線画。「かけら」は、自分をどこかへ連れて行ってくれるパートナーを探していた。なかなかそれが得られない時に出会ったのがビッグ・オー。「かけら」は自立の道を模索し始める。訳者の倉橋由美子は、この作品がいたくお気に入りのようだが(アメリカでは人気が高い)どうかなあ。大人向けの童話だというのだが。私にはなんだか教訓めいた感じがするのだが。ことにビッグ・オーの存在が。皆様の感想やいかに。
sheemer
2025/08/07 13:37

これの「続」じゃない「ぼくを探しに」は大好きです。

ヴェネツィア
2025/08/07 15:49

sheemerさん、私も正篇の方がよかったですね。

が「ナイス!」と言っています。
ヴェネツィア
江成常夫氏は、これまでにもヒロシマ、ナガサキの写真を多く手掛けてきた写真家。本書は被爆者の証言と対になる形で撮ったヒロシマである。巻頭(表紙も)こそ原爆ドームだが、後は直接的には原爆、あるいは被爆者とは関わりを持たないような写真もまた多い。椿の花であったり、桜であったり。それでは、それらの写真群は何なのかといえば、端的にそれは追悼の想いである。江成の写真は沈黙を描く。そして、その沈黙の背後にいる私たちはやはり言葉を発することができない。そうすると、これらの写真は沈黙を強いるということになる。そうなのだ。⇒
ヴェネツィア
2025/08/06 16:52

⇒眼前に現れた被写体と被爆証言を前に私たちはただただ黙するのみなのである。80年目の原爆の日に。

が「ナイス!」と言っています。
ヴェネツィア
三浦しをんのエッセイは、既に何冊も上梓されている。私はエッセイはまだ3作目だが、中には小説よりもエッセイの方がいいという読者もいるようだ。このエッセイも、確かに面白いことは面白いのだが、私は圧倒的に創作の方を取る。創作においては、登場人物の造形や文体の工夫、構成など考えるべきことは多々あるだろう。ことに三浦しをんの場合は作品ごとに趣きも相当に違っており、私たち読者は、そうした作家の苦心の結果を楽しむのである。ところが、こうしたエッセイにおいては(これはこれで苦労もあるのだろうが)構成などに拘泥すること⇒
ヴェネツィア
2025/08/09 08:44

烏山ちとせさん、この人の出発はエッセイだったのですか。そうすると、エッセイは得意な分野なのでしょうね。

烏山ちとせ
2025/08/09 17:58

そうですね、空気のようにコラムを書くような10代だったのかもですね、読んでいませんが。しかしこれはもう読ませて頂くしかないようですね。

が「ナイス!」と言っています。
ヴェネツィア
副題に「岩井要・真建築設計事務所作品集 1965-1995」とあるように、この設計事務所による日本各地の教会建築(関連施設を含む)を集めたもの。その数、実に30棟。このことからすれば、どうやら日本の教会堂建築のスペシャリストのようだ。外観に関して言えば、その設計思想はいたって簡素であることを旨とするように思われる。この点では、以前に読んだ結婚式教会とは全く対照的である。もちろん、その理由の一つには、華美にならない、無駄にお金をかけない(かけたくてもかけられない事情もあるのだが)などが背景にはあるのだが。⇒
ヴェネツィア
2025/08/06 08:38

⇒ともかく、外観はシンプルで、十字架がついていなければ、それがキリスト教会であることがわからないようなものも珍しくない。一方、内部空間はやはりシンプルではあるものの、光が工夫されていて、それなりの華やかさを見せている。とりわけ立派なのは銀座教会。壮麗なまでのパイプオルガ ンが祭壇後ろに控えている。

