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2025年4月の読書メーターまとめ

ヴェネツィア
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2025年4月に読んだ本
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2025年4月にナイスが最も多かった感想・レビュー

ヴェネツィア
タイトルは「パンデミック」と「ツミ」の合成による造語だろう。6つの短篇から成るが、いずれもがコロナ禍の渦中の物語である。ただ、最後の「さざなみドライブ」だけは、ピークを過ぎた頃を描く。ホラーというわけではないが、これまたいずれの作品も、それぞれの登場人物の中に潜む魔的なるものの存在を前提に成立する。すなわち、コロナといった非日常が日頃は潜在化にあったものを炙り出し、日常に浮上させるのである。発表誌も「小説宝石」であり、通俗性は否めないが、それでも「祝福の歌」の終りあたりでは、ついつい涙腺が緩みそうになる。
ヴェネツィア
2025/04/04 16:46

本書は第171回(2024年上半期)直木賞受賞作。他の候補作、青崎有吾『地雷グリコ』、麻布競馬場『令和元年の人生ゲーム』、岩井圭也『われは熊楠』、柚木麻子『あいにくあんたのためじゃない』を抑えての受賞だった。なお、本作を最も強く押していたのは三浦しをん。

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2025年4月にナイスが最も多かったつぶやき

ヴェネツィア

この4月で15年目を迎えました。早いものです。よくこんなに続いたものだと自分ながら感心する次第です。

この4月で15年目を迎えました。早いものです。よくこんなに続いたものだと自分ながら感心する次第です。
出世八五郎
2025/04/28 21:33

こんにちは。私個人のことを述べると読書メーターはずっと続けると思います。 本棚が買った本が埋め尽くされるのが嬉しかった。けど、図書館利用が多くなり その喜びはなく、ただ、どんな本を読んだからの本棚代わりが私にとっての読書メーターです。 他によいSNS?があれば変えるのもいいのでしょうが、膨大なデータを引っ越しさせるのも面倒です。ではでは。

ヴェネツィア
2025/04/29 07:36

出世八五郎さん、コメントありがとうございます。私は積読本が1000冊を越えていますが、もう生涯にこれをゼロにするのは諦めました。依然として減るよりも増える方が多いくらいですから。

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2025年4月の感想・レビュー一覧
114

ヴェネツィア
人気作家9人による競作。若干の例外はあるが、概ねは小学生から高校生の少女たちを描いた短篇。ジャンルの上からはエンターテインメント小説。突出した作品もないかわりに、全くダメというものもない。よく言えば、粒揃いということになるのだが、この場合はどちらかというとドングリの背比べに近いか。高校生を描いたものは恋の物語になるのだが、これまたあまり変化が見られない。誰か大胆な作家(例えば山田詠美など)を入れておくべきだっただろう。もっとも、荻原浩「空は今日もスカイ」や中島京子「モーガン」あたりは、今日のリアルを⇒
ヴェネツィア
2025/04/30 18:52

⇒描き出し得ていたように思う。

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ヴェネツィア
初出は昭和21(1946)年7月「文學通信」。大戦末期の疎開生活を描いたエッセイ。1945年3月1日の東京大空襲により三鷹の家が焼失。太宰の一家は妻の実家のある甲府へ。今度は甲府も空襲にあい、太宰の実家の津軽へ。太宰は、この間の空襲の恐ろしさを書くことはなく、ここではひたすら5歳の娘に海を見せたいと語る。海を見ることは、全てを失った後に残るささや かな希望であったか。ただようやく海を見られたものの、またしても一人相撲の感だけが残るのが何ともうら寂しい。
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ヴェネツィア
ヴァイキングを知らない人はいないだろうと思うくらいには有名な存在である。では、その実態は?というと、主にスカンジナビア半島あたりから舟でやってきて、集団でスコットランドやイングランドの沿岸部の町を襲撃する略奪集団ーといったあたりのイメージではないだろうか。本書は、そんなヴァイキングの歴史をたどるもの。歴史的には、793年にノルウェー人の船団がリンデンファーン島(東イングランド)の修道院を襲撃したことにはじまるというのが定説のようだ。彼らは舟もそうだが、独自の文化を持っていた。写真で見る限りでは⇒
ヴェネツィア
2025/04/30 07:13

⇒それは北方の文化の特徴を顕著に示しているようだ。なお、793年に始まった遠征だが、最後は11世紀前半にデンマークとノルウェーがそれぞれ国民国家となったあたりで消滅していったようだ。

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ヴェネツィア
B・J・ノヴァック 作。この人はアメリカのコメディアン、脚本家、作家、映画監督らしい。タイトルは、アンデルセンの同名作品とは直接の関係はないが、アイディアは当然そこから。最初から最後まで絵は1点もない。そのかわりにあるのは「ばふっ」や「ぶりぶりぶ~」といった、いささか品位を欠くような言葉がいっぱい。子ども園などで読み聞かせに用いると、子どもたちは喜びそうだ。一方、大人の側からは賛否両論?
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ヴェネツィア
初出は昭和13(1938)年10月「新潮」。太宰29歳。前年の3月に太宰は水上温泉で初代(入籍はしていないが、事実上の妻)と自殺未遂事件を起こしており、このことが背景にあった。さらに、その背景には初代の不貞があった。もちろん、本作はあくまでも小説として書かれているのだが、「あやまった人を愛撫した妻と、妻をそのような行為にまで追いやるほど、それほど日常の生活を荒廃させてしまった夫と、お互い身の結末を死ぬことに依よってつけようと思った」といった自殺の動機はほぼそのままだろう。それはこの作品全体にもあてはまる⇒
ヴェネツィア
2025/04/29 16:48

⇒ことでもあり、この時期の太宰は虚構を構える気力さえ喪失した切羽詰まった状況にあったと思われる。したがって、太宰論においては無視できないだろうが、小説作品としては、もはや破れかぶれである。もちろん、太宰自身がそのことを誰よりもよくわかっていたはずだ。

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ヴェネツィア
ミッチ・アルボムは初読。この作家の名前を知ったのも初めてだが、本書は『モリー先生との火曜日』や『天国の五人』に次ぐ3作目。世界でこれまでに累計3000万部以上を売ったベストセラー作家のようだ。さて、本書の手法は枠組みの上からはファンタジーということになるだろうが、基本にあるのはリアリズム小説のもの。語り手のチック(主人公)の回想の中で、父と母との間での自己の葛藤や悔恨を語る。これが多くの人たちに支持されたのもわからないではないが、私のようにスレた読者からすれば作為が目に付いてしまって、素直に感動する⇒
ヴェネツィア
2025/04/29 16:32

⇒ことができない。中学生か、せめて高校生の時ならあるいは共感できたかもしれないが。この年になると、アメリカ流の安直なヒューマニズム小説に見えてしまうのである。

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ヴェネツィア
第2巻はリゾート・ホテル篇。マリオットやハイアット・リージェンシー、ウェスティン、シェラトンといった大手のホテルがズラッと並ぶ。これらは確かにそれなりに豪華で、リゾート感を満喫するための装置が揃っているとは思う。ただ、いずれも客室数が多すぎる(したがってホテルの建物も総じてバカでかい)のが欠点だ。もちろん、その割には混雑していないように設計されているのだが。もう一つは、世界中どこでもコンセプトが似てくるというのも大きな欠点。理想を言えば、客室数も少なく、それでいてプールは広々として、レストランも建物も⇒
ヴェネツィア
2025/04/29 10:53

