読書メーター KADOKAWA Group

2025年9月の読書メーターまとめ

ヴェネツィア
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2025年9月に読んだ本
120

2025年9月のお気に入り登録
23

  • ささかまん
  • ちゑ
  • yamatoo
  • カオス読書録
  • T氏
  • SO1113
  • はるな
  • 歯型
  • mofu
  • Baku736
  • 翳
  • 五月雨みどり
  • 父さん坊や@FIRE
  • くた
  • さっこ
  • Ayana
  • とりから
  • いおい     996
  • 雨松
  • ぱちこ
  • 池波
  • めだいさる
  • 白銀乃月

2025年9月のお気に入られ登録
25

  • ささかまん
  • ちゑ
  • yamatoo
  • カオス読書録
  • T氏
  • SO1113
  • はるな
  • 歯型
  • mofu
  • ラジオリスナー
  • Baku736
  • 翳
  • 五月雨みどり
  • 父さん坊や@FIRE
  • くた
  • さっこ
  • やっくるまっけんじー
  • Ayana
  • とりから
  • いおい     996
  • 雨松
  • ぱちこ
  • 池波
  • めだいさる
  • 白銀乃月

2025年9月にナイスが最も多かった感想・レビュー

ヴェネツィア
ホリー・ジャクソンのデビュー作。新鮮さと斬新さを持ちつつ、デビュー作とは思えない充実度を示す。まず、なにより主人公の探偵役のピップが魅力的だ。およそ、それなくしては小説の魅力がすっかり消え失せるだろう。事件は、最初は単純そうに見えたが、ページを追うごとに複雑さを増してゆく。つまり、後半に行くほどに物語は重層性を高めて行くのである。ただ、推理に力点を置くと、物証は極めて少なく、もっぱらピップの想像力頼みということになる。したがって、十分な情報(特に人間関係についての)を持たない読者は、ただただ彼女に付いて⇒
ヴェネツィア
2025/09/28 16:00

⇒行くだけである。もちろん、それでも大いに楽しめるのであるが。とりわけ、終盤のたたみかけ方は実に堂に入ったもの。しかも、エンディングはなかなかに感動的でもある。さらには、ちゃんと次作への含みも残されている。エンターテイメントとしては、お薦め。

ヴェネツィア
2025/09/28 16:04

タイトルは魅力的なのだが、P.D.ジェイムズの『女には向かない職業』の剽窃感は否めない。こちらは現代のほぼ直訳だが、本作の原題は"A Good Girl's Guide To Murder"にも関わらず、『自由研究には向かない…』としたために、内容とは齟齬を生じる結果になったようだ。

が「ナイス!」と言っています。

2025年9月にナイスが最も多かったつぶやき

ヴェネツィア

はや9月になりました。今月もどうぞよろしくお願いいたします。☆2025年8月の読書メーター 読んだ本の数:124冊 読んだページ数:16794ページ ナイス数:51343ナイス ★先月に読んだ本一覧はこちら→ https://bookmeter.com/users/157091/summary/monthly/2025/8

はや9月になりました。今月もどうぞよろしくお願いいたします。☆2025年8月の読書メーター 読んだ本の数:124冊 読んだページ数:16794ページ ナイス数:51343ナイス  ★先月に読んだ本一覧はこちら→ https://bookmeter.com/users/157091/summary/monthly/2025/8
えか
2025/09/02 14:59

ヴェネツィアさん、こんにちは。今月に入っても暑い日が続きますね。今は、更に暑い、アフリカの独裁者文学を読んでおります。逆療法ですね。真冬の乾布摩擦みたいなものです。今月も、宜しく、お願いします。

ヴェネツィア
2025/09/04 08:58

えかさん、おはようございます。私はこれまでアフリカの文学はほとんど読んできませんでした。これから少しずつ範疇に入れていきたいと思います。

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2025年9月の感想・レビュー一覧
120

ヴェネツィア
『堀川波鼓』のみの感想。近松世話浄瑠璃の第5作目。また、世話浄瑠璃全24曲のうち、3曲が貫通を扱うが、その最初のもの。出来はこれが一番いい。舞台は上・中之巻が因州鳥取、下之巻が京都堀川である。上の巻ではお種の姦通の成立を描く が、当然それは意思なき姦通である。近松がそこに用意したのは、お種の酒好きと敵役磯部床右衛門の存在である。中之巻は、お種の自害で幕を閉じるが、ここに本篇の構成上の特質がある。すなわち、通常の世話浄瑠璃は三段構成であり、したがって下之巻にクライマックスが置かれるが(心中ものがその典型)⇒
きゃれら
2025/09/30 14:32

人形浄瑠璃で「槍権三重帷子」を見たことがあります。鑑賞初心者だったためか現代から見て不合理としか思えない掟(?)がうまく胸に落ちず、いまいち消化不良だった記憶があります。

ヴェネツィア
2025/09/30 16:30

『鑓の権三重帷子』も三姦通曲の一つですが、あの作品には幾つもの無理があると思います。姦通なき姦通の劇自体がやはり苦しいでしょう。

が「ナイス!」と言っています。
ヴェネツィア
高瀬隼子の5作目の単行本。彼女は3冊目に上梓した『おいしいごはんがたべられますように』で芥川賞を受賞しているが、本作では、そこに至るまであたりの作家的事情を題材に小説を仮構している。PAL(ゲームセンター)で勤務する(それもまたフィクションのようだ)長井朝陽。そして、小説家の早見有日。実態としての自分と、小説家としての自分がいて(もちろん、これも紛れもない実態である)、相手の人た ちの見る「私」はどんな様相を呈しているのだろうか。そこに戸惑いはあるようだが、煩悶はなさそうだ。それらを「書く」高瀬隼子が⇒
ヴェネツィア
2025/09/30 13:45

⇒その円周の外側にいる。時間軸もまた過去と現在とが時として混交する。アイデンティティを喪失しているわけでもない。新しい感覚の小説である。こうした小説による模索はまだ暫くは続きそうだ。

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ヴェネツィア
世界の36の空港を写真で紹介する。ただし、タイトルにある「一番美しい」は単なる主観で、根拠があるわけではない。もっとも、それぞれに何がしかの特徴を持つ空港が選ばれてはいるようだ。巻頭からしばらくは、ドバイ、アブダビ、キング・ハーリド(クウェート)などのオイル・マネーで豊かな国々の空港が並ぶ。いずれも、豪華かつ個性的。しかも、ちゃんとアラビックな雰囲気を伝えている。建物の意匠として、目立つところとしては、チャットラバティー・シヴァージー(ムンバイ)、バラハス(マドリッド)、ビルバオ、チューリヒあたりか。
Johnnycake
2025/09/30 07:44

先週ドバイ空港を経由して帰国しました。確かに面白い建物で特徴的でしたが、使い勝手からするとあまり印象よくありません。あと、文化の違いなのでしょうが、床に直接座って休んでいる人が多くて、せめて荷物の上とかに座って~と思いながら見てました。空港機能は、旅行者がいつどこに行けばいいかがすぐ分かって、目的地(セキュリティやゲート)への誘導がきちんとしていることが最優先だと今回の旅で改めて思いました。

ヴェネツィア
2025/09/30 10:57

Johnnycakeさん、確かに空港ではまずはトランジットをはじめ、情報が的確に得られること。そして、快適性が重要ですね。

が「ナイス!」と言っています。
ヴェネツィア
斉藤倫、うきまる・文、くのまり・絵。あかちゃんの泣き声や、時計の音を翻訳すると…。翻訳者はゴールデン・レトリバー(ちょっと違うけれど)。けれど、途中からは翻訳の必要がなくなってくる。なぜなら、翻訳しなくてもわかるから。なかなかに雄大な、そして大きく息を吸い込むようなお話だ。なお、全体としては、この家に生まれた男の子の成長物語を構成している。絵は、上空からの俯瞰図などは構図もいいが、室内の絵は今ひとつ。
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ヴェネツィア
初出は昭和22(1947)年4月「人間」 。太宰38歳。冒頭に引かれるのは『旧約聖書』創世紀の第22章、アブラハムがわが子イサクを神に捧げるという逸話。続いては、佐倉宗吾郎の子別れの場。聖書と講談を同列に並べるのはいかがなものかと思うが、太宰の中ではたいした違いはないのかも知れない。こうした、先例を引きながら、「私」(限りなく太宰に近そうだが)は身を切るような思いで、妻子を振り捨てて遊興に出かけるのである。太宰は、この題材で『桜桃』を、そして『家庭の幸福』(昭和23年)を描くのだが、この『父』は⇒
ヴェネツィア
2025/09/29 17:01

⇒そうした一連の作品に先駆するものであり、よりダイレクトな表現をとっていた。戦中に書かれた「粋人」(『新釈諸国噺』所収)では、戯画化されていたが、これがさらなる先駆であったかもしれない。「家庭の幸福諸悪の根源」と言い、芸術のためなら、敢えて妻も子も犠牲にする「私」(太宰)。この姿を肯定できるかどうかが、あるいは太宰文学の「踏み絵」である。

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ヴェネツィア
著者のマイケル・ローフは、現在ミュンヘン大学で近東考古学の教授を務める。古代イラン研究とアッシリア学を専門とし、この地域を幅広く、かつ何年にも渡って調査を続けている。人類最古の文明の一つ、メソポタミアの歴史を遡る。初期の農耕集落は紀元前7000年〜前4000年に及ぶ。そして、やがて都市ウルクの誕生である。時に紀元前3500年〜前3100年。文字が生まれるのも、どうやらここのようだ。宗教儀礼を示す出土品も多数発見されている。まさしく、それは文明と呼ぶに相応しいものである。この地では、その後も長い長い⇒
sleepy
2025/09/29 19:00

ヴェネツィアさんこんばんは。映画「宇宙戦艦ヤマト完結編」に、神殿をもった超巨大宇宙基地「都市衛星ウルク」というのがでてきます。ネタバレになるので書けませんが「ああ、命名はそういうことか、だからウルクなのね」と納得いたしました。失礼いたしました。

ヴェネツィア
2025/09/29 20:34

sleepyさん、どうやらそのウルクのようですね。

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ヴェネツィア
さくらももこは初読。「スペイン・イタリア編」、「バリ島編」、「アメリカ西海岸編」、「パリ・オランダ編」、「ハワイ編」を収録。なんとも、お大名旅行である。飛行機はファースト・クラス。現地の空港に着いたらガイドがお出迎え。ホテルは☆☆☆☆☆クラス。例えばバリではアマンダリ。もちろん、プライベート・プールにプライベート・ガーデン付き。レストランも一流どころ。すべてがnonno編集部持ち。どうも、私はこの人の旅のスタイルとは相容れないようだ。やっかみ?…かも知れないが、たぶんそうではないだろう。こんな旅行なので⇒
Johnnycake
2025/09/29 17:54

ヴェネツィアさん、南イタリア🇮🇹、良いですね♪ ヨーロッパに旅行に行かれるということは、健康状態は悪くないということでしょうか。私は来月姪の結婚式のために今年2回目の日本に行きます。イギリスに続いて家族中心の旅なので、あまり旅行という気持ちはしないのですが。

ヴェネツィア
2025/09/29 18:05

Johnnycakeさんは日本ですか。私は今はどうやらコロナの後遺症で(検査では陰性だったのですが)嗅覚がないのですが(もう1ヶ月以上になります)、それ以外は健康です。早く嗅覚異常が治ってくれないと、食べ物が美味しくありません。

が「ナイス!」と言っています。
ヴェネツィア
とくのゆみ・文、ヒダカナオト・絵。主人公はメンダコにんじゃ。その実態はメンダコのこども、めんめん。何なのだ、これは。このメンダコにんじゃが、海の中で捕らわれの身になっていたタコノマクラたちを救うというお話。支離滅裂ではないけれど、単なるドタバタ劇。何を伝えたいのかわからない。というよりは、伝えるべき何ものもないのでは。どうだ、面白いだろうと振りかぶるのは作者たちのみ…でもないかもしれないが。絵だけを見れば、こちらは、カラフルでフォルムも分かりやすい。
ほのぼの
2025/09/29 09:12

以前に深海魚ブームが来ましたよね。その時メンダコやダイオウグソクムシなどのぬいぐるみが流行ってました。深海魚はグロテスクなものが多いですが、メンダコはちょっと可愛いですよね。😸

ヴェネツィア
2025/09/29 11:17

ほのぼのさん、それは知りませんでした。メンダコは流行っていたのでしたか。

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ヴェネツィア
初出は大正14(1935)年12月『蜃気楼』 。太宰17歳。太宰が中学3年生の時に書いたものであるらしい。「井の中の蛙…」に着想を得た、半ば寓意小説風の作品だが、既に老成の感も見られるところが、さすがは太宰といったところか。鎖国下の日本にオランダ人がもたらした世界図を巧みに素材化している。物語の舞台を日本にしなかったのは、さすがに遠慮があったか、あるいは忖度したのか、琉球に設定している。主人公の謝源の造型もなかなかよくできている。エンディングもまた小説的結構を成している。「栴檀は双葉より芳し」か。
が「ナイス!」と言っています。
ヴェネツィア
ホリー・ジャクソンのデビュー作。新鮮さと斬新さを持ちつつ、デビュー作とは思えない充実度を示す。まず、なにより主人公の探偵役のピップが魅力的だ。およそ、それなくしては小説の魅力がすっかり消え失せるだろう。事件は、最初は単純そうに見えたが、ページを追うごとに複雑さを増してゆく。つまり、後半に行くほどに物語は重層性を高めて行くのである。ただ、推理に力点を置くと、物証は極めて少なく、もっぱらピップの想像力頼みということになる。したがって、十分な情報(特に人間関係についての)を持たない読者は、ただただ彼女に付いて⇒
ヴェネツィア
2025/09/28 16:00

⇒行くだけである。もちろん、それでも大いに楽しめるのであるが。とりわけ、終盤のたたみかけ方は実に堂に入ったもの。しかも、エンディングはなかなかに感動的でもある。さらには、ちゃんと次作への含みも残されている。エンターテイメントとしては、お薦め。

ヴェネツィア
2025/09/28 16:04

タイトルは魅力的なのだが、P.D.ジェイムズの『女には向かない職業』の剽窃感は否めない。こちらは現代のほぼ直訳だが、本作の原題は"A Good Girl's Guide To Murder"にも関わらず、『自由研究には向かない…』としたために、内容とは齟齬を生じる結果になったようだ。