が「ナイス!」と言っています。
ヴェネツィア
丸木 俊・作。ヒロシマ原爆投下80年目の日に。おそらくこの絵本は、被爆者たちの多くの証言(広島放射線影響研究所に多数保存されている)と、原爆絵画(これもたくさん描かれている)に基づいて制作されたものと思われる。語りも絵の訴えも極めて生々しい。80年前の今日。そして3日後がナガサキの日だ。被爆者たちや、ヒロシマ・ナガサキの声が、世界の人々にどれだけ届くのかわからない。しかし、ともかくこの80年間、核兵器が実際に使用されることはなかった。核兵器廃絶の声は核兵器を持つことによるデタントよりも有効である。
が「ナイス!」と言っています。
ヴェネツィア
初出は昭和10(1935)年7月「作品」。太宰26歳。なお、翌年には『晩年』に収録。珍しく全編が津軽の方言で語られている。冒頭の「長え長え昔知らへがな。噺山の中に橡の木いつぽんあつたずおん。…」は、津軽で昔話が語られる時の定型表現だろうか。末尾もまた同じ定型句で閉じられる。そして、その中で語られているのは、子どもたちの遊び―すなわち「花いちもんめ」である。子どもたちが二手に分かれて、その片方が「雀、雀、雀こ欲うし」と歌い、他方が「どの雀欲うし」と応答する。言葉は違うが、ルールは全く同じようだ。
雀こ
ヴェネツィア
2025/08/05 16:35

津軽方言で語られる(歌われる)この「雀こ欲うし」のやりとりは、まことに温かみのあるものである。私たちの育った地方での歌い始めは「たんす長持どの子が欲 しい」だった。おそらくは、全国的に最もオーソドックスなスタイルだったのではないだろうか。あの単純きわまる遊びを何度も行っても飽きなかったのは、今思えば不思議なくらいである。今の子どもたちには、もはや伝承されていないのだろうか。

が「ナイス!」と言っています。
ヴェネツィア
著者の松山巖氏は小説家・評論家。ただし、東京芸大の美術学部建築学科を卒業した建築家でもある。本書は建築をめぐるエッセイ。全く自由気ままな構成。書いている方は楽しそうだが、読む側としてはとらえどころを見つけにくい。どのような読者を想定しているのだろうか。記事の中では、土佐のぶっちょう造りという民家が最も興味深かった。道路に面した家と道とが確然と分かたれることなく、ある種の連続性、というか相互侵食性を持っているのである。全国的にも類を見ない建築様式だろうし、そこでは集落の持つ意味も他とは違っていそうだ。
が「ナイス!」と言っています。
ヴェネツィア
さねとう あきら・文、桜井誠・絵。第2次大戦の末期。しきりに本土空襲が繰り返されていた頃。空襲で子どもを失ったお母さんと、母親を失った男の子の物語。おそらくは、作者の実体験に基づいているものと思われる。この2人が身を寄せ合って難を逃れていたのだが、激しい空襲の夜に離れてしまう。男の子が歌う「てんのうへいかの おんために しねと おしえた ちち ははの」のリフレインが静かに流れる。白い蓮の花は、明日へのわずかな希望の象徴だろう。大空襲を、この2人だけに焦点をあてることで、逆に鮮やかに描いた作品。絵は⇒
yomineko@鬼畜ヴィタリにゃん🎄🎅🎄
2025/08/05 07:27

図書館で調べたのですが結構揃っていましたよ!!!こういう平和や戦争関連の本はなくしてはいけないですよね!!!

ヴェネツィア
2025/08/05 08:55

私も調べてみます。

が「ナイス!」と言っています。
ヴェネツィア
小泉吉宏・作。静かな湖の畔で死んでいる兵士が一人。その兵士の1時間前、2時間前…2日前、3日前と時間を遡行させていく構成。1時間前まで彼は生きていた。7日前には恋人を両親に紹介していた。初めてのダンスは6歳だった。そして、この世に生を受けたのは24年前の今日だった。静かに淡々と回想されてゆく生の軌跡。絵は単彩の線画と、こちらもいたってシンプル。このページ数で語られる人生ははかなく、しかも同時に確かにそこにあったもの。
ヴェネツィア
2025/08/04 16:46