⇒ローカル色があって…。立地はモーレア島かエーゲ海の島、あるいはモーリシャスあたりがいいかな。

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ヴェネツィア
佐々木マキ・作。『ヘンゼルとグレーテル』に似たお話。ただ、森の中の魔女の家に行くのは、おんなのこといぬ。やや不思議なのは、通常なら女の子と犬には名前があるところなのだが、ここではどういうわけか、単におんなのこといぬ。また、森の中にあったのはお菓子の家ではなくて、奇妙な水族館だったのだけれど。お話の結末はおおよそ想像通り。絵は典型的な佐々木マキ様式のもの。漫画っぽいのはあまり好きではないのだが、まあ許容範囲か。
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ヴェネツィア
初出は昭和15(1940)年2月「帝国大學新聞」。太宰31歳。ジイドの言「芸術は常に一の拘束の結果であります」を引いて、自説を展開する。とはいっても、けっして素直ではない太宰のこと、「ジイドの芸術論はいいのだよ。ー中略ー小説は少し下手だね。意あまって、絃響かずだ」などと古今集の「六歌仙評」をもじって宣う。そして、この「芸術における拘束」が成功をもたらした例として、ミケランジェロとアイスキュロスを挙げる。さて、自分の芸術にとっての拘束は、隣家のうるさいラジオの音だという。これを隠喩だとすれば、戦争を鼓吹⇒
ヴェネツィア
2025/04/28 16:52

⇒する軍部や、それに追従する世間か。なかなかの難敵である。実際に太宰がとったのは、最初は抵抗、そして転向の後はぬらりくらりとかわしていくことであった。それでも、太宰は大いに抵抗精神を持ち続けたし、それは小説にも反映された。

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ヴェネツィア
700もの文、1000もの単語を学習し習得した、ボノボのカンジ(スワヒリ語で「埋もれた宝」の意)を研究した(というよりは、ほとんど共に暮らした)スー・サベージ=ランボーによる報告。彼女のボノボの能力に関しては、認めない研究者もいるようだが、少なくても本書を虚心に読む限りでは、ボノボには豊かな感情が内在し、しかもそれを人間と共有する能力を持っていることは間違いないようだ。しかも、それは即物的な伝達を越えて、抽象的な域にまで及んでいると見られるのである。
山口透析鉄
2025/09/08 01:49

ここ、お話しよう(どうぶつ社等)という本にマウンテンゴリラ・ココに手話を教え、やがて自由に使いこなす話が出ていました。私は高校の図書室で見つけて読んで非常に感銘を受けた本です。図書館等で探せば見つかるかも知れません。音声言語は無理でも、言語能力はある、という驚きがある本でした。

山口透析鉄
2025/09/08 01:51

カンジの話は昔NHKスペシャルで見て、これも非常に感銘を受けました。近年ではそういうNHKスペシャルがだいぶ少なくなってしまっています。

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ヴェネツィア
和田久士の写真で巡る日本の伝統家屋を巡る旅。第1巻は「近畿」。巻頭を飾るのは、上賀茂神社の神官、岩佐家の家。建物は250年前のものらしい。この家に限らず、本書に紹介されている民家はいずれも文化財級。また、それぞれに外観もさることながら内装もクラシック。京都の町中を離れると、美山町や伊根町の独特の景観を持った家々の集落。次いでは、近江商人の町、近江八幡に残る旧家。中にはヴォーリズ設計の洋館も。これは住心地もよさそうだ。奈良県にはあちこちに古い様式の家が点在。これらはさすがに古色に彩られ、風格を示す。
ヴェネツィア
2025/04/28 13:16

旅行で行くなら、京都の産寧坂などは誰もが訪れるだろうが、比叡山の裏側にある坂本などは穴場としてお薦め。もっとも、今ではインバウンド客が押し寄せているかも知れないが。

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ヴェネツィア
柴田ケイコ・作。これが『パンどろぼう』シリーズの第1巻。パンどろぼうの正体は〇〇〇だったのか。でも、なぜパンをどろぼうしないといけないのかはわからない。まあ、こういうものだからわからなくてもいいのかな。子どもたちの反応はどうなのだろう。保護者たちは?ちょっと気になるところだ。絵はマジックインク(?)で描かれているのだろうか。素人っぽさを残した絵だ。私には、これが人気シリーズである理由が今一つよくわからない。
ちみたんママ
2025/04/28 18:29

横から失礼します。この作品、子供たちに大人気で今はグッズもたくさん出てます✨この作品をキッカケに柴田ケイコさんの他の作品も今は人気出てきている(「パンダのおさじ」シリーズ)印象です。私も人気の理由がよくわからない(笑)のですが、一冊に一度必ず変顔のドアップが出てくるところが面白いのかな❓などと思ってます。息子も変顔のところでよく笑ってます。

ヴェネツィア
2025/04/28 18:48

ちみたんママさん、ご教示ありがとうございます。やはり子どもの感性はちがうのでしょうかねえ。だとすると、私はそれをなくしてしまったのかと思うと、なんだか淋しいような気がします。

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ヴェネツィア
安珠と奏斗を最初の先導者に、彼らがたまたま遭遇した謎の絵描き平の物語に遡行する。いわば世代を跨いで展開する恋の物語である。ただ、平と香恵の恋と、その挙句の刃傷沙汰にいたる顛末が物語の半ばくらいに明らかになるし、同様に彼がずっと描いていた絵物語の内容と由縁が明かされるのも早い段階である。ミステリーではないのだからいいようなものだが、それでもそれ以降の展開には後日譚めいた気分が残ってしまうだろう。また、平たちの若き時代はともかく、安珠らの生きる現代までもが何か時代がかっており、世界観の全体によく言えば⇒
ヴェネツィア
2025/04/27 16:56

⇒セピア色の紗がかけられたようなムードに覆われている。悦子の理髪店が登場するところなど、あるいは作者自身のノスタルジックな思いがこの物語に投影されているからだろうか。

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ヴェネツィア
イタリアのお料理レシピ集『シルバースプーン』を子ども向けに再編集したもの。最初はキッチンで使う道具の説明や、包丁の使い方の説明で、このあたりはまさに子ども向け(とくに「ブリッジの手」や「ネコの手」などは)。お料理もまた、「プロシュートとメロン」などは、切って盛り付けるだけなので、まずは誰でもできそうだ。ただ、後半からは難易度が上がってきて、ピッツァやパスタは粉から作るなど、隨分と本格的。「ラムチョップのミント風味と新ジャガイモのローズマリー風味」にいたっては、もうほとんどレストラン料理のレベル。⇒
ヴェネツィア
2025/04/27 08:35

⇒デザートも、「マーブルのリングケーキ」や「オレンジケーキ」など、これも本格派。子どもと一緒に作って楽しめれば、最高の日曜日に。

が「ナイス!」と言っています。
ヴェネツィア
五味太郎・作。子どもの問いかけのセリフは各ページにあるものの、おじさんは終始無言のまま。ひたすらにつえを変幻自在に駆使する。お話としては、つえの使い方に想像力を羽ばたかせる妙味が生命。絵に90%くらい比重を置いた絵本。絵は相当に あか抜けたレベル。ヨーロッパの絵本を思わせる。柔らかいフォルムも、中間色の色遣いも素晴らしい。五味太郎の才能にあらためて目を開かれる絵本。
が「ナイス!」と言っています。
ヴェネツィア
初出は昭和21(1946)年2月「新潮」。太宰37歳。終戦後、半年に書かれているが、内容的には大戦の末期あたりの出来事だろう。太宰が戦後、故郷の実家に身を寄せていた時の話となっているが、脚色はなされているものの、基本的には実話が元になっていそうである。最も脚色を加えたと思われるのは、脱走した圭吾の嫁のしたたかさだろう。そして、それを今(戦後)に置いてみた時に、女性が持っている(とうてい男にはかなわない)逞しさとしての表現になったのだろう。俗言に云う「戦後に女と靴下が強くなった」を笑い飛ばしてしまう小説。
ヴェネツィア
2025/04/26 21:17

私は作品以外のところでは、作家のことをほとんど知らないものですから、太宰とどんな関わりだったのか 想像がつきません。あえて想像するとすれば、『桜桃』に出てくるバーのことだろうかと。