が「ナイス!」と言っています。
ヴェネツィア
ネタバレ著者の相澤 樹氏は、フリーランスのスタイリスト、デザイナー。2013年の刊行なので最新のではないものの、実にたくさんのkawaiiファッション・アイテムが満載されている。時にはgirlish、また時にはboyish。ボトムスもトップスも、アクセサリーもフルカラーで紹介する。kawaiiお店マップもあるが、そのほとんどは表参道あたり。対象年齢は、著者自身よりも下の世代、10代前半からせいぜいが20代はじめあたりか。ただ、私とはファッションのセンスが決定的に違っている。そんなの当たり前だけど。
が「ナイス!」と言っています。
ヴェネツィア
加古里子・作。家に必要なものはなんだろうか?と、順々に足してゆく。屋根、次は壁、そして出入り口…というように。とうとう最後には、何不自由ない快適なお家が。加古里子の経歴と得意技を活かした絵本。絵は、いたってシンプル。それこそ、ほとんど必要最小限のものしか描かれていない。実際に子どもたちを前に、こんな風に問いかけると、おそらくはこれほど整然とした順序では答えが出てこないだろう。真っ先には、ドアだったり、トイレだったりするかもしれない。読み聞かせなら、読み手の力量と度量も必要か。
勇魚
2025/09/28 11:56

懐かしい、この絵本大好きです。うちの子らも好きでした。かこさとしさんの科学絵本は「地下鉄のできるまで」も大好きで、親子で熟読したものです。

ヴェネツィア
2025/09/29 08:36

勇魚さん、私はこの人はこれまでよく知りませんでしたが、論理的で面白いです。

が「ナイス!」と言っています。
ヴェネツィア
初出は昭和20(1945)年4月「文藝」 。本篇は、「竹青」(『聊斎志異』収録)を原典とした翻案小説。全体に、物語の舞台はもちろんのこと、素材といい、構想といい大陸の物語のムードに溢れた作品。太宰の文体も、飄々淡々としている。戦争末期のこの時期、もはやこうしたものしか書けなかったのだろう。『新釈諸国噺』や『御伽草子』もこの頃のものである。これらの作品に共通するのは、なんといっても太宰の語りの上手さである。原典がある以上、畢竟はそれが勝負どころということになるのだが、それにしても太宰は元の作品が持つ特質を⇒
ヴェネツィア
2025/09/27 16:46

⇒実に巧みに活かしながら、小説に仕立てていく。呉王廟のくだりからの変身譚の鮮やかさは他に類を見ないほどに鮮やか。恬淡とした結びの妙も、大陸的でありつつ、太宰の姿がそこに見える。

が「ナイス!」と言っています。
ヴェネツィア
『アンドロマケー』のみの感想。分かりにくい劇である。なぜなら、劇の前半と後半が繋がりは有しているものの、別々の伝承を語っているかに見えるからである。すなわち、前半はアンドロマケーの置かれた苦悩が描かれ、後半はネオプトレモスのアポロン神殿での最期が語られるからである。前半はまだしも、敗軍の将の妻であったアンドロマケーの悲劇として成り立っているが、それでも彼女が一旦はペーレウスによって解放されてからは、姿を見せなくなる。そんなところに登場するのが、プリアモスである(直接は舞台には登場せず、使者が最期を語る)⇒
ヴェネツィア
2025/09/27 13:02

⇒どうやら、こうしたギリシア演劇を鑑賞するためには、広範な知識(古代ギリシア史とギリシア神話)が必要なようである。また、神々と人間との間の境界の低さも了解する必要があるだろう。

が「ナイス!」と言っています。
ヴェネツィア
地球は実に様々な環境を有している。例えば日本だけに限っても、自然環境は実に多様だ。まして地球全体となれば、さらなる広がりを見せる。そして、そのそれぞれの環境に適合した生物たちがいる。動物も植物も、微生物も。その存在に想いを馳せるなら、もはや奇跡としか言いようのないほどである。私たちが住んでいる地球は、かくも神秘的な世界だ。ただ、今また何度目かの危機的な状況にあることも事実。日本にはおよそ9万種の生物が存在するそうだが、そのうちの実に3155種は絶滅危惧種に指定されている。もっとも身近なところでは、メダカ。
ヴェネツィア
2025/09/27 08:30

本書は小学校高学年くらいからなら十分に読めるし、考えることができる。ここから出発するなら、ごく身近なところにも野生生物はたくさんいるし、夏休みの自由研究の材料にも事欠かない。シリーズを通してお薦め!

が「ナイス!」と言っています。
ヴェネツィア
キム・サングン 作。韓国の絵本。カエル(?)の子どもたちがみんな揃って洞窟探検に。最初に遭遇したのはコウモリの群れ。双方が「きゃあああ!たすけて!」。お次は大蛇。その次は恐竜(?)。そして、ホタルの群れ。最後は、洞窟の中に住む恐竜の子どもが「かあさん…どうくつの そとには なにがある?」 。と、内と外とが相対化される。単純ではあるが、テーマ設定はいい。絵は構図がやや煩雑なところと、キャラクターが漫画っぽいのが残念。
が「ナイス!」と言っています。
ヴェネツィア
初出は昭和14(1934)年8月「文學者」 。太宰25歳。大が犬嫌い、というよりは犬を恐れる太宰(一応は小説なので、太宰とすべきではないかも知れないが)の語りで始まる。表現は全体にかなり誇張されている。「私」は犬は「猛獣」だという。犬に噛まれた友人は21日間も病院に通ったとも言う。恐水病も怖い。誇張の極みは「その犬の頭蓋骨をめちゃめちゃに粉砕し、眼玉をくり抜き、ぐしゃぐしゃに噛んで、べっと吐き捨て、それでも足りずに近所近辺の飼い犬ことごとく毒殺してしまう」というあたり。およそ太宰にはできそうもないのだが。
tacchiniyan
2025/09/27 06:23

高校の教科書に載っていました。繰り返し読みました。フィクションと思います。

ヴェネツィア
2025/09/27 19:52

tacchiniyanさん、やっぱりフィクションでしょうね。

が「ナイス!」と言っています。
ヴェネツィア
『成瀬…』で一世を風靡した宮島奈緒。続編の次の次がこれ。当然あれほどは望めないが、『婚活マエストロ』ともども、これもそこそこは売れるだろう。なにしろ、今なら、あの成瀬の…が大手を振っている。出版社もそう考えているに違いない。さて、本書だが、設定は初心に帰って高校に。「平安部」なるクラブ活動の設立から成功までを描く。キャラクターたちはいずれも軽量級だが、展開はいたってスピーディー。また、今回は大津といったような特定の地を背負っていないので、一層に軽やかだ。もっとも、それがプラスに作用するかといえば、⇒
ヴェネツィア
2025/09/26 20:02

でも、作家として立つ以上はそうもいきませんからねえ。

masa
2025/09/26 20:05

そうですねえ。ストーリーよりキャラが立つかどうかの作家さんですから。そうなるとライトノベル路線で行くんでしょうね。

が「ナイス!」と言っています。
ヴェネツィア
タイトルのインパクトが強い。でも、これって何なのだ。そんなところでモテてもしようがないだろうに。著者名を見ると、上坂あゆ美。婆ちゃんのエッセイか?ところが、実態は歌集。しかも著者は若干31歳。225首の歌が収録されていて、何首かずつ小見出しが付いているが、タイトルのそれはない。巻頭の一首「ばあちゃんの骨のつまみ方燃やし方 YnuTuberに教えてもらう」。歌は一見したところは自然に見える。しかし、そこには実は大きなギャッ プがあるだろう。そのささやかな違和にこそ上坂あゆ美の真骨頂があるのだろう。
ヴェネツィア
2025/10/10 08:35

masaさん、タイトルは読者を惹きつけるためかと思われます。なんといっても、短歌はまだまだマイナーな文学ですから。

ヴェネツィア
2025/10/10 08:37

きゃれらさん、そうですかね。まあ、「死ぬほど」モテれば女冥利(男冥利)に尽きるのかも。

が「ナイス!」と言っています。
ヴェネツィア
キューライス・作。奥付によれば、この人は漫画家、イラストレーター、短編アニメーション作家らしい。うさぎのうさやまさんが畑を耕していると、突然ゴリラがやってきた。うさやまさんは「〇〇したらだめですよ」と次々に禁を出す。というよりは、お願いする。それは次第に懇願から、とうとう叫びになり…。でも、最後はメデタシメデタシというお話。絵が変わっている。というのも、うさやまさんが、うさぎでありながら、ちっとも可愛くないのだ。相方のゴリラは、というと、こちらも寡黙なオヤジといった風情。賑やかなうさやまさんと、⇒
ヴェネツィア
2025/09/26 07:49

⇒しゃべらないゴリラ。この対比の妙が眼目なのだろうけれど、果たして読み聞かせの再読に耐えられるだろうか。

が「ナイス!」と言っています。
ヴェネツィア
ネタバレ畑野智美は2作目。本書は若い女性の貧困をテーマに展開する。私たちは、幸いにも境界のこちら側にいるが、状況によっては何時向こう側に行くことになるかわからない。主人公の愛は、在学中の就職活動がうまく行かず、非正規社員として社会に出る。そこからは、次第に困窮、転落への道筋を歩むことになる。アパートも失い、そうするとホームレスになるしかない。そのことは益々自分自身を苦しい立場に追い込むことになる。そんな時に、彼女の周辺にいた女性たちは、さらなる苦境に立たされていた。かろうじて踏みとどまろうとする意思⇒
が「ナイス!」と言っています。
ヴェネツィア
カタツムリ、デンデンムシ…この生物は様々な方言でも呼ばれるようだが、正式名は「マイマイ」のようだ。ちなみに、関西出身の私は、子どもの頃はデンデンムシと呼んでいた(今はカタツムリ)。雨上がりの庭によくいるが、昨今では野生のカタツムリを見たことがないという子どもたちも珍しくないらしい。さて、本書はカタツムリの分類から生態などを縦横無尽に語ったもの。先日、2匹のカタツムリの交尾を目撃したので調べてみることにしたのだが、門外漢には格好の1冊だった。本書によると、なんと日本には1000種類もの陸貝が生息して⇒
ヴェネツィア
2025/09/25 18:48

人間の場合は自滅に向かいそうです。

五月雨みどり
2025/09/25 20:56

ぜーんぜん むりむり わかづくり~♪ (童謡「かたつむり」替え歌 by 嘉門達夫)

が「ナイス!」と言っています。
ヴェネツィア
今回は、フォスター・アソシエイツの設計によるウィリス・フェーバー&デューマ社屋。イプスウィッチ(サフォーク州・イングランド)にあり、1975年の完工。建築当時はセンセーションを巻き起こし、英国王立建築学会評議員メダルを獲得するなど、高い評価を受けてきた。ちなみに、「ウィリス…」は、歴史ある保険会社。この社屋の特徴は、全面総ガラス張りにある。(光の具合にもよるが)外からは内部が見えるし、内側からは外が見える実に開放的な建物である。1階は、ビルディング全体を統御する機械室で、様々な機械類が陳列されている⇒
ヴェネツィア
2025/09/25 07:31

⇒かのごとく、よく見える。あたかも博覧会場を訪れた趣きである。2階と3階とがオフィスになっているが、中央に大きなスペースを取ったエスカレーターがあり、周囲に配された植物とだ醸し出される景観は高級ホテルのようだ。

が「ナイス!」と言っています。
ヴェネツィア
イナキヨシコ・文、寺田順三・絵。タイトルのように、31のごく短い物語。登場するのも、「とおいとおい」旅に出る大きいクマと小さいイヌ、ハリネズミ、ブタの男の子、サルの男の子など、もっぱら動物たち。特に何が起こるわけでもない、ささやかな日常が語られる。寺田順三の古い版画風の絵が、この小さな物語に抒情を添える。ヨーロッパかアメリカの昔の絵本のような風情だ。読み聞かせなら、1日1話がよさそうだ。発行元がワールドコムとマイナーなせいか、あまり読まれていないようだが、お薦め。
が「ナイス!」と言っています。
ヴェネツィア
初出は昭和10(1935)年12月、「新潮」 。これは『地球図』序なのであるが、実質的には『ダス・ゲマイネ』が当時の批評家たちから散々の酷評であったがために書いたものである。そして、同時になぜ自分が『地球図』を書いたのかを語ることで、鬱憤を吐露したいるのだろう。すなわち、「この國いまだ頑迷にして、よき通詞ひとり、好學の白石ひとりなきことを覚悟せざるべからず」との慨嘆がそれである。つまり、世間には『ダス・ゲマイネ』が通じない。あんなに心血を注いで書いた作品であったのに、というのが太宰の思いであったのだろう。
ヴェネツィア
2025/09/24 16:11

私は太宰が思うほどに『ダス・ゲマイネ』が傑作であるとは思えない。もっとも、現代の批評家たちの評価は高いのだけれど。作家の思いと、世間の評価が一致しないのは致し方ないところ。スタンダールなどは、はじめから諦めて50年後に評価を委ねたという。

が「ナイス!」と言っています。
ヴェネツィア
感想は『ヘーラクレイダイ』のみ。この作品は典型的な「嘆願劇」の構造に依っているようだ。 そして、この場合の嘆願者は、直接的にはイオラーオス(ヘラクレスの甥、老人)だが、実質的にはヘラクレスの幼い子どもたちである。被嘆願者はアテナイの王のデーモポーン、迫害者はアルゴス王のエウリュステウスという関係性の中で劇が展開する。ただ、ややこしいことにそこに神託が介在し、マカリアー(ヘラクレスの娘)が自らの身を捧げるという物語が混入する。にも関わらず、彼女の、あるいは他の者たちの葛藤は十分に語られることなく、劇は⇒
ヴェネツィア
2025/09/24 15:58

⇒そのまま進行してゆく。さらには、イオラーオスの戦場での働き(神意によって一時的に若返る)によって、アルゴス軍を撃退した後に、またしてもアルクメーネー(ヘラクレスの母)が登場し、話をややこしくさせるのである。エウリピデスは劇としての収斂性ということを考えなかったのであろうか。

が「ナイス!」と言っています。
ヴェネツィア
ここで取り上げられているのは、現代建築の美術館が25館。建てられ方はいろいろである。周囲の街並みの景観と馴染むように工夫が凝らされたもの。あるいは、あくまでも美術館なので、外観よりも美術品の展示にウエイトを置いたと思われるもの。また、それ自体が建築物としての個性を思いっきり主張したもの。いずれの美術館も、後世にそれ自体が美術品として残るものばかりである。とりわけ、屹立するがごとくなのが、フランク・O.ゲイリーのグッゲンハイム美術館(ビルバオ)、サンティアゴ・カラトラヴァのミルウォーキー美術館、そして⇒
ヴェネツィア
2025/09/24 14:06

⇒安藤忠雄のフォートワース現代美術館(テキサス州・表紙写真)である。他のものも、いずれ菖蒲か杜若、目移りすること必定である。これらの美術館は、それ自体を見るために旅をするに値する傑出した建築群である。また、美術館の設計を任されるなんて、ほんとうに建築家冥利に尽きるであろうと思われる。

が「ナイス!」と言っています。
ヴェネツィア
旧約聖書の「詩篇」23を、さらに短い詩形にし、ターシャ・テューダーの絵を付した絵本。旧約だが、限りない優しさと神様とともにあること、生きることの喜びを静謐な中に謳い上げる。絵は、基本的にはリアリズム。祈りと光に溢れている。ただ、今の世界でこの境地を享受できる人たちばかりではないことに思いが及ぶ。平和の実現は残念ながら遠い。
yomineko@鬼畜ヴィタリにゃん🎄🎅🎄
2025/09/24 08:33