読者に与える印象の強さは、必ずしもプロットの面白さや絵の奇抜さには依拠しないことを如実に語る絵本。

が「ナイス!」と言っています。
ヴェネツィア
今回も物語の主な舞台は釧路。そして、そこに厚岸が加わる。この人の描く釧路はいつも暗く陰鬱であり、何か荒涼とした心象風景である。厚岸にいたっては、何か最果て感さえ漂う。登場人物たちもまた、それぞれに暗い過去を背負っている。しかも、それは現在にも濃厚な影を落としている。もっとも、主人公の節子はそうした境遇の中にあっても、したたかさを備えてはいる。ただそれもまた、何か哀しいような悲壮感を内に秘めているのであるが。本作はやや変則的な構成をとっており、序章において全ての結末が語られる。そしたそこから、遡行する形で⇒
ヴェネツィア
2025/08/04 14:55

⇒物語が展開して行くのである。ただし、読者が最後にたどり着いた時には、さらにその先に未知の結末が待ち受けているのであるが。そんな風に凝った構成を取るのだが、登場人物たちも読者からの共感は得にくいだろうが(そもそも彼女たちはすべからく、他者の共感を拒否したところで自立している)存在感は実に大きい。7歳のまゆみにしてからがそうだ。桜木紫乃のファンならば、お勧め。

いちっと
2025/09/28 09:55

ヴェネツィアさん、ナイスをありがとうございます。 桜木さんの描く釧路・登場人物は、いつも暗いですよね。そして、登場人物は一癖も二癖もある、、でも、それに惹かれます。 旅情を掻きたてられたぼくは、2年前の夏、東京から車で北海道に旅行し、遂に釧路湿原まで行きました。 次回は、釧路市内・厚岸・根室まで足を延ばしたいです。

が「ナイス!」と言っています。
ヴェネツィア
このアルヴァ・アールトのマイレア邸は、これまでに様々な建築誌等に紹介されており、20世紀の住宅建築を代表するものの一つである。少なくとも、その知名度においてル・コルビュジエのサヴォア邸やフランク・ロイド・ライトの落水荘と並ぶ名建築の誉れも高い。立地はフィンランド南西海岸のポリ港から数マイル内陸に入ったノールマックの郊外である。写真で見る限りは森の中に忽然と現れるといった風情だ。外観は周辺の森との調和を第一義に設計されているように思われる。建物の外にも内にも木をふんだんに用いているのである。内部空間で⇒
ヴェネツィア
2025/08/04 12:36

⇒一番それらしい趣きを感じるのは、やはり暖炉を配した居間である。そこに火が燃えている時のこの空間は何ものにも代え難い安らぎをもたらすだろう。

が「ナイス!」と言っています。
ヴェネツィア
かみじまあきこ・文、沙羅・絵。美篶堂(難読だがみすずどう)の特装本。表紙には「この絵本は手づくりで製本されています」とある。頒価はなんと3500円。たしかに美麗な絵本である。お話はある夜、うさぎが不思議な音を聴いたことにはじまる。うさぎは月に尋ね、すずらんに尋ね、次々と尋ね歩くのだが音の正体はわからない。とうとう最後にそれこそが流れ星の音楽であることを知る。淡々と静かに語られる宇宙の神秘的な音の物語。沙羅の絵がこの物語にはぴったり。木版画特有の暖かみと、淡い色が宇宙と生命とを繋ぐ。
ヴェネツィア
2025/08/04 08:00