元気伊勢子
2025/04/27 08:58

ありがとうございます。「桜桃」読んでみます。ちなみに、太宰と聖子、富美子親子とはかなり親しかったようです。

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ヴェネツィア
「私」、「彼女」、「すべての、白いものたちの」の3章から構成される。エッセイのようにはじまるが、やがてそれは散文詩のような文体に凝集されてゆく。一見したところでは、気まぐれに語られているかのように見えるが、全体を貫流するのは小説としての緊密な構成意識である。そして、これらの3章はいずれも変奏されてゆくモノローグだ。「白」はおくるみの色であり、また寿衣(死者の衣)の色である。そして、ここはソウルであると同時に時には破壊されたワルシャワである。作品内の時が流れる間、生と死は近接し、時には交換されたりもする。
ガーネット
2025/04/26 22:15

図書館で借りて読み、内容にも製本にも、「この本と共に時を重ねたい」と思い、購入し手元に置いた、数少ない所有本の一冊です。この本の存在そのものが、おくるみであり寿衣であり、国は違いますがチベットの「カター」のように感じています。

ヴェネツィア
2025/04/27 05:04

ガーネットさん、ほんとうに心に沁み入る作品でした。

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ヴェネツィア
この巻では、French Tradition、Federal&Greek Revival、Victorian House、そしてライトをはじめとしてモダーン住宅が紹介される。Frenchでは、まずはルイジアナ州のニューオリンズとサウス・カロライナ州のチャールストンだろう。チャールストンには、Greek RevivalやVictorianなども多数あり、住宅建築の展示場としての見どころは実に 多い。したがって、目的がそこにあるなら、まずはチャールストンだろう。ここは街並みも含めて、とっても魅力的に見える。
ヴェネツィア
2025/04/26 10:38

とは言いつつ、私はチャールストンにもニューオリンズにも行ったことがないのだが。この本に紹介されている中では、唯一実見したのがシャーロッツビル(ヴァージニア州)のモンテセロ(第3代大統領のトマス・ジェファーソンが自ら設計した自邸)だけ。しかも、山の中にある立派なお屋敷としか覚えていないありさま。

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ヴェネツィア
なかや みわ・作。そらまめくんの大事な大事なベッド。ところがある日、その大切なベッドが行方不明に…というお話。もちろん、最後はみんな幸せに。上手い絵というのではないけれど(いい意味でアマチュアっぽい)そらまめと、背景の草原の緑のパステルカラーが暖かい優しさを伝えてくれる。そらまめくんのベッドは、ごく幼少期のゆりかご(あるいはベビーベッド)のかすかな記憶を呼び起こし、子どもに幸せな気持ちを運んでくるのかもしれない。
ヴェネツィア
2025/04/27 08:38

なるほど。見方を変えてみればその通りですね。ただ、私が利用する図書館はコミュニケーションがいたって濃密なんです。お蔭でいろいろと便宜もはかってもらえます。

yuppi
2025/04/27 09:01

いい図書館ですね。羨ましいです。

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ヴェネツィア
この巻には、茨城、群馬、栃木が登場。まずは古来「常世国」と称され、理想郷と讃えられたという茨城から。茨城はたしかに地形モ変化に富んでいる。県央の畑作地帯、南部の水田地帯、北部山間地帯に分けられているが、私がイメージできるのは、納豆と霞ヶ浦の水産資源くらいのもの。イメージが実に貧困である。それはまた、栃木、群馬も変わらない。西日本に生まれ育った私にはこのあたりが、最もイメージの空白地帯。この三県で行ったことがあるのは群馬だけというありさま。逆に東日本の人にとっては、鳥取、山口というあたりがそうなのだろうか。
だんぼ
2025/04/25 20:34

ヴェネツィアさん、いつもありがとうございます。埼玉、秩父の東側全域から茨城大洗まで、ただただフラット、このあたりの人が横浜、横須賀に行くと、山と坂試練にぶちあたります。茨城イメージです。

ヴェネツィア
2025/04/26 07:33

だんぼさん、おはようございます。そういう地形ですか。どうも具体的なイメージがなくて。実際に行ってみないといけませんね。

が「ナイス!」と言っています。
ヴェネツィア
ネタバレ篠田節子の作品の中では『仮装儀礼』と1、2を争う長さ。それはいいとしても、書いているうちに当初の構想がズレていったのではないかと思われる。最初は宗教的な気配も漂う、解脱めいた方向で進んでいたはずなのだが、途中からは薬物依存からの解放に変異していった。もっとも、最初の解脱にしても、効果が劇的であるところから、宗教とは違ったものが予想されたのだが。また、物語の全体は2030年という近未来に設定されているが(これは最初の構想からそうであった)そのことと、主題との結びつきもはっきりしないままに終わってしまった。
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ヴェネツィア
メアリー・ジョスリン 文、エレナ・テンポリン 絵。前半は「旧約聖書」、後半は「新約聖書」から、それぞれ天使の登場する場面をとりあげる。聖書と天使で、真っ先に思い浮かぶのは、受胎告知の場面ではないだろうか。「ルカによる福音書第1章26節~38節」に語られる場面であり、そこで天使ガブリエルがマリアさまに、男の子(イエス)を身ごもったことを告げる。このシーンは絵画の世界でも人気のテーマで、フラ=アンジェリコやダ・ヴィンチをはじめ、多くの画家がこの場面を描いている。私の場合はどうしても新約に傾いてしまうが⇒
宵待草
2025/04/25 08:52

追伸 後程、呟く予定ですが、東京都美術館で開催中の『ミロ展』を鑑賞します。 長く水彩画を学ぶ友人をお誘いしました。 ランチは好きな『韻松亭』の予定です。 行ってきます!🍀 宵待草

ヴェネツィア
2025/04/25 08:53

ミロ展でしたか。ランチともども優雅な1日を。

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ヴェネツィア
『現代商業美術全集』とはいうものの、ここでいう1928年〜1930年のこと。表紙の文字が横書きでありながら、右から書かれているのもそのためである。すなわち、本書はその時代のコマーシャル・アートの復刻版。この巻は、副題にあるように「各種ショーウィンドー装置集」。前半に提案例が、後半には論考がなされている。中心人物は、どうやら濱田増治氏。作例は、いずれもなんだかゴチャゴチャした印象。ファッションもあるにはあるが、かならずしもそれが中心というわけでもなさそうだ。中には石鹸やハミガキなどもあったりする。
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ヴェネツィア
著者の2人、ヨハナン・アハロニ氏とアヴィ・ヨナ氏はともに聖書考古学者。本書では「旧約聖書」の創世記および考古学上の金石併用時代(紀元前4000年)からはじまって、紀元2世紀あたり(原始キリスト教会の成立?)までを網羅する。通常の世界史では、せいぜいアレクサンドロスくらいしか扱わないが、ここではかのパレスチナの地での歴史を詳細に通観して行く。それを見ると、この地では実に夥しいほどの戦いが繰り返されてきたことに驚くばかり。ここは、まさに栄枯盛衰を繰り返した宿命の地である。また、このスパンからすれば、⇒
ヴェネツィア
2025/04/24 12:26

⇒新約の時代は、最後の数ページであり、まだまさに始まったばかりというところだ。もっとも、そうはいってもイエス・キリストの時代から2000年が経ったのだが。

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ヴェネツィア
みなみ ななみ・文、葉 祥明・絵。タイトルのゴンダールはエチオピアの地名。ぼくはトラックにいっぱいの食料を積んでゴンダールに向かった。大勢の人たちが待っていた。でも、配ることができるのは、トウモロコシと粉ミルクひと袋だけ。それでもなかなかみんなには届かない…飢餓を伝える絵本。そんな中で、心温まるお話になっているのはそうしないと読んでもらえないからだろう。まずは、伝わらなくてはなんにもならないがゆえに。1984年~85年にかけて、エチオピアだけで100万人以上が餓死したといわれている。
ヴェネツィア
2025/04/24 08:03