お早うございます😊「初めに光があった」を読みました📚こちらも読みたい本に登録させて頂きました📕

ヴェネツィア
2025/09/24 11:03

yominekoさん、おはようございます。ターシャ・テューダーさんらしい絵です。

が「ナイス!」と言っています。
ヴェネツィア
折口信夫版『身毒丸』。物語の後に「付言」として『身毒丸』の伝承についての考証がある。世間的には謡曲『弱法師』が『摂州合邦辻』等の源流とするようだが、折口はやはり説経に高安長者伝承の本流があると見ているようだ。また、こうした伝承研究の表現形式としては小説の形を取らざるを得ないとする。すなわち、ここに語られた物語が折口の研究の成果を示すということになるのだろう。説経とは、随分設定も、そして受ける趣きも違ったものとなっている。折口は、身毒丸の父親を田楽師とし、身毒丸もまた、9歳の時から一座とともに⇒
ヴェネツィア
2025/09/23 16:49

⇒旅の境遇にあった。その意味では、流離の物語なのだが、説経とのあまりの違いに戸惑うのである。折口の庶幾する身毒丸、もしくは高安長者伝承の本質がここにあるのだとすれば、何とも難解な提示の方法である。

が「ナイス!」と言っています。
ヴェネツィア
シリーズ第5弾。この巻も、あるいはこれまで以上のスロースターターぶりだ。最初の殺人事件の犠牲者の発見こそ冒頭で描かれるが、そこから解決へと至る道、及びその枝葉末節が長い。総ページ数にして700ページ強もあるのだが、事件の手がかりのいずれもが小さな点に過ぎず、なかなかそれが線や、面を構成して行かないのである。最初の手がかりらしきものにたどり着くのは、260ページあたりという悠長さ。それだけじっくりと描かれるだけに、物語が内包する世界と過去とは十分な重みと厚みとを有している。また、そこには現代スウェーデンの⇒
ヴェネツィア
2025/09/23 13:16

⇒抱える政治問題も大きく影を落としている。すなわち、民主党(極右政党)の伸長とネオナチの台頭、排外主義の広がりである。カミラ・レックバリは、それを大戦中のスウェーデンにまで拡張して描き出した。ちなみに、大戦中のスウェーデンは中立国であったのだが、そこには様々な事柄もあった。

ヴェネツィア
2025/09/23 13:19

本書は、基本的には警察小説なのだが、登場人物たちを実に丁寧に描いてゆく。今回は、いつもはオジャマな署長のメルバリが、自身でも思いがけない役割を担うことになった。シリーズとして読む楽しみも多い。

が「ナイス!」と言っています。
ヴェネツィア
出版は、約10年前で、版元はロンドンを拠点に、ニューヨーク、パリに支社を持つThames & Hudson。ファッションばかりでなく、美術全般や建築なども扱っている。本書は、Men’s wearの大特集である。私の馴染んだイタリアン・ブランドとは対極にある感じだ。全体に質実剛健というか、野暮ったいというか。中には都会的なものもあるが、大半はカントリー・サイドが似合うファッションである。モデルの男性たちも、やはり無骨そのもの。これがウケそうな地域を考えると、スコットランド、ウェールズ、ブルターニュ⇒
ヴェネツィア
2025/09/23 12:30

いや、それはそれでわからなくはありません。

masa
2025/09/23 12:34

それは良かったです(*´▽`*)

が「ナイス!」と言っています。
ヴェネツィア
E.H.ミナリック 文、モーリス・センダック 絵の人気シリーズ"Little Bear"の第4巻。今回は、くまくんが絵を描いておばあさんにプレゼント。お礼にキスをめんどりが届けることに。めんどりから、カエル、カエルからネコに、ネコからスカンクにと次々とリレーされていって…というお話。途中で何やら混乱するが、最後はメデタシメデタシ。1968年の刊行で、古いのだけれど、その古さをノスタルジーとして楽しめるなら。もっとも、子どもたちにはそんなノスタルジーはないので、さてどうだろうか。初期のセンダックの絵がいい。
が「ナイス!」と言っています。
ヴェネツィア
初出は昭和10(1935)年12月「新潮」 。翌年6月『晩年』に収録。太宰26歳。構想も文体等のスタイルも、芥川の切支丹ものに倣った作品。主たる典拠は新井白石の『西洋紀聞』。主人公のシロオテとあるのは、一般にはシドッチと表記されるバテレンである。また、他のカタカナ表記のものも、現代のそれとは違っているが(例えばデキショナアリヨム)、それらはいずれもラテン語風に表記したものだろう。真偽の程は不明。シロオテ尋問のくだりなどは、全く『西洋紀聞』そのままであるし、シロオテの迎える結末もほぼ史実通りである。⇒
T. Tokunaga
2025/09/23 16:10

ヴェネツィアさん、デキショナアリヨムなんてラテン語ないよなぁ、と辞書を確認したら、やはり思ったとおり、ギリシャ語由来の Lexicon でした。ちなみにイタリア語ではラテン語 dictum (dicere、言う、の過去分詞)から Dizionario といいます。

ヴェネツィア
2025/09/23 17:12

T.Tokunagaさん、ありがとうございました。私にもそのマメさが欲しいです。

が「ナイス!」と言っています。
ヴェネツィア
『しんとく丸』のみの感想。これまた中世ムードに溢れる説教浄瑠璃である。主人公のしんとく丸もまた申し子であった。この度、願をかけられたのは清水観音。また、この物語では、これ以降も度々清水観音の霊験が描かれる点が特徴的であり、観音は最後までしんとく丸に寄り添っていた。道行もまた3度も現れるが、これらのことからすれば、あるいはこの作品は説教の中でも古態を示すものであろうか。しんとく丸は、あわれにも継母の呪いによって「違例」となり、放浪を余儀なくされる。物語の大半は、この流離の過程を描くのだが、⇒
ヴェネツィア
2025/09/22 15:23

⇒それを救済するのが和泉国の乙姫であり、清水観音であった。また、結局それは果たされることはなかったが、「違例」の治癒のために、しんとく丸は一旦は熊野湯の峰に向う。また、女性による救済という点でも、『をぐり』と共通点を持っている。なお、この語り物は後世の表現者を刺激するらしく、菅専助・若竹笛躬の浄瑠璃『摂州合邦辻』や折口信夫『身毒丸』、寺山修司『身毒丸』などが生み出された。

が「ナイス!」と言っています。
ヴェネツィア
この巻は、本来の古民家というよりは、それらを巧みに改装した「古民家スタイル」の提案。巻頭を飾る川口邸(新潟県加茂市)は、内装こそ純和風で、囲炉裏などもしつらえられているし、外観も切妻屋根なのだが、建材の木はいたって軽量で、全体の印象も軽やか。古民家の持つ重厚な質感と色彩からは遠い。実に様々な改装例が紹介されるが、面白かったのは、泉大津市(大阪府)の改装例before&afterである。改装前は、古くてちょっと小汚い(失礼!)町家の民家にしか見えないのだが、改装後の各部、外観や廊下、玄関などが見違える⇒
ヴェネツィア
2025/09/22 17:04

ですね。後は朴葉味噌とか。

masa
2025/09/22 18:26

さすが。わかっていらっしゃる(>人<;)

が「ナイス!」と言っています。
ヴェネツィア
瀬田貞二・再話、田島征三・絵。民話を再録したもの。泥棒とオオカミの取り合わせも絶妙だし、お話の展開もスピーディーかつ創造性に富む。しかも、結末かと思われた後に、さらに猿のシッポと顔の由来譚のオマケが付いている。田島征三の太い描線のラフなタッチも民話スタイルのこのお話にはピッタリ。なかなかに味わいのある絵本。読み聞かせにも向いていそうだ。
コータオ
2025/09/23 09:13

気になります!図書館予約しました!

ヴェネツィア
2025/09/23 14:54

コータオさん、民話らしい味わいのある絵本です。読んでみてください。

が「ナイス!」と言っています。
ヴェネツィア
初出は昭和17(1942)年7月「新潮」 。太宰33歳。太宰自身を思わせる人物による一人称語りのスタイルをとる。あくまでもフィクションではあるだろうが、それにしても限りなく太宰その人に近いモデルである。訪ねてきた客に、お酒もお金もないので、せめてアルバムを出してきて自己を語って聞かせようというのである。とはいえ、身内の写真も、自身の幼少期の写真もなく、一枚目はいきなり高校生である。すなわち、そこから語り始めて、ほぼ今(昭和17年)までの自分を語るのである。太宰に特有の韜晦もなく(多分に偽悪的ではあるが)⇒
ヴェネツィア
2025/09/21 16:15

⇒どちらかと言えば、比較的ありのままに語っているのではないか。逆に言えば、客観視され過ぎていて太宰らしさが希薄であるとも言える。

が「ナイス!」と言っています。
ヴェネツィア
この巻はシュルンベルジェ・ケンブリッジ・リサーチ・センター。マイケル・ホプキンズ&パートナーズの設計である。このシリーズでは、先にローズ・クリケット競技場、マウンドスタンドがあった。そちらは、1987年の完工でこちらは1985-1992年と時期的にも近い。したがって、全体のコンセプトも似ている。ことに外観から受けるイメージはそうだ。ただ、こちらはより大がかりで複数の建築物から成っている。いずれも、陽光をふんだんに取り入れており、屋根のテント様構造と相まって軽快である。ジョイント部など細部をあえて見せる⇒
ヴェネツィア
2025/09/21 16:03

⇒設計も共通する要素である。それは同時にフレキシビリティの確保でもある。透明感に満ちた、この美しさはケンブリッジの景観を損なうことなく、それでいて建築の現代をさりげなく主張する。

が「ナイス!」と言っています。
ヴェネツィア
1952年の暮から翌年の夏まで、小林秀雄は今日出海と半年間の海外旅行に旅立った。主にはヨーロッパだが、アメリカにも渡っているので、事実上の世界一周の旅であったか。その最大の成果は各地の美術館で見た名画の数々であった。小林秀雄は翌年から「新潮」に「近代絵画」を連載する。本書は、そんな小林が出会ったヨーロッパ各地の絵画を小林とともに追想するもの。オランダ、フランドルから始まっているが、小林の関心は徹底して、ゴッホをはじめとした印象派にあったようだ。レンブラントがほとんど唯一の例外であるが、それとても見方に⇒
ヴェネツィア
2025/09/21 08:04

⇒によっては、印象派を見る視点で見ることもできそうだ。この地域には、ブリューゲルやメムリンク、そして何よりもヘントのバーフ大聖堂かが有するファン・アイクの『神秘の子羊』がある。その後に小林が立ち寄ったイタリアにしてもそうだが、彼の関心はルネサンス絵画にはあまり向かわなかったようだ。時代の空気もあっただろうと思われる。

が「ナイス!」と言っています。
ヴェネツィア
アネット・チソン、タラス・テイラー作。人気シリーズの第2弾。バーバパパの一家の住んでいた家が手狭になってきたので、新しい家を求めて…というお話。家の遍歴と最終形のフォルムを楽しむ1巻か。やはり、この巻ももっぱらキャラクターのカラフルな造型と動きが魅力の核心。子どもたちは歓迎だろうが、大人はいささか飽きてくる?いやいや、まだまだ楽しめるという人の方が多いかな。
ヴェネツィア
2025/09/22 10:47

masaさん、私は正直なところ、ちょっと飽きてきたかなぁという感じです。子どもたちは簡単には飽きないのでしょうね。

masa
2025/09/22 11:24

子供はストーリーを追うより、感覚的なものとして体験しているのではないでしょうか。大人が鑑賞するのとは随分違うと思いますね。そういった意味では、ヴェネツィアさんが飽きてくるのも仕方がないかと。

が「ナイス!」と言っています。
ヴェネツィア
初出は昭和21(1946)年12月「改造」 。太宰37歳。老詩人の前置きがやたらに長い。またしても、原稿の枚数稼ぎかと疑われなくもないのだが、この作品に関しては、この一見無駄なような前置きが、語り手の老詩人の造型に寄与していると言える。それにしても、今回は老人だが、『女生徒』をはじめとして、太宰の一人称語り体の小説はいずれもよくできている。タイトルは、太宰が自由に選んだものなのか、あるいは「改造」からの指定依頼であった のかはわからないが、どうも後者であるような気がする。件の長い前置きに続いて、⇒
ヴェネツィア
2025/09/20 16:33

⇒ようやく「男女同権」に話が及ぶのだが、普通は(まして民主主義が声高に喧伝されたこの時代)女性の権利拡張が語られるものと誰もが思う。太宰はそれを逆手にとって、老詩人がこれまでいかに女性たちに虐げられてきたかを面々と語る物語に仕立てたのである。あの前置きは、このピントの ズレかたのための伏線であったのかと思ったりもする。結局、終わってみれば、何のことはない。太宰にうまくはぐらかされたようなものであった。

が「ナイス!」と言っています。
ヴェネツィア
『ヒッポリュトス』のみの感想。現代の私たちの目からすれば、ヒッポリュトスの不条理劇そのものである。キュプリス(=アフロディテ)の神威を恐れず、愛の交わりを卑しめているヒッポリュトスは、その性向故にキュプリスの罰を受けることになる。キュプリスの奸計は、義母のパイドラーにヒッポリュトスへの愛を植え付けることであった。パイドラーは苦しみの余り自死を図るが、乳母にそれを止められたばかりか、ヒッポリュトスに告げられてしまう。ヒッポリュトスは当然それを受けることはない。挙げ句にパイドラーは自死を選び、あろうことか⇒
ヴェネツィア
2025/09/20 13:27

⇒その原因をヒッポリュトスが自分の寝所を侵そうとしたとの遺言を残す。ヒッポリュトスは、父のテーセウスに追放され、その呪いのもとに死ぬことになる。最後には、ヒッポリュトスが敬愛していたアルテミスが登場し、誤解は解けるのだが。人間は、いかに高潔であろうとも、神々(この場合はアフロディテ)に憎まれれば、どうにもならない。ヒッポリュトスとパイドラーのそれぞれが抱える葛藤も所詮は人間のそれに過ぎない。ある種、運命論的な世界観であるとも言えるし、ギリシア世界の壮大さの隠喩であるともとらえられるか。

が「ナイス!」と言っています。
ヴェネツィア
著者はSHOKO。巻末の紹介によれば「ロンドンと東京を拠点に活動するアーティスト」とある。CHAPTER1では、自らがモデルをつとめ、ロンドンの街中のいろんな場所で、様々なロンドン・ファッションの装いを展開する。彼女の年来のファンの人たちはそうは思わないだろうが、年齢的にちょっと無理があるかなと思われるものも散見される。また、元モデルであったそうだが、それにしてはポーズが今ひとつキマらないものも。CHAPTER2は、ロンドンガールズのファッション・スナップ集。こうして見ると、ロンドンもなかなかに⇒
ヴェネツィア
2025/09/20 10:17