頒価といい、造本といい、主たる対象に考えられているのは大人かとも思われる。もちろん、子どもの感性にもうったえかけるはず。

ヴェネツィア
2025/08/04 08:52

ちちさん、私ももちろん図書館本です。

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ヴェネツィア
初出は昭和21(1946)年10月「思潮」。太宰37歳。戦後に津軽に戻った時の一コマ。五所川原で旧友の加藤慶四郎に会ったというのは実体験かと思われるが、その中で語られるエピソードはどうもフィクションめいているか。ことに、末尾の「ツネちゃんじゃないか」は、この一瞬のためだけに小説全体が構想されたかのようだ。小説は他者を(戦中には敵を)傷つけることに 主題を置いているのだが、戦後になった今、そのことを深く反省するというのでもなく、むしろ漠然とした感慨として回想させている。その中での一瞬の煌めきである。
が「ナイス!」と言っています。
ヴェネツィア
ここでシニアリビングと呼んでいるのは、高齢者用高級居住施設のことである。私自身がこのような施設に住む予定はさらさらないが(仮にあったとしても、経済的に不可能)高級ホテルそのものである。しかも、その中でも第一級クラスの。巻頭はクラシックレジデンス・ハイアット・パロアルト。実に90000㎡の敷地に延べ床面積93000㎡の施設が展開する。立地はスタンフォード大学のあるパロアルト、運営はハイアットと全てにおいて超弩級。表紙写真はそのダイニングルーム。外観もおしゃれだし、内装もシックである。外観の美しさでは⇒
ヴェネツィア
2025/08/03 15:25

⇒サンフランシスコの歴史的建造物をリノベートしたブリッジポイント・アシステッドリビング他があり、また内装の豪華さではサンタバーバラのスパニッシュ・コロニアルスタイルを誇るマラヴィラなどがある。日本にも結構豪華な施設があるようだ。例えばザ・バーリントンハウス馬事公苑ほかいくつもの施設が紹介されている。

が「ナイス!」と言っています。
ヴェネツィア
この種の本を読むのは久しぶりなので、最初は知らない古生人類の名前に戸惑いも。サヘラントロプス・チャデンシスにアルカディピクス・カダッパ。何なのだそれは。やがてアウストラロピテクスが登場するに及んでようやく安心する。これこれこれだよ。ただしアウストラロピテクスにも何種類もあるのだが。我々ホモ・サピエンスの登場以前にも何種類ものホモ属がいたのだが、やはり一番の関心はホモ・ネアンデルターレンシス(ネアンデルタール人)だろう。著者によれば、ホモ・サピエンスと共存した期間はわずかに3000年に過ぎなかったと⇒
ヴェネツィア
2025/08/03 14:33

ガーネットさん、ちょっと離れているうちに知らない人類が増えていました。それでも学名ですから、ちゃんとした由来はあるはずです。

ヴェネツィア
2025/08/03 14:34

sabosashiさん、鳥類は恐竜の末裔ですから、それが恐竜の知性を疑う根拠の一つになっていました。

が「ナイス!」と言っています。
ヴェネツィア
ルース・クラウス 文、モーリス・センダック 絵。クラウスはアメリカの児童文学者。センダックが敬愛していた女性。お話は、絵とも相まってファンタジックなムードで始まり、何時ファンタジーに飛翔するのかと読み進めるのだが、そのまま終結する。こういう風に言うと、つまらないみたいだが、実はリアルそのものの中にこそファンタジーが潜んでいたことがわかる。すなわち、こうしてシャーロットと「あまのがわ」がともに生きてあること自体がファンタジーにほかならないのである。センダックの絵のトーンは、あくまでも柔らかく、淡い。⇒
ヴェネツィア
2025/08/03 07:26

⇒シャガールを思わせる幻想性と永遠への志向をはらんでいる。この絵本は、センダックの絵なくしては成り立たないかと思われるほど。

が「ナイス!」と言っています。
ヴェネツィア
初出は昭和17(1942)年5月「改造」。太宰33歳。一見したところでは、太宰自身の体験を書いた実話のような書きぶりなのだが、私はこれは周到に構想されたフィクションだと思う。構成もまた、思いつくままに語った風を装うなど、なかなかに手が込んでいる。菊池寛の『忠直卿行状記』から起筆し、草田惣兵衛夫人の静子へと誘導する。このあたりの展開は実に上手いもの である。この夫妻の造型も、短篇ながら丁寧に跡づけて行くのだが、正月のエピソードを語ることで、巧みに自己をそこに織り込んで行くのである。すなわち、ここから小説は⇒
ヴェネツィア
2025/08/02 16:49