巻末の統計によれば(いささか古くて1999年のものだが)栄養不足土が「非常に高い」とされている国々は、中央アフリカを中心としたアフリカ諸国以外にも、ハイチ、アルメニア,アゼルバイジャン、タジキスタン、アフガニスタン、カンボジア、モンゴルなどたくさんある。

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ヴェネツィア
初出は昭和11(1936)年4月「文藝雑誌」。同年6月、太宰の第1作品集『晩年』に収録。太宰27歳。「誕生」、「紙の鶴」、「水車」、「尼」と4つの独立した掌編から成る。文体も(あえて?)不統一である。内容的にも関連性が見いだせない。それぞれが実験的な小説だと言われれば、そうかなと思う。「尼」はちょっと漱石の『夢十夜』を思わせないでもない。そうすると、他の3篇にもそれぞれ俤としての先行作があるのだろうか。
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ヴェネツィア
物語の舞台はナチスに占領されていた時代のデンマーク。この地にも多くのユダヤ人たちが暮らしていた。デンマークはナチスの前にいともあっけなく降伏した(国民を守るためだっただろう)のだが、占領下ではレジスタンスによるユダヤ人の救出活動が行われていた。これはそんな物語である。ここに描かれるエピソードの数々は、実際に行われた活動から創作されたもの。子ども向きに書かれたためか、ナチスの非情さはあまり前面に出ることはなく、アネマリー(主人公)の両親の語りの中で示されるだけである。物語の主体が救出活動にあったから⇒
ヴェネツィア
2025/04/23 16:50

⇒だろうが、子どもたちに伝わるだろうかと若干の危惧を覚える。

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ヴェネツィア
著者のベルンハルト・M・シュミッドはフリーランスのフォト・グラファー。1987年からは日本在住。各国の道を写した写真集。ヨーロッパ、南北アメリカ、オーストラリア(+日本が少し)を主たるフィールドとしている。思うに広大な景が好きなのだろう。自然の風景と一部に建物はあるが、人と動物は一切描かれることがない。それでも、殺風景な感がしないのは、主題として捉えられているのが道であるからである。こんな構図もいいなと真似てみたくなる。そういえば、久しくこういう写真を撮っていないなあと思う。写真のデータは大まかな地名⇒
ヴェネツィア
2025/04/23 10:49

⇒だけ。レンズと絞り等に関するデータもあればよかったのだが。

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ヴェネツィア
カズコ・G・ストーン 作。「なーんだ なんだ くろいの  なんだ?」にはじまって、「なーんだ なんだ」がリズムよく繰り返される。2~3歳児くらいが主たる対象か。絵も赤を背景に白黒のパンダがくっきり、鮮やかに。過剰な擬人化やデフォルメはないが、それでもパンダは十分に可愛く表現されている。その微妙なあわいが上手い。続編の「どーこだ どこだ」など、シリーズ化もされているようだ。
ヴェネツィア
2025/04/23 07:54

大人になってしまうと理解が難しくなるが、幼児はパンダだとわかっていながらも、この本を何度も何度も楽しめるのだろう。

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ヴェネツィア
初出は昭和13(1938)年8月「文筆」。太宰29歳。とかく読者というものは、「作品の面白さよりも、その作家の態度が、まず気がかりになる」と太宰は言う。続いて「作品を、作家から離れた署名なしの一個の生き物として独立させてはくれない」と。ひじょうにもっともな話であり、本来そうあるべきだ。近年のテクストの立場などはまさにそうだ。他人のことは言えないのだが、私たちはそれを理解しつつ、ついつい作家を語ってしまう。私の太宰の作品に対する感想などはしばしばそうだ。「作品に還れ」ーはい、その通りです。
drago @地震対応中。
2025/04/23 11:22

はい、高校の先輩でもあります。 旧金木町(現五所川原市)というところの大地主の息子で、はっきり言って「わがままなお坊ちゃま」という印象です。(^^; 小説にも、そんな甘えが滲み出ているような気がします。

ヴェネツィア
2025/04/23 12:49

寺山修司も青森高校でしたね。

が「ナイス!」と言っています。
ヴェネツィア
『ケルズの書』は、9世紀に古ラテン語で書かれた(文字はインシュラー体と呼ばれるもの)典礼用の四福音書である。全体にケルト装飾がふんだんになされており、歴史上最も美しい聖書ともいわれる。子牛のベラムに描かれているのだが、大切に扱われてきたためか、今に至るも色彩の保存状態もきわめて良い。現在は、ダブリン大学のトリニティ・カレッジに蔵されており、アイルランドの国宝である。装飾は誰が見ても一目瞭然の典型的なケルト文様であり、様々なシンボルの意匠も、全てケルトの原型を今に留めている。一見の価値、大いにあり!
ヴェネツィア
2025/04/22 14:42

これはもちろん聖書そのものなのだが、その独特のケルト文様のせいか、神秘主義的な香りが漂う。ラテン語が読めないだけに、あたかも魔法を解き明かした書であるかのようだ。

が「ナイス!」と言っています。
ヴェネツィア
地震によって引き起こされる津波の予知にかけたチームの物語。メンバーはそれぞれ出自も、現在置かれている状況もバラバラの6人。いわば寄せ集め集団である。そして、この6人はいたって個性的だ。その中で最も地味な準平を主軸に据えるところが伊与原新の作家的な上手さだ。そんな彼らに共通するのは(瀬島はやや例外)、あの3.11東日本大震災の時に何もできなかったことへの悔恨である。ただ、その清算の仕方はこれまたそれぞれに個性的であり、それが物語を輻輳的に構成してゆく。展開はいたってスリリング。⇒
ヴェネツィア
2025/04/22 06:56

⇒胸が熱くなること必定。面白さでは『宙わたる教室』に優るとも劣らない。伊与原ファンにはお薦め!

が「ナイス!」と言っています。
ヴェネツィア
文は『ぐりとぐら』の中川李枝子、柿本幸造の絵。お話は「まつぼっくり」の歌に乗せて展開する。くまのこくまきちが、けいこの後をついていって幼稚園へ…というもの。幼児を対象に想定しているものと思われる。絵も可愛く、これも幼児を意識しているか。エンディングの絵は、紅葉を背景に山に帰って行く母子の姿がなかなかに抒情的。
が「ナイス!」と言っています。
ヴェネツィア
初出は昭和21(1946)年2月「婦人朝日」。太宰37歳。終戦の半年後に書かれている。擬人化された百円紙幣に仮託し、語らせるという形式をとる。貨幣は概ね女性名詞なので、ここも女性語り。ただし、かつての『女生徒』や後に書かれることになる『斜陽』のように、そのことが語りとしての成功をもたらしているわけではない。戦後の価値観の転倒を茫然と眺めやり、なすすべもない太宰の姿がそこに見えるようだ。
が「ナイス!」と言っています。
ヴェネツィア
ヨシタケシンスケのエッセイ。挿絵入り。3章構成で、第1章が「ついつい考えちゃう」、第2章は「父だから考えちゃう」で主に自分の子どものことを、そして第3章の「ねむくなるまで考えちゃう」では、より深く考えた(と著者が言っている)もの。ヨシタケシンスケの思考のパターンがわかってきてしまったのか、驚きや感心するようなものはない。いわば、あたりまえのことをあたりまえに考えているのだ。ただし、人は一般にこんな風にことあるごとに考え込んだりはしないだろう。そこは考えるプロフェッショナルのヨシタケシンスケ。⇒
ヴェネツィア
2025/04/21 14:29

⇒絵とエッセイのネタを探すためにも、日夜歩き回って考えているのである。日常のささいな事柄にふと目を留めてみると見えて来るもの―その集大成がこのエッセイ集である。私が一番顕著にそれを感じたのは「ぼくのストローのふくろ」。