⇒お洒落な街であり、パリやミラノとはまた違った感覚があるようだ。ただ、幾分か田舎っぽさが否めないような気がするのは、偏見と思い込みか。

が「ナイス!」と言っています。
ヴェネツィア
ハサン・アブダッラー 文、ヒルミー・トウニイ 絵。文のアブダッラーは、国籍・生年ともに不詳。ればのんで行方不明に。絵のトウニイは、エジプト生まれのイラストレーター。本書は紹介されることの少ない、パレスチナの絵本。小学校でのこと。先生が画用紙を配って「今日は魚を描いてごらん」と言い、子どもたちが描きはじめた。でも、バーシムの描く魚は先生の気に入らない。何度か描き直した末に、先生もはたと気がついた。生きて泳いでいる魚を描くことの大切さに…といったお話。絵は、ちょっとレオ・レオーニを思わせるグラデーション⇒
ヴェネツィア
2025/09/20 07:52

⇒カラーのもの。また、バーシムの描き方は、これまたちょっとシャガールを連想させる。「生きていること」の意味を直喩ではなく語る絵本。

が「ナイス!」と言っています。
ヴェネツィア
この巻はZenレストランである。ロンドンに3店、香港とモントリオールに各1店がある。いずれも施主はローレンス・ルン。設計はリック・マザー。そして、これら5店はすべて、ニューウェーヴのチャイニーズ・レストランである。最初に作られたのがロンドンの"ZeNW3"。ルンからの要望(むしろ条件か)は、「レストランは水の流れで特色づけられなければならない」、「中国では赤は縁起のいい色なので、必ず少量は取り入れなければならない」などというものであった。リック・マザーは、これらをクリアしたばかりか、これまでには⇒
ヴェネツィア
2025/09/19 17:16

⇒見られなかった、全く新しいタイプの明るく開放的なレストランを作り上げたのである。テーブル・セットに箸が置かれていなければ、およそチャイニーズ・レストランには見えない。しいて言えば、バーラウンジに見えるだろうか。2店目がZenセントラル、そして香港、モントリオール、Now and Zenへと展開していくにつれて、リック・マザーの設計も更に大胆さを増していくのである。

が「ナイス!」と言っています。
ヴェネツィア
開高健は、ベトナム戦争に記者として従軍し、『ベトナム戦記』を書いている。未読だが、そちらはおそらくルポルタージュであり、本作はそれとベトナムでの数々の体験を元に書かれた小説といった位置づけなのだろう。小説として書く以上、当然そこにはフィクションが介在し、構成だけではなく、作品全体に想像の余地が残るということである。たしかに、日本に妻を残して来ているのであるから、素娥との度重なる情交のシーンなどはまずいだろう。また、これはどこまでが実体験であったのかはわからないが、最後に部隊と行動をともにし、密林に⇒
masa
2025/09/21 10:06

あさん、ご紹介の記事を拝読。これは、ジャングルで行方不明とかって記事も怪しいなあ。でも、取材というか話くらいはまあまあ訊いてたんじゃないかと。ジャングルでは跳弾が怖いとか米兵の言ですが、これくらいは酒の席で喋るだろうし。本当のトコロが三割くらいでしょうか。あとは妄想で書いたと。それにしても、ここで実話にぶつかるとは思ってもいませんでした。それこそ、めちゃくちゃ面白いノンフィクションを読んでいるようで素晴しかったです。改めて、あさん、ヴェネツィアさんありがとうございました。

ヴェネツィア
2025/09/21 19:12

開高健で思いがけず盛り上がりました。masaさん、あさん、感謝!

が「ナイス!」と言っています。
ヴェネツィア
ここに収められた空中写真は、国土地理院によるもの、および米軍の撮影したものとからなる。名古屋、京都、大阪(梅田、京橋、難波)、神戸、奈良、和歌山、広島、呉、下関、徳島、松山、小倉、福岡、長崎、熊本、宮崎のそれぞれの戦中と戦後の復興の様子を語る写真群である。1945年に撮影されたものは、そのいずれもが米軍 の爆撃によって一面の焦土と化している。もちろん、これらの撮影は米軍の偵察機によるものである。もっとも凄まじい惨状を見せるのは、やはり広島。1945年7月25日の写真(被爆12日前)、そして8月8日⇒
ヴェネツィア
2025/09/19 08:44

⇒(被爆の2日後)の写真が、わずか1発の原爆によってもたらされた破壊を如実に物語る。

が「ナイス!」と言っています。
ヴェネツィア
たるいしまこ・作。消防車の製造工場を訪ね、その過程を見る科学絵本。自分で読める年齢ならいいが、読み聞かせなら文がやや煩雑。絵は、モノがモノだけに基本的にはリアリズムを遵守。特に消防車に関しては、細部まで丁寧に描かれている。ただ、消防車の種類や機能とは違って製造過程なので、子どもたちにどこまでアピールするだろうか。なお、取材協力として、日本機械工業とモリタが上げられているが、シェアはモリタが圧倒的。もし、消防車を見る機会があれば、ぜひメーカー名も。
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ヴェネツィア
初出は昭和12(1937)年9月「日本浪曼派」 。太宰28歳。ここでいう檀君は、もちろん檀一雄のこと。太宰、坂口安吾らとともに無頼派と称される。太宰より3歳年少である。太宰の文章からは、どうやら檀一雄は世間からあまり評価されていなかったことが察せられる。太宰にはそれが悔しいのである。もっと評価されてしかるべきだと思っているのである。太宰や安吾に比べると、評価されるのが遅かったのだろう。今にいたるも、この2人の後塵を拝しているといった位置づけである。私も実は檀一雄を読んだことがない。これを機会に、まずは⇒
ヴェネツィア
2025/09/18 16:40

⇒『火宅の人』あたりから読んでみようと思っている。なお、女優の檀ふみは彼の娘。この人も藤純子の後釜と目されていた割には、いささか地味か。

が「ナイス!」と言っています。
ヴェネツィア
日本で体験できるル・コルビュジエ。本書は、国立西洋美術館の建築ガイドである。完工は1959年。2007年には重要文化財に指定され、世界遺産の登録候補でもある。ル・コルビュジエは、かなり早くから美術館の構想を持ち、パリ現代美術館など、いくつかは実際に計画案まで立てていたよう だ。そして、それが実現したのが、インドのアーメダバード美術館(1958年)と、チャンディガル美術館(1968年)と、日本の国立西洋美術館である。本書の前半は、前庭からはじまって、順次、美術館の様々な部分をたどって行く。それぞれのパーツ⇒
ヴェネツィア
2025/09/18 13:14

⇒ごとに、例えば本館外壁なら、それと関連する意匠として、マルセイユのユニテ・ダビタシオンやラ・トゥール修道院のそれらとを比較してゆくのである。ル・コルビュジエのスタイルがどんなところに表れているのかがよくわかる解説である。しかも、パーツごとに見ていくので、実際に見学する場合にも、どこに着眼すればいいのかが示されるのである。後半はル・コルビュジエをもっと知るためのあれこれ。

が「ナイス!」と言っています。
ヴェネツィア
説経浄瑠璃の中では最も波乱に富み、また中世的な要素も満載なのが『をぐり』である。まずは、本地もの。そして主人公のをぐりは蔵馬の毘沙門天の申し子である。異類婚姻譚もあり、貴種流離譚でもあり、手紙の謎解き、照手姫との婚姻、鬼鹿毛を乗りこなす英雄譚、死と復活、土車による村送り、道行…等々、もう全ての要素が揃っている。波乱万丈の物語。面白さでも群を抜く。表現こそ常套句の連続だが、それがまた何とも古雅な味わいを醸し出している。この物語も、あるいは元々はをぐりと照手姫との別々の物語が融合したのかも知れない。仮に⇒
ヴェネツィア
2025/09/18 07:38

⇒そうであったとしても、その融合具合は、をぐりの剛と照手姫の優、をぐりの蛮勇と照手姫の限りない慈しみと見事な対照を示しつつ物語を醸成する。秋の一夜、しばし中世の物語に身を浸すのも一興かと。お薦め。

が「ナイス!」と言っています。
ヴェネツィア
ルース・クラウス 文、モーリス・センダック 絵。1952年刊と、かなり古い絵本。2つの幼稚園の園児たちや先生たちの協力のもとにできた本。いろんな言葉(幼稚園なので基本的に名詞)の子どもたちなりの定義を並べたもの。そのアイディアとセンダックの絵とで成り立っている。例えば 「こんにちは といって あくしゅすることを パーティって いうの」とか「だきあうために うでが あるのよ」といった風に。日本の子どもたちとアメリカの子どもたちとの違い(年代の違いもありそうだ)もあって面白い。絵はモノクロームのペン画。⇒
ヴェネツィア
2025/09/18 07:05

⇒目利きでなければ、これがセンダックとはわからないかも。こんな風に、すべての子どもたちに、子どもであることの幸せを与えてやりたいものだ。

が「ナイス!」と言っています。
ヴェネツィア
初出は昭和9(1934)年4月「文化公論」。太宰25歳。初出時の署名は黒木舜平であったらしい。とっても珍しい太宰のミステリー。主人公が殺人を犯すなどというのは、これ一作だけではないだろうか。内容もそうだが、文体もまた太宰にしては大仰で時代がかっている。作中にも登場する尾崎紅葉の文体が頭にあったか。誰もが気づく熱海の地を「或る海岸の温泉地」などともったいぶった表現や、喫茶店で少女に一目惚れをするシーンなど、わざとかと思うくらいに陳腐で、ことさらに稚拙を装ったかのようである。さらには恋の成就から、少女を⇒
ヴェネツィア
2025/09/17 16:33

⇒殺してしまうに至る経緯もまた、いささか整合性に欠けるようである。結末の収め方にも工夫がない。太宰の若き日の習作と見なすべきか、それとも戯れ文とするべきか。

が「ナイス!」と言っています。
ヴェネツィア
著者のダニエル・ボット氏は、Vogue他の雑誌で活躍した、ファッションと美容に特化したジャーナリスト。ここでは、シャネルの魅力を豊富な写真を付して解説している。まずは、スーツから。シャネルのファッションを代表するのは、たしかにスーツであるかもしれない。シャネルのスーツは、いずれも柔らかい生地と織りで身体に馴染むようなデザインである。そして、しばしばザックリとした質感を伴ったりもす る。"Nothing is more beautiful than freedom of the body"―なるほど。⇒
ヴェネツィア
2025/09/17 14:32

⇒続いては、装飾品やバッグなど。そして、ジュエリー。これもなかなかにゴージャスなもの。"Luxury is not the opposite of poverty,it is the opposite of vulgarity"―これもごもっとも。最後はフラグランスと化粧品の数々。シャネルのトータルな魅力を余す所なく伝える1冊。

が「ナイス!」と言っています。
ヴェネツィア
数あるエウリーピデースの作品の中で、最もよく知られたのは『メーデイア』だろう。簡単に言ってしまえば、夫に裏切られた女が新しい妻に復讐する物語であり、日本古典にもよく見られる、いわゆる「うわなり打ち」である。メーデイアの物語には、彼女がコルキスからギリシア世界にやってきた前史があるようなのだが、ここではそれとなく暗示されるのみである。そして、父母や兄弟すべてを捨てて夫のイアーソーンに従ってギリシアまで来ながら、裏切られたのである。相手はコリントスの王女であった。メーデイアは、イアーソーンの後妻を殺し、⇒
ヴェネツィア
2025/09/17 08:32

⇒その父であるクレオーン(コリントスの王)も殺害するのだが、イアーソーンを殺すには至らない。直接の関係は当然ないのだが、近松の『出世景清』が似たような物語(ただし、それが物語の全体ではない)である。景清と2人の子どもまでなした阿古屋が、その最愛の子どもたちを自ら手にかけなければならなくなる。しかも、そのことの背後には景清の正妻となる小野の姫(熱田神宮の神官の娘)がいたのである。もっとも、阿古屋は景清に復讐することなく死んでいくのだが。

が「ナイス!」と言っています。
ヴェネツィア
マグダレーナ・シュピーゲル 文、エミール・マイヤー 絵。文は「ルカによる福音書 第19章1節〜10節」のほぼそのまま。徴税人ザアカイのくだりである。当時、徴税人は皆から嫌われていたのだが、イエスは全く分け隔てなくザアカイに接し、「あなたも神の子です」と呼びかける。それ以前は、幾分悪徳な(もっとも、それが普通だったようだが)徴税人であったザアカイは、それ以降悔い改める。絵は、ポスターカラー(?)をベッタリと塗りつけるタッチのために、やや平板な印象を受ける。逆に言えば、古い物語の感じが出ているか。
が「ナイス!」と言っています。
ヴェネツィア
またしても、フランク・ロイド・ライトの「落水荘」なのだが、20世紀の住宅建築といえばコレというほどまでに名高く、また圧倒的な評価を受けている。次いでは、ル・コルビュジエの「小さな家」だろうか。とにかく、この2つはあらゆるといってもいいくらいに、登場してくるのである。さて、本書の特徴はというと、ライトのスケッチや図面が豊富なこと。さらには建設途中の写真や、「落水荘」のその落水が最も映える時節の写真を載せていることだろうか。私はもちろん、実物を見たことがないし、したがって室内の温度感は想像でしかないのだが⇒
ヴェネツィア
2025/09/16 16:21

⇒今回は、この広いリビングルームの写真を眺めていて、これでは真冬には寒いのではないかと思った次第。

が「ナイス!」と言っています。
ヴェネツィア
ネタバレ和宮降嫁を描く。ところが、和宮の実母、観行院の謀略で、下働きの下女、フキを和宮の身代わりに立てて東下させるのである。有吉佐和子のなんとも大胆なフィクションかと思うが、有吉本人は案外にもこれを全くのフィクションではなく、あり得べき事柄であったと考えていたようだ。普通に考えれば、とんでもない話なのだが、本書前半の堂上公家たちのやり取りや、行動原理を見ていると、そういうこともあるかという気にもなる。言葉もそうだが、思考のあり方が徳川方とは根底から違っているのである。したがって、物語の前半はいとも悠長に進んで⇒
が「ナイス!」と言っています。
ヴェネツィア
この巻では、主に関西地方の商業施設および学校が取り上げられている。巻頭を飾るのは、安井武雄設計の大阪ガスビルディング(大阪市東区)である。昭和8年3月の完成である。昭和モダンの香りも高い、すっきりとしたビルディングである。安井はまた、芦屋の山口吉郎兵衛邸など個人住宅の名作もいくつか残している。一方、学校建築に関しては、もうヴォーリズの独擅場である。ここに紹介されているものでは、同志社のアーモスト館、神戸女学院の総務館、理学館、文学館、図書館等、数々の建物。しかも、キャンパス全体の配置の⇒
ヴェネツィア
2025/09/16 07:33