⇒一気に佳境に入ることになる。後半の展開はとりわけスリリングであるが、静子に太宰を「芸術家」と言わせ、真の芸術家こそ真の芸術を知るとの構想を組み立てていくのである。静子のファナティックで刹那的な行動は、まさに太宰の姿そのものでもあったのだろう。

が「ナイス!」と言っています。
ヴェネツィア
現代においては、エアコンがあるので日本の家も密閉性の高い方が快適だろうが、かつては夏の備えに重きを置いたようだ。『徒然草』第55段に「家のつくりやうは夏を旨とすべし。冬はいかなる所にも住まる。暑き比わろき住居は耐え難き事なり」とある。スウェーデンでも、民家は基本的には木造である。本書では、スウェーデン の民家を北部を冬の北欧、南部を夏の北欧地域と分けているが、たとえ夏の北欧地域といえども、やはり冬の備えに力点を置いているようである。もちろん、様式上も北部では屋根の傾斜がきついなど、より冬に特化はしている⇒
Mimi Ichinohe
2025/08/05 08:23

徒然草の引用ありがとうございます。その内容は覚えていたのですが、誰が言ったのかなぁって思っていたので、出典、有難いです。建築は、文化・芸術の柱ですものね。民家にはその人となりがあらわれるので、興味深いです。

ヴェネツィア
2025/08/15 15:56

Mimiさん、コメントをいただいていたのに今まで気が付きませんでした。『徒然草』には時々、箴言めいた言葉がありますね。

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ヴェネツィア
兼寛は極めて優秀な成績をおさめてロンドンから帰朝。日本で看護の制度を整えるなど八面六臂の活躍を見せる。もちろん、本来の海軍軍医としても、脚気の対策に腐心する。上巻は、いわば兼寛の興隆期を描いていたが、この下巻ではどちらかといえば、安定期から晩年にかけてを描くので、やや地味な感じは否めないか。ことに、脚気をめぐっての長年の陸軍との確執に筆が割かれるために一層その感が強い。なお、陸軍側の急先鋒は(この場合は兼寛にとっての敵役ということになるが)あの森林太郎(鷗外)である。それは、海軍と陸軍との医学における⇒
烏山ちとせ
2025/08/03 05:07

学研の病気のひみつにあった脚気エピソードはきっとこれですね

ヴェネツィア
2025/08/03 14:56

烏山ちとせさん、きっとそうなんでしょうね。

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ヴェネツィア
いっしき よしこ・文、さの ようこ・絵。原話(メノッティ『アマールと夜の訪問者』?)があるようで、枢機卿ヨゼフ・ラッツィンガー神父の推薦文が付されている。お話は東方の三博士(ここでは3人の王様)が現代に現れたというもの。アマール少年の奇跡を語る。絵はことさらにラフな線描画にこれまたラフな彩色を施したもの。こういうお話には難色を表明しにくいのだが、あまりにも単純過ぎて、奇跡が奇跡に見えない。innocentであることを描こうとしたのだろうが、これでは説得力を欠くだろう。表現の方法に工夫がないのである。
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ヴェネツィア
鏡花が婚姻観を語る。明治初年生まれの鏡花にしては、「家」に縛られない個人主義的な結婚観である。媒酌人をはじめ、舅姑も親類も友人たちも皆めでたいという。でも、ほんとうにそうかと鏡花は言うのである。新婦にとっては、それまで慈しんで育ててもらった実家の両親の元を離れて、舅姑や小姑らと暮らすことになるのである。男にとっても、女にとっても、所詮婚姻は社会のために為すもの、というのが鏡花の結論である。末尾では「社会のために身を犠牲に供して」とまで。では、そんな鏡花自身は独身主義者だったかといえば、そうでもなく⇒
ヴェネツィア
2025/08/01 16:39