が「ナイス!」と言っています。
ヴェネツィア
著者の吉田桂二氏は建築家。本書は1990~91年にかけて、第一勧銀ハウジングセンターのPR誌「家づくり」に連載されていたもの。写真の大半がモノクロームなのは残念だが(頒価を抑えるため?)著者自身のスケッチを含め、アングル、構図ともに著者の視点がよくわかる。また、建築物そのものにも当然言及されるが、それよりもむしろ街としての構造や空間がなにより重視されている。また、その町や地域がたどった歴史的な視点も述べられており、空間と共に時間の軸線を持つことが、この人のエッセイの大きな利点となっている。
ヴェネツィア
2025/04/21 08:09

建築物でとりわけ興味深い(ぜひ行って見てみたい)のは、独特のトルッリで名高いアルベロベッロをはじめ、モネンバッシア、ハラン、マトマタ、ツルシなど。

が「ナイス!」と言っています。
ヴェネツィア
ゲルダ・マリー・シャイドル 文、バーナデット・ワッツ 絵。原文はドイツ語で、元のタイトルは「小さな庭」。たくさんのの花が自由に咲き乱れている、おじいさんの庭。一方、お隣のお金持ちの庭は整然と整えられている。それにあこがれたひなげしが…というお話。最後は美しく終わる。おじいさんとお金持ち、雑然(自由)と整然(規律)といった明確な二項対立、そして幾分か教訓めいた気配がするのは気になるところ。絵はカラフルな色彩にあふれ、絵本らしい絵本の絵。
が「ナイス!」と言っています。
ヴェネツィア
フィリップ&リオネル・コクラン 作。弟のフィリップがストーリーとセリフを、そして兄のリオネルが絵を担当。飼い主たちがお出かけし、家の中には犬と猫が残された。その彼らの対話集。互いに全く話がかみ合っていないところが妙味。原題の"ENTRE CHIEN & CHAT"(イヌとネコの間)がこれをよく物語る。絵はシンプルといおうか(手抜きにも見えかねないが)半ば抽象化された線画。いずれにしても典型的なヘタウマ系。
が「ナイス!」と言っています。
ヴェネツィア
5つの作品からなる連作短篇。ただし、最後の「選鉱場とラッパ」だけは他と直接の繋がりはなく、隠喩的な連関において物語に内包される。すなわち、それは貝と耳との内部構造の相似による連想である。そして5つの作品を内的に同じ地平に置くコードはノスタルジーである。いずれの作品も作品内の時間が明記されることはないが、そこで描かれているのは1950年代~60年代の情景である。それは失われた時であり、胸の底に潜む不思議な懐旧の念である。さらに言えば、全体を包み込むのは静寂である。それは物理的にもそうだし、また精神の営為に⇒
小鳥遊
2025/04/29 13:58

ラッパは、4作目の「踊りましょうよ」でクッキー缶に収められています。

ヴェネツィア
2025/04/29 14:49

小鳥遊さん、そうでしたか。ご教示感謝!

が「ナイス!」と言っています。
ヴェネツィア
『太平記絵巻』は完本が現存しない。そこで本書では諸本を集大成する形で補って完全形に近いものの再現を試みたもの。そもそも『太平記絵巻』は、海北友雪の作ともいうが、異説もあり作者さえはっきりしない。仮に海北友雪の作、もしくはその時代のものとすれば18世紀前半〜中盤あたりということになるだろうか。絵の様式は古く、およそ中世の合戦系の絵巻をほぼ踏襲するものである。それは構図においても、顔料等の色遣いにおいてもそうなのではないかと思われる(ただし素人判断なので専門家の見方は違うかも知れない)。『太平記』は軍記物⇒
ヴェネツィア
2025/04/20 14:49

⇒としては、まとまりにやや欠ける上に様々な要素が混在しており、絵巻の題材としては扱い難かったものと思われる。

が「ナイス!」と言っています。
ヴェネツィア
角野栄子・文、西巻かな・絵。アー、レー、マーちゃんたちみつごのお話。お客様として登場するのは、みつごのねこ、みつごのサボテン、おばけもみつご、おほしさまも。お話のキー・ポイントは、そのリズミカルな繰り返し+オノマトペ。幼児向きかな。絵もカラフルで、大胆な省略がなされており、わかりやすい。子ども園の年少あたりの読み聞かせが想定されているのだろう。
が「ナイス!」と言っています。
ヴェネツィア
噂のハン・ガンに初挑戦してみた。評判に違わぬ、というか聞きしに勝る圧倒的なまでの作品世界の展開に、しばし茫然の体。本書は3つの連作中編から成るのだが、3作ともに作品の中核にいるのがヨンヘである。第1話の「菜食主義者」では、その夫が(語り手でもある)、第2話「蒙古斑」では義兄が、そして第3話「木の花火」では実の姉がそれぞれヨンヘを巡って、そして挙句にはその狂気に吞み込まれていく。ヨンヘの磁場は圧倒的なまでに強いのである。それが不条理の世界などではなく、あくまでも現実世界で展開するだけにやりきれなさが周縁に⇒
酩酊石打刑
2025/08/29 16:39

「読了後はしばし茫然とする」同感です。知人のおばさんにこの本勧めたのですが、「読むと疲れるかも」と言っておきました。

ヴェネツィア
2025/09/09 08:20

酩酊石打刑さん、コメントをいただきながら返信が遅くなりました。茫然ですよね。

が「ナイス!」と言っています。
ヴェネツィア
『抽象の薔薇』―なんとも魅惑的なタイトルである。これは、照屋眞理子自身の前歌集の一首の中の言葉だが、そもそもは塚本邦雄が彼女に贈った歌の「理外の花」に呼応するものとして歌われたもの。歌集にはその塚本邦雄の俤も随所に漂う。例えばこんな歌「天気予報は告げねど明日立春の空をときをり駱駝よぎると」、あるいは「偸盗も天使も猫も眠らせてとろりと空に春昼がゐる」。また本歌集の別冊に何人かの人が一文を寄せているのだが、それぞれに引用する歌が違っているのも彼女の歌の特質を語るものでもあるのかも知れない。
ヴェネツィア
2025/04/19 11:28

藤田敏八、若松孝二などが歌に詠み込まれているところに時代(70年代〜80年代はじめあたりか)への望郷の念のようなものがほの見えたりもする。

が「ナイス!」と言っています。
ヴェネツィア
藤森照信(文)と増田彰久(写真)による『日本の洋館』シリーズ第1巻の明治篇Ⅰ。巻頭を飾るのは旧渡辺千秋邸。設計者は木子幸三郎、1905年の竣工で港区に立つ。現存する最古のハーフティンバー様式の堂々たる洋館である。急遽付け足されたらしいが、アール・ヌーヴォーのキャノピーがそぐわない。ただ内部のそれは見事だ。この巻に収められた建物の多くは洋館とはいうものの、内部はともかく外観からはそうは見えないものが多い。本格的な洋館としては、旧土井八郎兵衛邸(尾鷲市・1888年)、旧岩崎久彌邸(文京区・1896年)、⇒
ヴェネツィア
2025/04/19 10:26

⇒旧徳川頼倫邸(港区・1899年・石村金次郎設計)くらいか。旧渡辺千秋邸は、現在蓼科湖畔に移築されトヨタ記念館になっていて見学可能。岩崎久彌邸は、ジョサイア・コンドルの設計で、これも見学可能。先年、東大に行った時に見に行ったが、庭園を含めて見事な意匠だった。徳川頼倫邸は数奇な運命をたどり、現在は熱海でレストランになっているようだ。

宵待草
2025/07/10 14:25

ヴェネツィアさん こんにちは! 先ほど42冊目の、共読本と成った『日本の洋館』の、拙いレビューを記載しました。 素敵な本書をご紹介!頂き、感謝です!💫 とても癒されて、穏やかな時間でした!🍀 何時も、有り難うございます!🙋 宵待草