⇒妙がこの上ないバランスを保っている。明治学院に残るいくつかの名建築もまたヴォーリズの設計になるものである。

が「ナイス!」と言っています。
ヴェネツィア
田島征三・作。おうめばあちゃんの「まごのじろっぺの ねしょんべん、なおりますように」のおじぞうさんへの祈願から始まって、「風が吹けば桶屋が儲かる」のように、次々と連想を繋いで行って、最後は祈願成就で円環を結ぶ、というお話。民話風だが、原話はないのかも。絵は太い描線にベッタリとした着色。いささか尾籠な表現と相まって、大胆かつ開けっぴろげ。このあたりも、民話の持つパワフルさに通じるものがある。読み聞かせは、読み方に力強さが必要か。
が「ナイス!」と言っています。
ヴェネツィア
初出は昭和15(1940)年4月「若草」 太宰31歳。ちょうど1年前に書かれた『女生徒』を思わせる、女性の一人称で語られる小説。ただし、本作では女学生の語りかと思われたものが、最後に随分後年になってから(娘が女学校3年生)の回想であることが明かされる。これがあるとないとでは、小説の享受のあり方に大きな違いが生じるだろう。すなわち、女学生のライブな語りであったとすれば、「お兄様」の後を追って駆け出していく「私」は、その瞬間には切実な恋の想いにとらわれていたことになるだろうが、後年の回想ということになれば⇒
ヴェネツィア
2025/09/15 16:36

⇒あるいはそれは一場の儚い夢のようなものに解消しかねないからである。もちろん、回想であった場合にも解釈の余地は大きく残るし、そこに浮かび上がるのは、まさしく小説空間である。太宰による女性の一人称語りは、いずれもハズレがない。

が「ナイス!」と言っています。
ヴェネツィア
冒頭近く、歌の引用に続いて「私は宿命的に放浪者である。私は古里を持たない。―中略―故郷にいれられなかつた両親を持つ私は、したがつて旅が古里であった」の名高いくだりがある。これは、この作品の題名の由来を物語るばかりではなく、この作品全体の、そして林芙美子そのものを表象しているだろう。大正11年、彼女の19歳の時からの行状が日記体で綴られる。当然、フィクションも含まれるだろうが、そのスタイルとともに、また全てを開放的に語ろうとする、その文体と相まって強いリアリティを持つ作品である。東京をはじめ、尾道などを⇒
ヴェネツィア
2025/09/15 16:15

⇒放浪するのであるが、町々の喧騒や彼女自身の職業体験などが、ダイレクトに(少なくてもそう見える)語られる。私たち読者の視点がそこに重なり、その時代の持つリアリティを享受するとともに、彼女の感性にしだいに同化してゆくのである。

ヴェネツィア
2025/09/15 16:18

この作品は舞台化され、森光子主演で2017回の上演を記録したらしい。おそらくは、原作の持つ力と森光子の熱演が相まって強い共感を呼んだのだろう。

が「ナイス!」と言っています。
ヴェネツィア
ここには、戦時下での子どもたちの日常が写し取られている。したがって、悲惨なシーンはないし、空襲など戦争末期のものもない。もっぱら、学校や近隣の隣組の中で生活する子どもたちの姿である。そのほとんどは尋常小学校(後に国民学校)の生徒たちなのだが、鉢巻きを締めて整列したり、防空演習に勤しんだり、中にはガスマスクを装着しての演習も(表紙写真)。男の子たちの遊びも戦時色が濃厚であり、漫画も「のらくろ」。こうした中に置かれたとすれば、おそらく自分も軍国少年になっていただろうと思う。それが「正しい」と信じてしまう⇒
ヴェネツィア
2025/09/15 10:31

⇒だろうからである。資料もたくさん掲載されているが、例えば「日本少国民文化協会」制定の『愛国イロハカルタ』。「イセノカミカゼ テキコク カウフク」という調子が続く。

が「ナイス!」と言っています。
ヴェネツィア
ピーター・スピア 作。この人はオランダ生まれでアメリカのイラストレーター。ここにはたくさんの動物たち(含・昆虫)が登場する。みんながそれぞれに固有の音をたてながら。プロットはないし、擬人化も一切行われることはない。むしろ、正確な観察に基づく徹底したリアリズムである。ラフな描線に水彩で描かれた動物たちは実に表情も豊か。元版は、1971年ニューヨークで"GOBBLE GROWL GRUT"のタイトルで出版されている。これらの言葉もオノマトペから生まれたと思われるが、本書にも日本語のオノマトペと並置すると⇒
ヴェネツィア
2025/09/15 07:41

⇒いっそう楽しみも大きかったのではないだろうか。このままでは、読み聞かせは難しいと思われる。絵こそリアルで精緻だが、飽きてきそうだ。

が「ナイス!」と言っています。
ヴェネツィア
1897-1909年の施工と、他のものに比していささか年代を遡るのだが、このグラスゴー美術学校は、20世紀初頭のアーツ・アンド・クラフツ運動の建築における代表作とみなされている。外観の全体は色彩も暗く、武骨そうで古めかしいような印象を与える。しかし、その細部は実に凝っていて、窓にも窓枠等の金属装飾部分もアール・ヌーヴォーを強く主張する。内部は木を活かし、直線と曲線とを巧みにあしらった空間の随所に、これまたアール・ヌーヴォー様式の装飾が点在する。表紙写真は、図書室の吊りランプなのだが、なぜこんなものを⇒
ヴェネツィア
2025/09/14 16:46

⇒選んだのかは不明である。全体をあらためて振り返ってみると、やはり20世紀の幕開けを高らかに謳い上げた建築ということになるだろうか。

ヴェネツィア
2025/09/14 17:14

チャールズ・レニー・マッキントッシュの設計で、このグラスゴー美術学校が彼の代表作であり、スコットランドのアーツ・アンド・クラフツのシンボルでもある。

が「ナイス!」と言っています。
ヴェネツィア
2009年の出版なので、いささか古くなったが、そもそもが最新のモードを紹介することに主眼が置かれているのではなく、あくまでも"VOGUE"100年史である。ここでは1900年から2000年まで(創刊は1892年)。錚々たるファッション雑誌である。その間の文化の担い手でもあっただろう。前半は10年ごとに区切って、ファッション史を語っていく。各章の扉を飾るVOGUEの表紙も時代を映していて、なかなかの見ものである。最初の章(1900-1910)は、エドワード朝のファッションから。そこから変遷史を辿っていく⇒
ヴェネツィア
2025/09/14 13:55

⇒のだが、なかなかに圧巻である。後半は、現代のデザイナーズ名鑑といった趣き。実にたくさんのデザイナーたちが紹介されている。

が「ナイス!」と言っています。
ヴェネツィア
6篇の説経浄瑠璃を収録する。篇中で最も名高いのは「さんせう太夫」だろう。もっとも、それも説経としてではなく、あくまでも森鷗外の「山椒太夫」として知られているのだが。これらの各篇は、いずれも中世的世界観を濃厚に保持する作品群である。「さんせう太夫」も、もちろんそうである。この説経は、もともとは複数の語り物が融合して成立したかにも見える。タイトルがそもそも物語の全体を象徴するのではなく、敵役の名であることもそれを証左するかも知れない。また、この物語は「親子地蔵菩薩」の本地を語る、いわゆる「本地もの」である。⇒
ヴェネツィア
2025/09/14 08:06

⇒安寿がまさに、その語られるべき「御本人」のその人である。ただ、ここでも混淆が生じており、彼女が保持する金焼地蔵が奇跡を起こす物語なのである。ただ、物 語の本筋は、むしろ、つし王の奇跡と復讐にあった。こうした、一見混乱とも見える要素が渾然一体として存在することは、むしろ中世的なあり様として享受すべきであろうと思う。

ヴェネツィア
2025/09/14 08:07

つし王が土車に引かれて里送りされるモチーフは「をぐり」にも見られ、これも説経の重要な要素の一つだったのだろう。

が「ナイス!」と言っています。
ヴェネツィア
E.H.ミナリック 文、モーリス・センダック 絵。ミナリックは、アメリカの絵本作家。この"Little Bear"シリーズの5冊が代表作のよう。センダックは『怪獣たち』の、あのセンダック。4つの連作小篇から構成。もちろん、すべての主人公は「くまくん」。動物たち同士も人間も、すべて渾然一体。自然と融和する世界観である。もう一つは、アメリカの伝統的な価値観を体現する「家族」。オリジナルは1960年の刊行なので、こうしたメッセージはあからさまだ。古いのだが、逆に親は安心だろう。センダックの絵もこれに呼応し⇒
ヴェネツィア
2025/09/14 06:57

⇒くまくんはともかく、両親は全く擬人化されている。され過ぎて、ちょっと違和感があるくらいだ。

が「ナイス!」と言っています。
ヴェネツィア
初出は昭和16(1941)年12月「知性」。太宰32歳。冒頭はマルコによる福音書8章27節にはじまる。イエスが道道、弟子たちに「人々は我を誰といふか」と問う場面である。不遜にも太宰は、この問いを同道していた学生たちに問うのである。「おっちょこちょい」、「嘘つき」、「酒乱」、そして挙句に出てきたのが「サタン」。この小説は作為が目立つようだ。何かわざとらしいのである。「私」は、この答え、就中「サタン」に悩んだとあるのだが、これが怪しい。そして、ここからひとしきりサタンに関する蘊蓄が続く。これも原稿の枚数⇒
ヴェネツィア
2025/09/13 16:59

⇒稼ぎに見えてしまう。私のような「スレた」読者はたちが悪いのである。もっとも、最後は女の人からの手紙のエピソードで締めくくられており、ここは流石に小説らしい締めくくりになっている。最後がキマって太宰もホッとしたことであろう。

が「ナイス!」と言っています。
ヴェネツィア
カラヴァッジョの生涯の足跡を追いながら、それぞれの縁の地に遺された彼の絵を関連作品を交えながら語ったもの。出発はロンバルディアのカラヴァッジョから。1432年、この町の郊外で1人の農婦の前に聖母が現れたそうである。その地は「聖母の聖域」として教会が建てられた。我らがカラヴァッジョ(ミケランジェロ・メリージ)が生まれたのは、それから150年ばかりを経た1571年のことであった。彼のそれからの生涯を思うと、聖母からは遥かに隔たっているようでもあるし、その天賦の才は奇跡的な恵みを受けているかのようにも見える。⇒
ヴェネツィア
2025/09/13 16:47

⇒カラヴァッジョの軌跡は、そこから南下して、ローマ、ナポリ、シチリア、再びナポリ、ローマを経て、ジェノヴァで終わる。38年の駆け抜けていくような生涯だった。彼の絵は縁の地をはじめ、あちこちに点在するが、一番たくさん残るのはやはりローマだろう。いずれの作品も、これこそが「バロック」であることを顕著に示している。

が「ナイス!」と言っています。
ヴェネツィア
『おたふく物語』は、山本周五郎の比較的初期の中編。自らを「おたふく」と称するおしずと、おたかの姉妹を描く。おしず、32歳、おたか、26歳である。なにしろ、この時代のことであるから、2人とも婚期を逃している。そんな2人の純愛を描くのだが、結婚こそが女としての幸福であるとする、女性たち自身の価値観も古いが、それを描く作家の意識もまた古い。にもかかわらず、この作品が現代においても通用するのは、そうした価値観を越えた生き方がここに示されているからだろう。彼女たち、とりわけ主人公のおしずの持つ価値意識は古いのだが⇒
ko1先輩
2025/09/13 11:29

そうですよね。同感です。“価値観が古い” で片付けてしまってはつまらないです。おたふく物語はとても好きな作品です。

ヴェネツィア
2025/09/13 12:18

ko1先輩さん、山本周五郎らしい作品ですよね。

が「ナイス!」と言っています。
ヴェネツィア
このお話の着想の元になったのは、室町末期の伝本が残る『福富草紙』にあるのではないかと思われる。もっとも、原話の『福富草紙』では、その成功を聞いた隣の爺さんが自分も真似をして失敗するという展開を見せるのだが。また、しゃもじを用いる点も違っている。したがって、あくまでも着想ということなのだが。話型は、昔話に典型的に見られる成功譚(婿入譚)である。そして、そこで重要な役割を果たすのが「おなら」。読み聞かせの場面を想像するに、子どもたちに大ウケなのではないだろうか。数ある昔話系の中でも人気絵本ではないかと思う。
ヴェネツィア
2025/09/13 08:09

田島征三の絵が、昔話風のこのお話にピッタリ。水彩画だが、構図も強いタッチも共にこのお話のパワーを相乗的に盛り上げていく。

が「ナイス!」と言っています。
ヴェネツィア
初出は昭和21(1946)年11月「東北文学」。太宰37歳。東北文学の読者は仙台周辺には多いだろうから、あの時(終戦間際に列車で乗り合わせて世話になった)の女の人が、ひょっとしたらこれを読んでいないだろうかという願望のもとに書いたというのだが。さて、それは実話なのだろうか、あるいはそれも含めての創作なのであろうか。太宰の一家が甲府を焼け出されて、故郷に帰らざるを得なくなったことについては、いくつかの作品に書かれている。ただ、この逸話については、管見では本作のみ。ひじょうに具体的であり、その分リアリティも⇒
ヴェネツィア
2025/09/12 16:35

⇒十分なのだが、末尾の表現にどうも引っかかるのである。「逢って、私は言いたいのです。一種のにくしみを含めて言いたいのです」と語り、「あの時の乞食は、私です」と結ばれるのである。何もかも投げ捨てるような気持ちで、ほんとうは帰るに帰れないはずの故郷に向かう絶望的な自己の姿の表象であったのか。

が「ナイス!」と言っています。
ヴェネツィア
第2巻は海外に展開する安藤作品である。ニューヨークをはじめとするアメリカの各地、ドイツ、パリ、ロンドン、トレヴィゾ(イタリア)、アントワープ(ベルギー)、ミラノ、ヴェネツィア、ネパール、上海、韓国、アブダビなどで私たちは安藤忠雄を見ることができる。年代順からすれば、セビリア万博日本館(1992年)が最初であるが、これは施主が日本政府なので幾分他とは様相を異にするかも知れないが。これは木造で、木の美しさと力強さの両方を巧みに組み合わせた大胆な設計である。安藤の名前をかなり海外にアピールしたものと思われる。⇒
ヴェネツィア
2025/09/12 14:39

⇒これ以降、先に上げた以外にも世界の各地に安藤忠雄の建築は増えていくのだが、私が特に注目するのは、まずフォートワースの現代美術館である。これは水と光の相乗的な美が織りなす建物なのだが、ガラスの壁面に縦軸の桟を加えることによって、一層に光の効果が上がるのである。ベルヴュー(アメリカ)の森の教会もまた素晴らしい。チャペルの十字架の美しさは比類がない。トレヴィゾのFABRICA(ベネトン・アートスクール)も、よくぞここまでと思う。国内の作品群よりも、あるいは一層に自由かと思う。