⇒神楽坂で芸者をしていたすずと同棲、やがて結婚している。ちなみに、すずは『婦系図』のお蔦のモデルとされる。

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ヴェネツィア
江戸期の園芸で真っ先に思い浮かぶのは、朝顔と菊である。品種改良を重ね、たくさんの変種を生み出した。作る側には、それを可能にするだけの技術があり、鑑賞する側には高い関心と財政的な余裕とがあったことの証でもあるだろう。園芸書の類もまた多い。古くは寛永期(1630年代)の『百椿集』や『本草綱目』からはじまり、菊や牡丹の伝書が実にたくさん刊行されている。文字通り百花繚乱。おそらく、圧倒的なまでに世界一だったのではないかと思 われる。本書では「世界一の庭園都市江戸」と評している。また、江戸の庭園は大名屋敷ばかりか⇒
ヴェネツィア
2025/08/01 12:17

⇒町家のちょっとした軒先にまで朝顔などが植えられてもいた。江戸の庭園都市ぶりは、現代をも上回っていたものと思われる。

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ヴェネツィア
吉村昭による、幕末から明治維新、すなわち日本近代の黎明期の意味を問う一連のシリーズの一作。今回は近代医学が俎上に上げられる。主人公は、高木兼寛。薩摩藩の大工の息子であった。人と時代の運命はまことに不思議なものである。10年あるいは、ほんの5年ずれていただけで、彼の生涯は大きく違ったものになっていただろう。すなわち、彼は薩摩の地で大工として一生を終えていたはずだったのである。そして、同時に日本の医学界の事情も幾分かは違ったものになっていたかもしれない。上巻では、兼寛は精進を重ね、とうとうロンドンに留学する⇒
ヴェネツィア
2025/08/01 08:08

⇒までになる。人との出会いもまた兼寛の運命に大きく関与する。彼がたまたま英語を学ぶことになり、イギリス人の医師と出会わなければ、また彼は違った人生を歩んでいたことだろう。展開も早く、面白い物語。下巻へ。

が「ナイス!」と言っています。
ヴェネツィア
シャーロット・ゾロトゥ 文、ルース・ロビンス 絵。ともにアメリカの人。アメリカのお金持ちたちが住む街区にちょっと風変わりなおじいさんが一人。風体も、することもみんなとは違っていて、枯れかけたモミの木を毎年、熱心に世話していた。やがて、そこに小鳥たちが集まるようになる。起伏らしいものがあるわけではないし、ましてや事件といったものは何も起こらない。ただ淡々と季節は過ぎてゆく。あるいは、そのことこそが奇跡であるのかも知れない。絵も淡いパステルトーンで、けっして多くを語らない。もちろん、そこがいいのだ。
宵待草
2025/08/02 22:14

ヴェネツィアさん 夜分に失礼します!🙇💦 私の好きな此の絵本が、共読絵本に一冊加わり、とても嬉しく思います!🍀 此の様に秀逸な絵本は、人生の機微を学ばせて貰えます!💗 此れから更に、暑さが厳しい日々ですので、お互いに体調に留意したいと思います!🍀 8月もどうぞ、宜しくお願い致します!✨ おやすみなさい!🌃 宵待草

が「ナイス!」と言っています。

ユーザーデータ

読書データ

プロフィール

登録日
2011/11/30(5135日経過)
記録初日
2011/04/07(5372日経過)
読んだ本
8495冊(1日平均1.58冊)
読んだページ
1885344ページ(1日平均350ページ)
感想・レビュー
8405件(投稿率98.9%)
本棚
62棚
性別
職業
専門職
自己紹介

2011年4月からの参加で、15年目にはいりました。一番よく読んでいるのは日本文学、次いでは翻訳文学です。読むジャンルの幅は広い(半ばは意識的にそうしています)のですが、何でも手当たり次第に読むというわけではありません。特に誇れるものはありませんが、連続読書日数は初日から5263 日(2025年9月2日現在)、冊数は8098冊になりました。胃癌で入院中も、海外旅行中も毎日読んできました。さて、どこまで伸ばせることやら。

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