が「ナイス!」と言っています。
ヴェネツィア
シャーロット・ゾロトゥ 文、ハワード・ノッツ 絵。ともにアメリカの絵本作家。おひさまにはじまって、風、山、波と自然の循環を男の子とお母さんの対話を紡ぐ形で語ってゆく。絵は表紙はカラーだが、それ以外はモノクロームの線描画。フランスと日本の絵本の中間くらいのタッチか。読み聞かせにはやや不向きか。自分で読むことを想定しているようだ。
が「ナイス!」と言っています。
ヴェネツィア
初出は昭和17(1942)年4月「藝術新潮」。太宰33歳。インタビューに答えるという形式をとる。曰く「人間は正直でなければならない」。また曰く「無欲ということも大事」。そして「いつも愛ということを考えています」などとぬけぬけと言う。これがほんとうにインタビューであったなら、後で自分ながら汗顔のいたりであっただろう。だけど、おそらくは架空のインタビューだろう。およそ太宰らしからぬ清廉潔白な太宰を一度は演じてみたかったものと思われる。
が「ナイス!」と言っています。
ヴェネツィア
7つの短篇を収録。いずれも初出は「オール讀物」。それ故か、文藝春秋社と菊池寛に敬意を表するように巻頭の"Come Come Kan"と巻末の「アパート一階はカフェー」にそれら両者を登場させている。文体は時に軽すぎるかと思われるくらいに軽快。タイトルの意味は分かりにくいが、英語の副題が如実に語っている。すなわち「殿方の後塵を拝するのはもうウンザリ」。そう、本書の7編はまさにフェミニズムの物語なのである。そのことを最も端的に語るのは最後の一編。物語の舞台もそれに相応しい大塚女子アパート。なお、この篇だけは⇒
ヴェネツィア
2025/04/18 15:19

⇒時代が戻って、時は1930年。間もなく谷崎潤一郎の二番目の妻になる、古川丁未子も登場する。7篇はいずれもなかなかに痛快だが、これ一篇ということならば、やはり巻末の「アパート一階はカフェー」だ。

ヴェネツィア
2025/04/18 15:21

つきでに言えば、巻頭の"Come Come Kan"の語り手のモデルは戯画化された作者自身だろう。

が「ナイス!」と言っています。
ヴェネツィア
著者の佐藤文男氏は牧師。古代オリエントに魅かれ7度にわたって現地調査を試みたようだ。本書の冒頭はその時の体験から。イスタンブールに向かう飛行機の窓からノアの箱舟が見えたそうだ。確かに航空写真で見ると、そんな風に見える。大きさも旧約聖書の記述とほぼ同じだとか。残念ながら、学術的には否定されている。ただし、これに先立つ大洪水は考古学的な調査の結果、紀元前3500年頃、チグリス・ユーフラテス川流域一帯に大洪水があったことが確認されている。また、ギルガメシュの粘土板にも、このことが記されているようだ。⇒
ヴェネツィア
2025/04/18 14:42

⇒以下、バベルの塔、古代都市うる、そしてウルを起点とするアブラハムの歩いた道を考古学的に検証してゆく。写真や図版も多く、聖書考古学入門には最適の書。

が「ナイス!」と言っています。
ヴェネツィア
谷川俊太郎・文、和田誠・絵。ひじょうにいいコンビネーションだ。文もはぎれよくリズミカルで、絵もまたこれに呼応するかのように元気よく、明快だ。主題も明瞭で、言っていることもその通りだと思う。しかし、にもかかわらず「ともだち」を持つべきだという同調圧力にはいささかの抵抗もある。子ども園や小学校の先生たちは、明るく無邪気に「みなさん、おともだちをたくさんつくりましょう」と言うだろう。でも、そこにはやはり影が存在するのである。
ヴェネツィア
2025/04/18 08:10

巻末の写真も、なんだか明るいヒューマニズムだ。

が「ナイス!」と言っています。
ヴェネツィア
初出は昭和15(1940)年3月「婦人画報」。太宰31歳。みずからの若き日の三島での思い出を、8年後に回想し再訪するという構成。それをハイデルベルヒの物語になぞらえてのタイトルなのだが、「老」とはいうものの、まだ31歳。もっとも、処女作に『晩年』と名付けた太宰のことゆえ、31歳はもはや若くはないのかもしれないが。内容は相変わらずギクシャクとし、世間とうまく折り合いをつけられない、それでいて矜持だけは高い太宰が突き放して描かれる。そして、それは姿を変えつつも、8年経った今も何も変わってはいなかったのである。
ヴェネツィア
2025/04/17 17:21

これで一応は完結しているのだろうが、未完のようにも見えなくもない。これ以上書けなくなったので、無理矢理に終わらせたか。

が「ナイス!」と言っています。
ヴェネツィア
ヨシタケシンスケ作。荒唐無稽な発想なのだが、それらのいずれもが極めてささやかなので、ほんとうに叶いそうな気がしてくる。ちょっと不思議な感じの絵本。しかも、どれもやってみるのは簡単だし、誰にでもできることばかり。例えば「夜中、一人で小おどりすると」→「サバンナのまんなかで、ヌーがごちそうにありつけるそうです」。これなんかは穂村弘の「サバンナの象のウンコよ聞いてくれ…」を連想させる。あるいはエドワード・ローレンツの「ブラジルでの蝶の羽ばたきはテキサスでトルネードを引き起こす」を思わせもする。
碧緑(あおみどり)
2025/04/19 21:44

こんばんは。言われてみるとたしかに「サバンナの・・・」の短歌みたいですね。ローレンツの言葉は「バタフライエフェクト」ですね。さすがの感想です。

ヴェネツィア
2025/04/20 04:16

だいだいさん、「サバンナの…」は、そんな感じもするでしょう?ローレンツの方もひょっとすると、ヨシタケシンスケも思ったかも。

が「ナイス!」と言っています。
ヴェネツィア
著者のマニュエル・リマは、おそらくこの分野の第一人者。世界中の大学や研究機関、科学誌で引っ張りだこの状態のようだ。確かにこの本を読むと、それも頷ける。系統樹に関する歴史的な収集、研究もさることながら、現代の様々なシーンでの新しい手法によるものを多々紹介する。序論に続いて、まずは「象徴樹」。13世紀初頭の神学的な系統樹や百科全書の椰子の木の図など。これに続くのが「垂直樹」と「水平樹」、さらには「多方向樹」である。ただ、このあたりから次第に現代のものが増えてきて、「放射樹」、「双曲樹」、「矩形樹」⇒
ヴェネツィア
2025/04/17 11:05

⇒「ヴォロノイ樹」、「円環樹」、「多層同心円」、「階層懸垂マップ 」などになると、もう完全にコンピューター・グラフィックの世界である。すなわち、それだけ汎用性が多角化したということだろう。確かに細々とした煩雑な説明を聞くよりも、こうした樹形図で示せば一目瞭然という分野は多そうだ。

が「ナイス!」と言っています。
ヴェネツィア
ミステリーの要素を秘めた6つの連作短篇から構成。全ての物語の中核に潜むのは、中国古代史研究者の村川である。ただ、彼が物語に直接登場するのは、「予言」のごく一部分のみ。すなわち村川は潜在的な因子ではあるものの、主人公は周縁にいるそれぞれの人たちである。また、いずれの物語においても、起承転結の結が茫洋としており、そういえばそもそも起もまた朧気である。すなわち、これらの小説は中空で自立するといった構造を持っているのである。文体は、三浦しをんの中でも独特であり、時には島尾敏雄を遥かに望見するような⇒
混沌
2025/04/18 10:26