が「ナイス!」と言っています。
ヴェネツィア
星新一は初読。この『悪魔のいる天国』は、星の代表作となった『ボッコちゃん』よりも前に出版されたもののようだ。ここでも、星が得意とするショートショートである。250ページほどの中に36もの掌編が収められている。編中で最も長い「ピーターパンの島」でも、15ページ。読んでいると、これでさえ長いような気がしてくる。さて、これら36篇の作品群だが、構造はどれも似ているように思われる。すなわち、いずれの作品も、ほぼ例外なく最後の数行ほどがその成否を決定するのである。肩透かし気味の結末が多いのだが、確かに爽やかな⇒
ヴェネツィア
2025/09/12 10:26

⇒読後感である。思うに、星新一の小説作方は、終わりの部分が最初に着想され、そこから遡って物語を組み立てていくのではないだろうか。同工異曲のものも多いのだが、それでもこの世界観に暫し遊ぶのもまた無上の楽しみである。

が「ナイス!」と言っています。
ヴェネツィア
新開 孝・写真、文。クモの糸を追う科学絵本。クモの種類によって違いがあるのかもしれないが、ここの写真では(ジョロウグモ?)、網をかけるのは外側から始まって順次内側に向かうようだ。そうだったのか。クモは、気味悪がられたりして、あまり好かれないようだが、私は嫌いではない。もっとも、積極的に愛好するほどではないが。でも、なかなか頑張って精いっぱい生きている姿は、逞しくもあり、いじらしいような気もする。ただ、一般的に、生き物の赤ちゃんや幼体は可愛いものだが、大量に生まれるクモの子どもたちは、いかにも嫌われそうだ。
が「ナイス!」と言っています。
ヴェネツィア
『アルケースティス』のみ。原話はテッサリア地方に古くから伝わる民話であるようだ。また、ここに登場するアルケースティスやアドメートス、ペレースの名はホメーロスにも記されている。本作は、現存する作品の中では、エウリーピデースの最も初期のもの。劇の始まりから、すでに王妃アルケースティスが王アドメートスの身代わりとして、間もなく死ぬ運命にあることがわかっているだけに、劇的緊張が高まることはない。もっとも、死を目前にしたアルケースティスの嘆きは観客にもひしひしと伝わるだろう。一方、自らは死を免れた⇒
ヴェネツィア
2025/09/11 16:52

⇒アドメートスと父のペレースとのやり取りなどは、アドメートスのエゴイズムばかりが目に付くということになるだろう。劇の後半はヘーラクレースが冥界の入口からアルケースティスを奪い返してくるなどと、奇妙な展開を見せる。神のなすことは人智では測り難いという結論は、さてどのように受け止めたものか。

が「ナイス!」と言っています。
ヴェネツィア
20世紀は、実にたくさんのデザイナーを輩出した。ディオール、ジヴァンシィ、ケンゾー、アルマーニ…。そうした中でも屈指の知名度と影響力を有したのがシャネルではないだろうか。彼女の服は「イージーエレガンス」などと称されたが、ジャージー素材を駆使したのが、その最初の成功をもたらしたようだ。彼女、ガブリエル・(ココ)・シャネルはソーミュール(フランス)の孤児院で生まれた。その意味では、まさに立志伝中の女性である。まずなによりも、天性の資質に恵まれていたのだろう。そして、同時に美質にも。そんな彼女によるデザインは⇒
ヴェネツィア
2025/09/11 08:28

⇒いずれも、身体の線に柔らかに寄り添うようなラインを構成する。けっして、締め付けたり、肩ひじを張ったりしないのが最大の特徴である。それこそがエレガンスのエレガンスたる由縁であろう。

が「ナイス!」と言っています。
ヴェネツィア
今回、新たに目を開かれたのは、これまでは古民家を保存(移設も含めて)するに際して、可能な限り元のままにとばかり思っていたが、どうやらそうばかりでもないようだということ。例えば、東久留米市の前山邸はモダン・ハウスの外枠の中に古民家の有用な部分を上手く活かし、そのことによって快適性と古雅な趣きとを両立させているのである。TAU設計工房がこれを手がけた。板橋区の現代民家も同様であり、こちらは根岸辰己氏の設計。そうした例は全国に散見されるようだ。もう一つのあり方は、古民家の風情を活かしながら、それをお店に改装⇒
ヴェネツィア
2025/09/11 07:48

⇒することで新たな活用を図ろうとする試み。京都・蛸薬師のRatna Cafeなどがこの例だ。ここは京の伝統町家で食す本格インドカレーというコンセプト。また、驚いたのは、芭蕉句「梅若菜丸子の宿のとろろ汁」と詠まれた丸子宿の丁子屋が今も当時のスタイルで営業を続けていること。

が「ナイス!」と言っています。
ヴェネツィア
著書のサフィア・ミニー氏は、環境・貧困問題に取り組むNGO「グローバル・ヴィレッジ」とフェアトレードブランド「ピープル・ツリー」代表。この2つは不即不離の関係にあり、当面できることはフェアトレードを実現させることであり、そのことによって自ずと貧困問題は多少とも改善する はずである。かなりたくさんの人たちが、これには関わっており、それぞれの立場からの貢献を果たしている。例えば、イラストレーター、デザイナーのクリス・ホートン。ファッションライター兼クリエイターのリーヨン・スー。本書には全ページ、こうした⇒
ヴェネツィア
2025/09/11 08:13

Himekoさんは既に実践済みでしたか。さすがにお目が高い。

Himeko is not cat
2025/11/17 22:29

ミニーさんの本をご紹介くださり、ありがとうございました!次は本書を読んでみます😊

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ヴェネツィア
柴崎友香の作品はそれなりに読んでいて、これが10作目。本作は2017年2月から2018年3月にかけて、毎日新聞「日曜くらぶ」に連載されていたもの。柴崎友香という人は思い切りがいい人なのだろう。というのは、こうした連載小説の場合、掲載誌の後に「加筆・訂正しました」の一文が添えられていることが多いのだが、ここにはそれがない。一旦書いたものは、そのままで勝負するという姿勢なのである。さて、この作品だが、38歳で会社勤めの春子を主人公に、彼女を視点人物として展開する。軸になるのは同じ敷地内に暮らす、ゆかり、春子⇒
ヴェネツィア
2025/09/10 14:52

masaさん、あるいは単に面倒なだけだったのかも知れませんが。

masa
2025/09/10 15:15

はははwww そうかもしれませんねwww その解釈、好きです。

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ヴェネツィア
この巻はロンドンのイマジネーション本社である。1990年の施工で、設計はヘロン・アソシエイツ。代表者のロナルド・ジェイムス・ヘロンは、前衛建築集団アーキグラムの中核メンバー。この建物も相当に前衛的である。屋根の部分はテント材であり、優美な曲線から構成される。本体部分は、金属の光沢も鮮やかな構造材を顕わに見せるスタイル。このあたりは、ニコラス・グリムショウなどとの近接性を感じる。その一方で、建物正面のファサードは、レンガ造りのように見え、その印象はまるで学校のようである。図と写真だけからは、これらが⇒
ヴェネツィア
2025/09/10 12:28

⇒どのような有機的関連性を持っているのか定かではない。おそらくは、この一見したところのアンバランスさも魅力のうちなのだろう。なお、表紙写真は屋根の一部。これだけでは、何のことなのか全く分からないのだが。

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ヴェネツィア
世界のモダン・ハウス55棟のオンパレード。2006年刊行といささか古くなってしまったが、それでもモダン・ハウジングの"今"を望見することができる。もちろん例外はあるのだが、全体を通観すると、総じて工法が単純化されているように思われる。それぞれは、名のある建築家たちの設計によるもので、けっして量産品ではないのだが、それでも、この中で多数のものは比較的容易に再現が可能なのではないかと思われるのである。(実際はそうではないとしても)プレハブ工法によって建てられそうに見える。あるいは、そうした工法の簡略化が⇒
ヴェネツィア
2025/09/10 08:09

⇒現代の住宅建築の潮流なのだろうか。なお、ここに紹介されたモダン・ハウス、立地も含めて、実際に住んでみたいかというと、それは半数の家くらいだろうか。

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ヴェネツィア
著者の久保井規夫氏は、大阪の公立小・中学校に教諭として勤務。人権、平和、教育に関する著書多数とある。本書は、戦中のポスターや絵画資料をふんだんに活用することで、戦時下の子どもたちが置かれていた状況を浮かび上がらせようとするもの。教育から子供たちの遊び、マスコミにいたるまで、こぞって戦時体制に組み込んでいく様子が多角的に示されている。効果はやはりあったというべきだろう。本書の書物としての欠点は、編集が平板すぎること。最初から最後まで同じタッチで終始するがゆえに、訴求力が落ちることが懸念される。
が「ナイス!」と言っています。
ヴェネツィア
著者の石川桂子氏は竹久夢二美術館学芸員。巻頭は竹久夢二から。たしかに、大正浪漫を象徴する絵である。この時代には、他にも夢二ばりの画家たちがたくさんいたようだ。高畠華宵、須藤しげる等である。また、少女雑誌や婦人雑誌も相次いで発刊されている。そして、ここで活躍したのが吉屋信子であった。ファッションも洋装が次第に広がり、モガたちが銀座を闊歩した。明治を経て、昭和のやがて戦時色が濃くなる前の、大正期はいわば日本の戦間期にあたるだろうか。たまさかの自由な風が吹いたようだ。政治的には、大正デモクラシー、そして⇒
ヴェネツィア
2025/09/09 15:21

⇒文化的には大正浪漫の時代である。女性の地位もいささか向上したようだ。平塚らいてうや、柳原白蓮もいた。この頃、既に誕生していたものに、森永ミルクキャラメル、カルピス、銀座千疋屋なども。やはりなかなかにハイカラーな時代だったのである。

が「ナイス!」と言っています。
ヴェネツィア
表題作を含め、6つの短篇で構成される。「ロマネ・コンティ1935年」は、様々な俤からなる一種の幻想小説。どこまでが幻想で、どこからが現実なのか判然としないところに小説を成立させる手法。そもそも小説家と重役のいる場所も判然としない。女との邂逅はパリなので、ここもあるいはパリであるのかもしれない。そうすると、そこに立ち現れてくるのはヘミングウェイである。女の面影はイングリッド・バーグマンを彷彿とさせる。2人の男たちの前にあるのは、ラ・ターシュ1966年と件のロマネ・コンティ1935年である。ラ・ターシュに⇒
ヴェネツィア
2025/09/09 14:49

⇒してさえ、100万円はくだらないだろう。ロマネ・コンティにいたっては、もう想像を絶するだろう。結果は残念ながら、ロマネ・コンティは盛りを過ぎていたようだったが。女との情事もまた、豊潤で爛熟をきわめている。開高健には珍しいというか、こういう開高健もあるのだと再認識した次第。

が「ナイス!」と言っています。
ヴェネツィア
この巻は「商都のデザイン」として、主に大阪に残る洋風建築を特集する。とりわけ注目に値すると思われるものとして、堺筋(大阪市)に面して建つ「生駒時計店」がある。これは宗 兵蔵事務所の設計になるもので、昭和4(1929)年から翌年にかけて施工された。プレートには1930の文字がある。本体のスタイルこそシンプルな方形だが、窓や柱、その他細部にいたるまで 贅を尽くした設計となっている。長谷部鋭吉が設計した「泉屋博古館」(せんおくはっこかん)も、これまた素晴らしい。昭和3(1928)年のもの。なお、「泉屋」は⇒
ヴェネツィア
2025/09/09 08:07

⇒は住友家の屋号である。そして、大阪をはじめ関西一円には、住友家ゆかりの建築物は随分たくさん残されており、この一族が果たした役割は大きい。

が「ナイス!」と言っています。
ヴェネツィア
ターシャ・チューダー 絵。『旧約聖書』創世記からはじまって、以下は詩編、コヘレト等を経て、『新約聖書』へ。どの部分を選ぶかの選択はあるが、すべて聖書箇所の引用である。絵はターシャ・チューダーにしてはシンプル。人物像が中心で、あまり背景を描きこまないスタイル。日曜学校の子どもたち向けといった内容。1葉だけ黒人の子どもが描かれるが(6人のうちの1人)、それ以外はWASPの子どもたちで占められる。このあたりには古さが感じられる。
yomineko@鬼畜ヴィタリにゃん🎄🎅🎄
2025/09/09 07:28

ヴェネツィアさん、おはようございます😊読みたい本に登録させて頂きました📚

ヴェネツィア
2025/09/09 10:53

yominekoさん、おはようございます。あまりターシャの特徴は出ていなくて残念ですが。

が「ナイス!」と言っています。
ヴェネツィア
この巻はフーバー工場。設計はウォリス、ギルバート&パートナーズ。1931-1938年。場所はロンドンの西の入り口グレート・ウエスト・ロード沿いに、その威容を示している。時代も時代なので、工場とは言え、堂々たるアール・デコの建物群である。ペプスナー評は「現代の悪趣味のうちでも最たる不快な建物」というもの。一方、イラストレイテッド・ロンドン・ニューズでは「商業界の妖精の宮殿」と絶賛する。かのように、なにかと物議を醸してきた工場なのである。フーバーは、日本では馴染みが薄いが、電気掃除機のメーカー。現在は稼働⇒
Johnnycake
2025/09/09 15:08

そうそう、Hooverは動詞としても使われますね。

ヴェネツィア
2025/09/09 15:28

T.Tokunagaさん、Hooverはいろんなところに登場するのですね。

が「ナイス!」と言っています。
ヴェネツィア
エリカ&パトリック事件簿・シリーズ第6弾。これまでと変わらず、あるいは今まで以上に稠密な描写で語られる。やはり、典型的な警察小説のスタイルをとるので、読者もなかなか真相にたどり着けないし、情報すらほとんど得られない状態が継続する。なにしろ、最初の失踪事件の手掛かりがようやく得られるのに150ページ余りを要するのである。したがって、事件の全貌を組み立てるのは、もうほとんど終幕に近くなってからということになる。そして、その頃には読者にも、少なくても一連の事件の犯人はわかる。ただし、動機ということになると⇒
カツイチ
2025/09/09 05:17

レビューを拝読して、このシリーズに興味がわき過去作を調べたところ、映像化された第一作の踊る骸を見ていました。改めて読みたいと思います。ありがとうございました。

ヴェネツィア
2025/09/09 10:56

カツイチさん、このシリーズはかなりたくさん出ています。いずれも分厚くて、じっくりという警察小説です。

が「ナイス!」と言っています。
ヴェネツィア
ブリティッシュ・デザイナーズ総覧といった趣き。ここにはもちろん、アレクサンダー・マックイーンも、ステラ・マッカートニーも、ヴィヴィアン・ウエストウッドもいる。ロンドンは長らく、音楽においても、美術においても、そしてことファッションの世界でも巨大な消費市場ではあったが、クリエイティブな点ではずっと後塵を拝してきた。ところが、今やこれだけの陣容を揃えた創作集団を抱えるまでになった。アレクサンダー・マックイーンは、やはりここでもセンセーショナルである。エロティシズムと残酷なグロテスクとを押し出している。⇒
ヴェネツィア
2025/09/08 10:53

⇒ヴィヴィアン・ウエストウッドもまた、クラシックと思いっきりカラフルでポップな意匠とを弾けさせている。他に注目するのは、エマ・クック、ノキあたりか。

が「ナイス!」と言っています。
ヴェネツィア
山下明生・文、司 修・絵。登場するのは、一人の男の子と、彼が遭遇する海のカッパ(?)のみ。二人の間にともかく会話はあるが、それは一方的な通告といったもの。男の子の存在は、ページのはじまりから一貫して孤独である。末尾での彼の呼びかけ「いっしょに ひかりの ゆびわを つくろうよ ね」に応える声はない。司 修のモノクロームの絵は、これをさらに補強するかのように、闇を描く。ただ、この圧倒的なまでの孤独は、決して否定されるべきものではない。あるいは私たちが、共通して持っている密かな希求であるかも知れないのだ。
が「ナイス!」と言っています。
ヴェネツィア
林芙美子の名前はずっと以前から知っていたし、『放浪記』も知っていた。しかし、これまで彼女の作品とは何となく距離をおいたままであった。特に理由とてなかったのだが。林芙美子が生まれたのは、明治36(1903)年、下関または門司である(両説)。亡くなったのが昭和26(1951)年。47歳の生涯であった。当時としては、特別に短いというわけではないが、それにしても駆け抜けて行くような人生だった。下関から、長崎〜佐世保〜鹿児島〜尾道〜東京〜尾道〜東京と何度も移動を繰り返しているし、またこの間に台湾、パリ、ロンドン⇒
ヴェネツィア
2025/09/07 16:04

⇒中国を旅し、さらにはペン部隊の一員として従軍、漢口に一番乗りを果たしたりもしている。とことん定住の似合わない人なのだ。このアルバムには、彼女の油絵が何点か収録されていて、それらはセザンヌを思わせるタッチである。

が「ナイス!」と言っています。
ヴェネツィア
林芙美子の詩集は、生前に2冊刊行されていたようだ。最初の詩集『蒼馬を見たり』と『放浪記』の原型となったとされる『花の命は短くて』である。この巻に収録されている林芙美子の詩は、おおよそ年代順の配列かとも思われるが、詠まれた年代も解説も一切ないので、そのあたりはあまりよくわからない。ともかく、虚心に詩に向かうとすれば、ひじょうに奔放に思いのたけを詠うといったものである。一部の例外を除いて、口語自由詩なのだが、オノマトレペも比喩も、それ自体に斬新なものは何もない。しかし、詩人の個性は遺憾無く発揮されているし⇒
ヴェネツィア
2025/09/07 15:00

⇒時代を鑑みれば、ほんとうに自由な精神がここには横溢するようだ。題材は日常的な生活の中から生まれたものが多いが、中には幻想的な世界を歌ったものもあるし、パリを詠んだ浪漫的な詩も含まれている。「花の命は短くて 苦しいことのみ多かりき」のフレーズばかりが名高いが、詩はむしろそうした現実の苦しさからの解放であったか。

が「ナイス!」と言っています。
ヴェネツィア
著者の各務謙司氏は、一級建築士・マンションリフォームマネージャーの肩書を持つ。カガミ・デザインリフォーム代表。本書は、マンションのリフォーム実例集である。リビング・ダイニングからはじまって、キッチン、エントランス、廊下、ベッドルームと続くが、いずれも基調はモダン。クラシック調は見られない。確かに、都心のマンションにはその方がよく似合うかも知れない。どれも、よくできていて快適そうではある。ただ、その前提となるのは、そもそもの床面積が十分な広さを持っていること、またいかなるリノベーションにも耐えうる⇒
ヴェネツィア
2025/09/07 08:22

⇒だけの資金力があることが条件である。出来合いのインテリアに満足することなく、こうした「世界にひとつだけの」居住空間を持つことは贅沢の極みでもある。

が「ナイス!」と言っています。
ヴェネツィア
人気のバーバパパ・シリーズの1冊。サーカスがやってきたのだが、この小さな村は通り過ぎるだけ。それなら、自分たちでサーカスを作ってしまおうというのが、この巻。ここでは、バーバパパの一族が総出演。バーバモジャにバーバズー、バーバララ、バーバベル、バーバピカリ、バーバリブ、バーバブラボー。こんなにいたんだね。彼らはみんな変身が得意。ゾウにでもメリーゴーランドでも、ジェットコースターにでも何にでもなれてしまう。にぎやかなにぎやかな巻。絵はいつものフランスマンガ風。ここでも、華やかさはピカイチ!
ヴェネツィア
2025/09/07 16:19

カオルーンさん、私も同じ意味で懐かしいです。

masa
2025/09/07 16:19

へえ。そうなんですね。

が「ナイス!」と言っています。
ヴェネツィア
これまでに読んだこの人の小説は、釧路もしくはその近郊を舞台に展開していた。今回は珍しくも、その正反対の那覇であり、奥武島である。ただ、小説全体に漂ううらぶれ感は全く変わることがない。それはもう、いっそ見事なくらいである。また、主人公のツキヨが放つ、どうしょうもないような刹那的な放埒、そして他の登場人物たちの持つ怪しさ、とりわけ南原の胡散臭さ は、小説世界に限りない最果て感を齎すのである。ここでは命は軽いし、性も、そして生もまた限りなく軽い。那覇の場末の娼館は、まさに異国であるかのようだ。そんな中で⇒
ヴェネツィア
2025/09/06 16:43

⇒生をすり減らしていくツキヨ。それでも、たまさかの幸福はあった。にも関わらず、彼女は自らそれを放擲する。自分に幸福がそぐわないことをよく知っているからだろう。読んでいる間も、読後感もひたすらに暗い。そして上手い。

が「ナイス!」と言っています。
ヴェネツィア
"skyscrapers"という言葉を覚えたのは高3の時。受験英単語としてだった。もちろん、その頃には実際に見たことはなかった。さて、現在、世界には、この名に値する高層建築物が実にたくさん存在する。高さで世界一を誇るのは、ブルジュ・ハリファの828mである。設計はOwins&Merrill。ドバイにある。中近東の産油国には、これ以外にもドバイを含めて、アブダビ、ドーハに数々の高層建築物がある。また、歴史的には、やはりなんといっ てもU.S.A.が名だたる摩天楼の国である。長らく世界一を誇っていた⇒
緑の林檎
2025/09/06 22:34

皆様のお話を伺っていたら、ついコメントしたくなりました。この単語、なんとも数多くの音楽家がタイトルに使っていますね。わたしの場合はブラジル出身のキーボード奏者でアレンジャーのデオダートの曲ですね。この方はジャズ畑の人で、筒美京平氏などに大きな影響を与えていまして、そのまま日本の歌謡界もまともにその影響を蒙りました。例えば、尾崎紀世彦の代表曲など。この曲ではのちにスパイロ・ジャイラというバンドに移るジョン・トロペイと言うギタリストの演奏がそれはそれは素晴らしくて、、失礼しました。

ヴェネツィア
2025/09/07 08:51

緑の林檎さん、私には全く不明のジャンルですが、それにしてもお詳しいですね。

が「ナイス!」と言っています。
ヴェネツィア
2011年5月、メトロポリタン美術館で、前年の2月に亡くなったアレクサンダー・マックイーンの回顧展「サベッジ・ビューティ」が開催された。彼はファッション界の異端児などと呼ばれたりもするが、案外にも正道を歩んできたようにも見える。彼のファッションは、確かに大胆だ。だが、そこにはイギリスの伝統のようなものが確固として存在してもいる。それは、素材としてのタータン・チェックなどのあからさまな場合に限らない。フォルムの全体に強い様式感があるからである。彼は「インスピレーションを得るには、イギリスは世界で最高の⇒
AZレメディオス
2025/09/06 09:33

以前彼のドキュメンタリーを見て衝撃を受けました。「マックイーン:モードの反逆児」もしご覧になって無ければ、ぜひオススメです。 Amazonプライム等でレンタル視聴出来ると思います。

ヴェネツィア
2025/09/06 10:33

AZレメディオスさん、情報ありがとうございます。見てみたいと思います。

が「ナイス!」と言っています。
ヴェネツィア
津田直美・作。ストックされた、たくさんの毛糸玉たち。夜になって、みんな将来の夢を膨らませている。そして、みんなの憧れはセーターになること。さて、赤い毛糸はセーターになれるのか。紆余曲折の末に子猫のお誕生日プレゼントのセーターに…というハッピーエンドのお話。絵は色鉛筆画なのだろうか。どのページも実に丁寧に描かれている。編み物、手芸に関心があれば、共感もひとしおかも知れない。
クリママ
2025/09/06 08:13

可愛らしくて暖かい、大好きな絵本の1冊です。

ヴェネツィア
2025/09/06 08:17

クリママさんの愛読書でしたか。

が「ナイス!」と言っています。
ヴェネツィア
山本周五郎のペンネームは、作家が小学校卒業と同時に住み込んだ質店の名に因むものである。そういえば、そんなことを聞いたことがあるような。彼が小学校3年生の時の担任であった水野実先生に「君は小説家になれ」と言われ、周五郎の一生が決定したそうだ。周五郎は白樺派など、裕福な家に生まれたエリート作家とは違い、市井から生まれてきた作家であり、また生涯それを貫いた。それは彼の作品に貫流する姿勢であった。また、モノに執着しない人だったようで、したがって遺品も少ない。これまた周五郎をよく物語っているだろう。作品はかなりの⇒
ヴェネツィア
2025/09/05 16:44

⇒点数を残してくれている。最初に読んだのは高校1年生の時だった。作品はたしか『ながい坂』だったように思う。山本周五郎にはしばらくご無沙汰しているので、また読んでみたくなった。

が「ナイス!」と言っています。
ヴェネツィア
第2巻は学校篇。主に尋常小学校(後に国民学校)の写真を多数掲載する。「教育勅語」と兵役の義務(満17歳から40歳までの男子)を述べる修身の教科書にはじまる。満州事変以降、「非常時」は、2.26事件前後から「準戦時」となり、やがて全き戦時体制下に組み込まれてゆく。もちろん、学校も例外ではない。教科書も戦時色を深めてゆくし、小学校から軍事教練が課されるようになる。連日の防空演習、農業実習。中学校になると、さらに本格的な教練であり、女学生たちも機銃を担いでいた。ここに見る子どもたちは実に健気に行進し、訓練に⇒
ヴェネツィア
2025/09/05 12:35

⇒向かう姿も凛々しい。これを美しいと礼賛し、再びこうした教育体制にと望む人たちがいる。そして、そんな彼らは教育勅語の復活をも目論んでいるのである。

が「ナイス!」と言っています。
ヴェネツィア
大人の恋愛小説。3人の女性たちの、4つの恋愛が描かれるが、そのいずれもが起承転結のはっきりしたもの、というわけではない。その中で、最も分かりやすくシンプルな恋が若いアジェレンのもの。とはいっても、相手は36歳も年上の妻子持ち、しかも母親の会社のボスなのだが。逆に、わかりにくそうなのが佐和子(カリーナ)の達哉への想いと、たぶちんに対する態度だろう。いわゆる三角関係(古いなあ)なのだが、彼女はその板挟みになったり、そのことで葛藤にさらされたりすることはない。いとも軽やかに達哉から田淵に渡っていくのである。⇒
ヴェネツィア
2025/09/05 10:32

⇒ミカエラの恋も、やや複雑な様相を示すが、それでもカリーナほどではない。そして、これは徹底して都会の物語。東京とブエノスアイレスである。なお、佐和子の元にしばしば訪れてくる少女が背負っているのは、『禁じられた遊び』の面影であり、すなわち、ポーレットの十字架である。この物語で、彼女が追憶するものは何なのだろうか。なかなかに粋な小説であった。

が「ナイス!」と言っています。
ヴェネツィア
松谷みよ子・文、司 修・絵。広島の被爆をテーマに描かれた絵本。地の文は短いながら、せつせつと心に訴えかける。要所に広島弁を散りばめた語りも功を奏しているだろう。ちなみに、タイトルの「まちんと」は、コンテクストからすれば「もうちょっと」の意味だと思われる。女の子が鳥になってからも、「まちんと まちんと と なきながら とんでいる」との幻想への解放は、女の子と被害に遭った多くの人々の魂の普遍化を果たしてもいる。司修の絵も、実に丁寧に誠意を持って描かれてい る。被爆前の産業奨励館(原爆ドーム)と相生橋、⇒
ヴェネツィア
2025/09/05 07:51

⇒対岸は爆心地直下にあった島病院だろうか。被爆直後の地獄絵図も、黒い雨の光景も凄まじい。また、ラストシーンでは、貞子の像と折り鶴もちゃんと描かれている。

が「ナイス!」と言っています。
ヴェネツィア
『ピロクテーテース』のみ。オデュッセウス物語の派生系の1つかと思うが、ピロクテーテースの名は初めて。もちろん、当時の人々にとっては旧知のものであっただろう。オデュッセウスは、ここではむしろ敵役というと、いささか言い過ぎではあるものの、役柄としてはそうだ。そして、オデュッセウスとピロクテーテースの間で葛藤を背負うのがネオプトレモスである。かつて、テオドス島で毒蛇に噛まれ、それ故にレームノス島にオデュッセウスに置き去り にされたピロクテーテース。彼はその後も、毒に苦しみ続ける。彼の唯一の拠り所はヘラクレスの⇒
ヴェネツィア
2025/09/04 16:33

⇒弓である。そして、それさえもオデュッセウスに奪われようとするが、ネオプトレモスによって、保持が可能となる。かならずしも、ピロクテーテースの意には沿わないが、彼はトロイの闘いにヘラクレスの弓を携えて参加することになる。この劇の最大の特徴は、なんといってもピロクテーテースが毒蛇の毒によって、長らく足萎えの状態に置かれていたことにある。ここでまた、日本演劇に思いを致すなら、想起されるのは説経浄瑠璃集『をぐり』である。彼は、横山一族の陰謀によって、一旦は命を失うのだが、ともかくもこの世に戻って来る。⇒

ヴェネツィア
2025/09/04 16:37

⇒しかし、その時、彼は意識もなく、足も萎えたまま歩くこともできなかった。人々はをぐりを土車に乗せ、次々と道送りして引いてゆく(もちろん、照手姫もその一人である)。やがて、熊野湯ノ峰で復活を果たすという物語である。をぐりも、もちろん稀代の英雄であった。もちろん、ピロクテーテースとは何の繋がりもないが、不思議な暗合を感じないでもない。