そうなんですねえ。あ、それで気づきましたが、あえて人気なさそうな講座なんじゃないですかね。それでもモテちゃうっていう。

ヴェネツィア
2025/04/18 14:31

講座も大人気です。しかも、村川融は「肝臓(腎臓だったかも)を患ったタヌキ」と評される容貌の持ち主です。

が「ナイス!」と言っています。
ヴェネツィア
文はジャズ・ピアニストの山下洋輔、絵はメキシコでアートを学んだむろまいこ。朝起きてから夜寝るまでの、こうちゃんの一日を豊富で個性的なオノマトペで綴る。「ぴちゃら ぱしゃら ぷるぷるぷる」といった、なんとも軽快なもの。絵も石を使ったりもそうだし、色遣いもカラフルでユニーク。この二人のコンビネーションは絶妙。このアートの技法は子どもたちも真似られそうだし、読み聞かせの後はオリジナルなオノマトペにも挑戦できそうだ。
Fe
2025/04/17 12:07

この日の演奏については、エレーナ・ジョビン『アントニオ・カルロス・ジョビン  ボサノヴァを創った男』国安真奈訳 青土社 1998年10月刊  https://bookmeter.com/books/17775 の解説、山下洋輔「等身大の栄光」p.341-368 に詳しく書かれています。  山下洋輔「バラに降る雨」Chovendo na roseira (1995.10.31 リオデジャネイロ) https://note.com/fe1955/n/nba786fc43666

ヴェネツィア
2025/04/17 12:25

Feさん、重ね重ねありがとうございます。

が「ナイス!」と言っています。
ヴェネツィア
初出誌は昭和13(1938)年3月「新潮」第35号。太宰29歳。自らの苦悩を吐露してしまった作品。行き詰まり感があったのだろう。自問自答が繰り返されている。「為すべきことが何もない」、「発表をあきらめて、仕事をしている」と語るのだが、この前年には芥川賞をとれずに失意のうちにパビナールに依存し、自殺未遂をはかってもいる。そうしたことへの反省も見られるのだが、結局は自己弁護に走ってしまう。そして、そのことがまた太宰を苦悩に追いやる。苦悩の無限連鎖である。
が「ナイス!」と言っています。
ヴェネツィア
監修者の桐敷真次郎氏は建築家、写真はライフワークとして世界のホテルを取材するフォト・ジャーナリストの岸川惠俊。クリヨン(パリ)やサヴォイ(ロンドン)など世界の超高級ホテルを豊富な写真で紹介する。ハワイなどにあるリゾートホテルを別として、都市型のホテルはいずれも似ているといえば似ている。コンセプトが同じだからだろう。日常を超えた(これが日常という人たちもいるのだろうが)豪華さである。多くはホテルというよりは(ホテルが本来はそういうものでもあるのだろうが)絢爛豪華なバンケットルームを持つ。客室もスイートは⇒
たま
2025/04/16 13:10

ヴェネツィアさん、こんにちは。日本のホテルはパーティ会場が多く、ロビーが宿泊客以外のお客で混雑していたりしますが、ヨーロッパのホテルは一般に宴会色が薄く、そこが違うと思うのですが。

ヴェネツィア
2025/04/16 16:39

たまさん、宴会場と書いたのがいけなかったのですが、クリヨン他大きなホテルは、豪華なバンケットルームを持っているようです。やはりパーティに用いられるのではないでしょうか。もっとも、私はヨーロッパでもそんなホテルには縁がありませんから、実際に見たことはないのですが。

が「ナイス!」と言っています。
ヴェネツィア
わたりむつこ・文、中谷千代子・絵。今まで知らなかったのだが、いちごが赤いのはちいさなおばあさんが、誰にも気づかれないうちにこっそりと赤く染めていたからだった。ある年、気候異変でいつもよりも早くいちごが成熟しはじめて…。動物たちは声を上げるが、おばあさんは終始無言。それがまたいいのだ。絵も動物たちの若干の擬人化とおばあさんの身長比以外はリアルでありながら、メルヘン風味が加えられている。なごみ系絵本。
シングルモルト
2025/04/16 12:44

「そうかー、おばあさんが塗ってたんだ」と納得し、せっせと働いた後眠ってしまうおばあさんを心配しながら読んだ記憶があります。懐かしいですね。

ヴェネツィア
2025/04/16 16:31

シングルモルトさんもこの作品が幼児の記憶と重なるのですね。それはきっと甘やかな記憶でしょう。

が「ナイス!」と言っています。
ヴェネツィア
著者の中島智章氏は建築家・工学院大学建築学部教授。本書は手軽に入手できるが、内容はなかなかに周到で初期のキリスト教会建築から現代までを、実に要領よく、かつそれぞれの建築様式がよくわかるように述べられている。また、写真も効果的だ。ビザンツ建築を代表するノハラヴェンナのサン・ヴィターレ教会堂からはじまって、ロマネスクの聖堂(シュパイヤー大聖堂他)へ。そしてゴシック(ミラノのドゥオモなど)、ルネサンス(フィレンツェのドゥオモ)、ベルニーニとボッロミーニのバロック(サン・ピエトロ寺院などローマにはいくつも)⇒
ヴェネツィア
2025/04/15 16:49

⇒また、プロテスタントの教会堂もちゃんと押さえられている。バッハがカントールを務めていたザンクト・トーマス教会(ライプツィヒ)などがそうだ。

が「ナイス!」と言っています。
ヴェネツィア
最も驚いたのは、往年の少女漫画界では実にたくさんの人たちが互いに稠密な関係を築いていたこと。萩尾望都に竹宮恵子、山岸涼子に木原敏江。彼女たちが大泉という狭い空間に犇めいていた。そこは実に少女漫画ファン垂涎の地だったのである。また、そうであっただっけに、それぞれの人たちの希望や羨望といった感情が渦巻く世界でもあったようだ。萩尾望都は今、それを回想する。巷間話題になった竹宮恵子との確執云々の真相は、おそらくは萩尾望都の述べている通りだったのだろう。もっとも、私は萩尾望都の大ファンであるからして⇒
しましま
2025/04/16 17:02

横レス誠に申し訳ありません!🙇え~、私は「大泉」→「ジルベール」の順で読んだのですが、正直「ジルベール」の読後感は、たいそう胸糞が悪い、としか言えないものでした。何と言いますか、『竹宮惠子物語(or劇場)』といった感じで、いわばサクセスストーリーに著者が自己陶酔している感じが強く、それでいながら萩尾さんに対する糾弾の件について皆目触れていないですしね…😨粉飾・盛り過ぎにもほどがある、としか(我ながら言葉が過ぎますが)思えなくて仕方ありませんでした…勝手かつヒドいことばかり並べ立ててゴメンナサイ🙇

ヴェネツィア
2025/04/16 17:05

しましまさん、こちらを先に読んだ場合はそうなるでしょうね。私はジルベールを読むつもりはないのですが。

が「ナイス!」と言っています。
ヴェネツィア
よしのゆうすけ・作。写真絵本。「お父さんと海にやってきた」にはじまり、スノーケリングで磯の生物を観察する。撮影地は不明だが生物相は結構厚いし、水も綺麗だ。潮溜まりにいたのは、カエルウオ。そしてイトマキヒトデ、タコノマクラといろんなものが見つかる。一番美しいのはウミウシだろう。この後はどうやら少し沖合に出るようで、タコやトラウツボなども。スノーケリングへのお誘いだが、実際に試せるのは小学校高学年くらいからだろうか。かつて意外に思ったのは、あの荒俣宏の趣味もシュノーケリングだったこと。
fragro
2025/04/15 09:14

あの荒俣宏の「意外でない趣味のイメージ」に興味津々です。

ヴェネツィア
2025/04/15 11:14

fragro3、荒俣宏の体型と雰囲気からは、シュノーケリングとは結びつきません。

が「ナイス!」と言っています。
ヴェネツィア
プロローグ以外は久志と千佳が交互に語りを担当する。彼らは、仲間たちととも20数年前、高校最後の文化祭で大きなオオルリのタペストリーを作った。そんな彼らが45歳になった今、再び集まる。語りは現在を中心に進行するが、そこに20数年前の過去が時として影を落とす。そして、物語は終局に向かって徐々に加速してゆく。エンディングはなかなかに感動的だ。ちょっと重松清に似ていなくもない。あえて言えば、重松から浪花節っぽさを剥ぎ取り、代わりに天文学でソフィスティケイトさせたといった感じか。そして全編を貫流するオオルリの⇒
spree
2025/04/18 09:46