が「ナイス!」と言っています。
ヴェネツィア
この巻は、ヴェネツィアのクエリーニ・スカンパーリア邸(現在は同名の財団が所有)の改修(一階と庭園)である。周知のように、現在のヴェネツィアの建物群は主に12世紀から15世紀に建てられたものである。ドゥカーレ宮殿などの特に名高い歴史的建造物や、あるいは高級ホテルに改装されたものを除いては、その外観は今ではなんだか古びたようにしか見えない。しかし、それらの多くの内部は見事に改修されている。この場合のカルロ・スカルパのような天才アルティザンの手になるものは、さすがに例外であるとしても。スカルパの才能は⇒
ヴェネツィア
2025/09/04 12:52

⇒おそらくは復元の技術ではないのだ。かつての栄光を復元しつつ、同時にさらにそこに新たな輝きをさりげなく付加するのである。そして、その美のあり方は実にさりげない。庭に引かれた水路の端に佇むクエリーニ家の獅子像などはまさにその典型だろう。

が「ナイス!」と言っています。
ヴェネツィア
VOGUE ONシリーズの、この巻はクリスティアン・ディオールの登場である。「赤ん坊のようなぽっちゃりとした感じがいまだにあり、引っ込んだ顎が、ほとんど絶望的なまでの内気な性格をさらに強調している」ような男、「ピンクのマジパンでできた面白みのなさそうな牧師」、「フランス人の葬儀屋」など、これみなクリスティアン・ディオールの風貌評である。イヴ・サン=ローランのようにモデルばりのクチュリエもいるのに、一方のディオールはこれ。ところが、彼の繰り出すファッションたるや、優美たることこの上ない。時に典雅でさえある。
ヴェネツィア
2025/09/04 08:35

yominekoさん、おはようございます。ディオールはコスメティックスにも大きく進出していましたね。

yomineko@鬼畜ヴィタリにゃん🎄🎅🎄
2025/09/04 10:44

はい!とってもおしゃれなのでついつい。。。というのもしっかりマーケティングしておられるようです😊

が「ナイス!」と言っています。
ヴェネツィア
エルヴェ・テュレ 作。この人はフランスのイラストレーター。この絵本は、抽象画の世界、抽象を旅するお話だ。黄色い○が登場し、線の上を移動してゆく。自由なようにも見えるが、線という強い規制がかかってもいる。もっとも、線は線としての自由度を持っていて、ねじれたり、回転したりもする。ヴォリンガーのいう人間の芸術的営為「抽象と感情移入」の、まさに抽象の物語化、絵本化がこの本。
が「ナイス!」と言っています。
ヴェネツィア
福島菊次郎の写真集。本書は彼自らが「遺書」と呼ぶ(おそらくは最後の)、ある意味では彼の写業の集大成とでも呼ぶべきもの。福島にとっては「終わらない戦後」であり、権力との闘いも果てしがない。彼に行い得たのはカメラ・テロであった。すべてモノクロームの写真だが、そこから立ち上がる迫力は凄まじいばかりである。被爆者、女子挺身隊院の死、東大闘争、あさま山荘、三里塚…。これが、私たちが等しく経験したはずの戦後の姿である。三里塚の農民放送塔が倒れるまさにその瞬間を捉えた写真がある。塔の倒壊は、闘争の終焉であり⇒
madoque
2025/09/03 19:57

満蒙開拓団、三里塚開墾、御料牧場、反対派農民宅の座敷に飾られていた天皇皇后の真影写真、戦前と地続きの戦後の悲鳴だったのかと、ふと過ったが

ヴェネツィア
2025/09/04 08:37

madoqueさん、「戦後の悲鳴」というのは、まさにその通りかと思います。

が「ナイス!」と言っています。
ヴェネツィア
桐竹勘十郎、吉田玉女(現・玉男)という、文楽人形遣いの2人が著者欄に並ぶ。このお2人は、年齢も同じ、入門も1年違いなのだが、桐竹勘十郎は斯界の超エリート、玉女は研究生からと大きく違ってもいる。そして、勘十郎は女の、また玉女は立役(男)の人形をそれぞれ得意とする。3人で1体の人形を操る文楽人形は世界でも珍しいもの。そして、人形遣いは、足遣い(もっぱら人形の足だけを操る)10年、左遣い(こちらは左手だけ)15年といわ れているのである。ちなみに、右手と身体全体、顔を操る人を「主遣い」と言う。最初の10年間⇒
ヴェネツィア
2025/09/03 10:41

⇒程は、足を操りながら、主遣いの動きをひたすらに学ぶのである。左手遣いというのも、随分むずかしそうだ。いずれにせよ、こんな風だから、後継者はなかなか得難いものと思われる。さて、このお二人が選んだ文楽ベスト10 だが、意識的にか全く別のものを選んでいる。三大浄瑠璃にしても、勘十郎は『義経千本桜』を、玉女は『仮名手本忠臣蔵』と『菅原伝授手習鑑』を、近松の世話浄瑠璃も勘十郎は『女殺油地獄』と『曾根崎心中』を、玉女は『心中天の網島』と『冥途の飛脚』を選ぶなど。これらは初心者向けの文楽鑑賞の手引きになりそうだ。

が「ナイス!」と言っています。
ヴェネツィア
ボーヴォワールは「人は女に生まれるのではない。女になるのだ」と述べているが、日本語はまさに女性を「女」にする言語である。女言葉を話す(話すように義務付けられる)装置が、「女」(男性支配社会にとって都合の良い)を作り出すのである。本書は数々の示唆に富むが、ジェンダーと言語の関係の論証は見事。ジェンダーの中では〈男〉が「無徴・標準・中心」であり、〈女〉は「有徴・例外・周縁」に位置付けられる、という指摘などは男である私にはこれまで全く見過ごされてきた視点であった。どの項目もきわめて説得力に富む上に、読んでも⇒
みあ
2025/09/03 10:09

面白そうですね。読んでみます。タイトルが「女と男」になっているのが秀逸だと思いました。

ヴェネツィア
2025/09/03 10:59

みあさん、ぜひ。言語の問題としても、ジェンダーの問題としても、ともに刺激的、かつ有効です。

が「ナイス!」と言っています。
ヴェネツィア
戸田和代・文、よしおかひろこ・絵。お話は幽霊出現の常套句「うらめしや〜」に着想した、きわめて子どもっぽい駄洒落。子どもっぽいがゆえに、子どもたちにはウケるかも。かえるの「おもてめしや」が、夏の一夜に「うらめしや」に。そこにやって来るのはご先祖さまをはじめとした大勢の霊たち…というもの。ここはもっぱら、よしおかひろこの、かえるキャラクター頼みである。というよりは、それなくしては成立しないほど。怖くないおばけ話なので、年少の子どもたちも安心。
が「ナイス!」と言っています。
ヴェネツィア
『エーレクトラー』のみの感想。物語の主軸を成すものは根幹は一つであり、2つの表象をとる事柄。父のアガメムノーンをアイギストスと、母のクリュタイムネーストラーによって殺害されたエーレクトラーと弟のオレステース。オレステースにとっては復讐劇の物語、そして姉のエーレクトラーにとっては、ひたすらに悲嘆の物語である。この場合、より動的に解決を図ることができるオレステースに対して、エーレクトラーにはその手段がない。では、彼女が静的でしかないのかというと、そうではない。また、そのために妹のクリューソテミスが彼女とは⇒
碧緑(あおみどり)
2025/09/04 12:56

こんにちは。オペラの方は東京にいた時に見ました。エレクトラ、なんだか気の毒ですが、自分の意志を貫いたという意味では幸せ(???)だったのかも・・・。

ヴェネツィア
2025/09/05 15:34

碧緑さん、オペラのエレクトラも、なんだか凄まじいですね。

が「ナイス!」と言っています。
ヴェネツィア
大正というと、私などはすぐに大正デモクラシーやモボ(modern boy)・モガ(modern girl)を連想する。本書には残念ながら、そうした大正風俗に関するものはない。そして圧倒的に多いのが天皇の防御や即位、記念式典といった皇室関係の公的な記録である。なにしろ、これは学習院が蔵する資料であり、学習院によって編纂されたものなのであるから。乃木将軍も当然大きく取り上げられている。彼は学習院の第10代院長である。学習院のページもまた多い。官立の学校に比べるとはるかに立派だ。卒業生の人脈も錚々たるもの。⇒
ヴェネツィア
2025/09/02 13:44

⇒身近なところでは三島由紀夫やオノ・ヨーコがいる。

が「ナイス!」と言っています。
ヴェネツィア
「研究者に愛を語らせ、ファンに批評を語らせ、見る者をなにか他の者に変えてしまうような力」を持つという宝塚。本書は、そんな宝塚の秘密を歴史的な経緯を振り返りつつ述べていったもの。なかなかの労作である。創始者は小林一三。彼の独創的な電鉄、郊外型住宅地、デパート、などとの全体構想の中から生まれた。現行の宝塚になるまでには、何人もの先達がいたのだが、大きかったのは先の小林一三以降では、白井鐵造による改革だろう。その後も戦中、戦後の苦境をも掻い潜って、やがて『ベルサイユのばら』が登場する。演出はなんと長谷川一夫⇒
ヴェネツィア
2025/09/02 07:04

⇒だというから、驚きである。彼の演出は歌舞伎の手法を用いたそうだ。倒錯と混淆と絢爛たるバロキズムである。その宝塚からは何人もの真に優れた演劇人たちが巣立っている。まさにそこは夢の舞台だったのだろう。

が「ナイス!」と言っています。
ヴェネツィア
たなか ひかる・作。すしがオノマトペに乗って、縦横無尽に駆け巡る。「すしーん」、「しゃり」、「ねったーん」。そこにティラノめいた怪獣(ゴジラかな?)が現れ、最後はピザに退治されるというお話。スピード感はあるが、全体に乱暴さが否めない。絵もまたそうだ。私はその品のなさが好きではないが、子どもたちは喜ぶのだろうか。もし、そうだったとしても、再読に耐えるだろうか。子どもたちも大好きなすしをネタにしただけの絵本のようにも思えるのだが。
ヴェネツィア
2025/09/02 06:42

他の方たちの感想を読むと、好評のようだ。私にはどうも何がいいのか分からないし、これがシュールだとも思えない。

が「ナイス!」と言っています。
ヴェネツィア
この巻は、ベンジャミン・ウッドウォード&サー・トマス・ディーン設計のオックスフォード博物館である。1855から1860年。そもそもこの博物館の建設に先立って、オックスフォードの伝統的な神学体系と新しく台頭してきた自然科学との対立があった。結局は自然科学の側が次第に勝利を収めていくのではあるが、そうはいっても自然学の探求は神の構想を説明するものだとの論理であった。そうした折に浮上したのがこの博物館の建設である。当初はイタリア風、ジャコビアン様式、パラディオ風、そしてこのゴシック・スタイルである。外観は⇒
ヴェネツィア
2025/09/01 16:52

⇒石の材質といい、建物全体の様式といい、全くゴシックそのものである。それだけに、周囲の建築物とは見事なまでに調和している。風格もあり、格調高い。内部空間は上に大きく広がりを見せ、ゴシック教会の聖堂を思わせる。そして、ここに最大の違いが見られる。天井ヴォールトが鉄なのである。そして、これがまた実に美しい。ここにこそまさしく、新しい建築物としての価値があるのだろう。

が「ナイス!」と言っています。
ヴェネツィア
本書は、アメリカ戦略爆撃調査団の物理的調査部門が撮影したフィルムであり、その報告書である。調査の時期は1945年10月から11月にかけてであり、この調査の目的は、データの収集、分析、評価であると語られている。そこにあるのは、遠景にわずかに人が写っているのを例外として、徹底して原爆によって破壊された建造物である。もちろん、木造のもののほとんどは焼失しているので、原爆ドームをはじめとした鉄筋コンクリートのものの内外である。全250ページに及ぶ写真のうち、被爆者のそれはわずかに3葉のみ。当然、赤十字病院も⇒
ヴェネツィア
2025/09/01 14:53

⇒重要な対象の1つだが、そこでも撮影対象になっているのは建物であり、その被災した細部である。極めて冷静に対処されているのだが、そこには探究心以外は何もない。まさに非情である。

が「ナイス!」と言っています。
ヴェネツィア
『トラーキーニアイ』のみ。本篇は数あるヘラクレス伝承の1つなのだが、ここではその最後を描く。彼は死に際して、これまでの武勲の数々を列挙し、いわば武勲詩のようなものを披露する。劇の目的の半ばは、むしろここにあったのではと思わせもする。だが、悲劇として見るならば、あきらかにそれはヘラクレスの妻のデーイアネイラのそれである。彼女は、ヘラクレスが陥落させたオイカリアの王女イオレーを側室に迎えようとしているのを知り、苦悩する。それまでひたすらヘラクレスの無事を祈願し続けてきただけに苦悩は深い。こうした苦悩を描いた⇒
ヴェネツィア
2025/09/02 18:19

また、ソポクレスの『オイディプス』を映画化したパゾリーニの『アポロンの地獄』も実によくできています。

はる
2025/09/02 21:04

ヴェネツィアさん、早速のご紹介ありがとうございます。

が「ナイス!」と言っています。
ヴェネツィア
ハリエット・ツィーフェルト 文、シムズ・ターバック 絵。ハリエットはアメリカの絵本作家、シムズはこの本以外の情報を得られなかったが、出版元からもアメリカ人だと思われる。さて、お話は毎日朝早くに時を作るおんどり。ある朝、突然「モー」と答える声が。おんどりはブタ、イヌ、ロバ、ネコ、ヒツジと次々に声の主を訪ねていきます。そして、最後に…というもの。フォルムも色彩も大胆で強いタッチの絵が素晴らしい。そして、ちょっとヘタそうに見えるところが、またいい。読み聞かせでもウケそうだ。このままだと対象年齢がやや狭そう⇒
loanmeadime
2025/09/01 18:13

確認のため検索すると動画がいくつもありました。例えば https://www.youtube.com/watch?v=vM6Aos-771w

ヴェネツィア
2025/09/01 19:31

珍しい情報をありがとうございます。

が「ナイス!」と言っています。

ユーザーデータ

読書データ

プロフィール

登録日
2011/11/30(5133日経過)
記録初日
2011/04/07(5370日経過)
読んだ本
8490冊(1日平均1.58冊)
読んだページ
1884756ページ(1日平均350ページ)
感想・レビュー
8400件(投稿率98.9%)
本棚
62棚
性別
職業
専門職
自己紹介

2011年4月からの参加で、15年目にはいりました。一番よく読んでいるのは日本文学、次いでは翻訳文学です。読むジャンルの幅は広い(半ばは意識的にそうしています)のですが、何でも手当たり次第に読むというわけではありません。特に誇れるものはありませんが、連続読書日数は初日から5263 日(2025年9月2日現在)、冊数は8098冊になりました。胃癌で入院中も、海外旅行中も毎日読んできました。さて、どこまで伸ばせることやら。

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