いつもそこにいらっしゃるヴェネツィアさん(笑)、ありがとうございます。簡素な言葉しか出せない私に「ナイス」はもったいなく恐縮しております。

ヴェネツィア
2025/04/18 14:32

spreeさん、確かにタペストリーが校舎の壁にかかった時は、一同感無量だったことでしょう。

が「ナイス!」と言っています。
ヴェネツィア
監修者の八木幸二氏の言葉にもあるが、アメリカの家のキー・ワードは「多様性」だろう。そもそも気候・風土が多様性に富んでいる上に、歩んできた歴史が永くないとはいえ、これまた重層的であった。したがって住宅も、コロニアル様式あり、イギリ ス風のジョージア様式もあり、オランダ風あり、スパニッシュもありといった具合である。ごく初期の17世紀の建物も残っており、これらは簡素ながらも重厚さも備えた木組みである。また、南部のジョージアンは「風とともに去りぬ」で描かれたような堂々たる邸宅。そして、ハリウッ ド⇒
ヴェネツィア
2025/04/14 10:25

⇒あたりの好みはスパニッシュ・ミッション風である。残念ながら、ヨーロッパのように街全体が17世紀や18世紀のままといった所はないが、ヴァージニアあたりにはそれ相応に古い街並みも残している。

が「ナイス!」と言っています。
ヴェネツィア
たにむらのりあき・作。真夜中にひっそりと開く、もののけ食堂「うらめしや」。今夜もたくさんのお客がやってきて…。「うらめしや」だけから着想されたような、安直な構想のような気がする。絵は、表紙見開きと食堂の内部全景が描かれる時は浮世絵に見られるようなタイプの遠近法。後はお化けと食べ物のズームアップ。お化けとあって、子どもたちは喜ぶのかも知れないが、私はあまり好きになれない絵。絵に品がないのだ。
が「ナイス!」と言っています。
ヴェネツィア
初出誌は、昭和17(1942)年1月「新潮」。太宰33歳。或る詩人が太宰に語ったことになっているが、これは言うまでもなく太宰が自分自身に戯画的に語ったもの。自分で書きながら、逐一さぞ耳が痛かったことだろう。いわば韜晦の極みなのだが、実はそれほど深刻な状況にはない。半ばはふざけているのだから。ここには「家庭の幸福」という言葉が出てくるが、これは後年の『ヴィヨンの妻』(昭和25年)で「家庭の幸福、諸悪の根源」として再登場する。これを書いた時には、もっと深刻だった。
が「ナイス!」と言っています。
ヴェネツィア
リーバス警部シリーズの第9作目。一応は独立した作品になっているが、これまでの経緯を知らないとわかりにくい部分もあるようだ。舞台はギャングたちが蠢くエディンバラ。リーバスの直接担当する案件は、ナチスの残党と思しきリンツの捜査なのだが、2つの相争うギャング団、愛娘サミーのひき逃げ、自身への殺人の疑惑などと、これでもかというくらいたくさんの事柄に同時に関わっている。一つの事件の謎を追うといった、およそ単線的なミステリーとは根底的に違った、いわゆる警察小説であう。その意味でのリアリティはあるのだが、物語の終盤に⇒
ヴェネツィア
2025/04/13 15:34

⇒なって、バタバタと終息させるのはいかがなものかと思う。登場人物も不必要なくらいに多い。反目するギャング団のそれぞれに、日本のヤクザやチチェンのギャングまで登場するのである。また、タイトルも前作が『黒と青』といったシンボリックなものであったのに対して、本作が『首吊りの庭』(”HANGING GARDEN")などという猟奇的なものになっていて、これもあまり賛成できない。【ガーディアン必読】451/1000。

が「ナイス!」と言っています。
ヴェネツィア
3つのお話からなる。最初の「メメンとモリとちいさいおさら」は、人生の意味をあれこれと考えるもの。でも、最後は無常観でthe end。次の「ゆきだるま」は、「だれかのために。ボクのために」といった、いわば「奉仕の精神」を問うもの。そして最後の「つまんないえいが」は、再び生き物が生きることの意味を考えるのだが、最後は肩透かしに終わる。「メメントモリ」(memento mori)は、もちろんラテン語の成句で「死を思え」の意。古くはポンペイの絵にもあるし、中世、ルネサンス絵画にも頻出するテーマ。この作品も日常化⇒
ヴェネツィア
2025/04/19 10:30

Himekoさん、おはようございます。Himekoさんは感想で「この先何回でも手に取るだろう」と書かれていましたね。この週末でリフレッシュできるといいのですが。

Himeko is not cat
2025/04/19 12:05

ありがとうございます!近頃、本や読書メーターのおかげでマイナス過ぎる思考が改善されてきたような気がするんです。リフレッシュして元気だします😊

が「ナイス!」と言っています。
ヴェネツィア
富安陽子・文、南伸坊・絵。主人公はタコやん。「ノタコラ ペタコラ」といったオノマトペと、タコやんの「それほどでも」の繰り返しギャグが信条のお話。なんだか大阪っぽいけれど、作者は東京生まれ。絵は南伸坊独特の丸いもの。タコやんにピッタリだ。線画に彩色だが、タッチはいつもの結構ラフなもの。なんてことのない絵本といえばそうだが、しみじみとした味わいがなくもない。子どもたちにはうけるような気がする。
が「ナイス!」と言っています。
ヴェネツィア
初出誌は「婦人画報」昭和15(1940)年1月。これも小説なのか、エッセイなのか判別し難い1篇だが、エッセイに分類した。タイトル通り、太宰が自身の3人の兄たち3人を語る。長兄(戸籍上は3男だが上の2人は早世)の文治は県会議員から衆議院議員になった人物。実質的な津島家の長男としての責任を一応全うした。議員の兄と無頼派の弟(修治=太宰)の間で随分苦労があったようだが、この作品中での記述は一番少ない。そして最も記述の多いのが3男の圭治。太宰と最も年齢が近かったので特に親近感があったのだろう。
が「ナイス!」と言っています。
ヴェネツィア
著者の萩原健太郎は、ライター、フォトグラファー。領域はもっぱら北欧専門。本書は、北欧の事物のあれこれをアルファベット順に事典形式で綴ったフォト・エッセイ。普通名詞も固有名詞も区別なく併記される。項目も、その中で何を選ぶかも恣意的である。また一口に北欧とはいっても、ノルウェーとデンマークではかなり違いも大きいと思われるのだが、ここでは一括して北欧である。確かにその利点もあって、統体としての北欧というイメージがなくはない。また、著者の思い入れ故か、何事によらずデンマークに手厚いように思われる。
ヴェネツィア
2025/04/12 14:56

写真は北欧らしい透明感が表現されていて美しい。ただ、どんな読者が想定されているのかは不明である。北欧好き?

が「ナイス!」と言っています。
ヴェネツィア
『女二人のニューギニア』を読んだ時には、あの有吉佐和子がどうしてまたと驚いた。その頃は有吉佐和子といえば『紀ノ川』や『華岡青洲の妻』くらいしか読んだことがなかったので、何時も和服を着ているようなイメージを持っていたのである。今回、これを読んで有吉はとっても活発でモダーンな才媛であることがよくわかった。サラ・ローレンス・カレッジへの留学や海外での講演活動なども初めて知ったような次第。また、様々なジャンルの演劇との関わりもそうである。これも知らなかったことで、是非とも有吉の戯曲も読んでみたいものである。
ヴェネツィア
2025/04/12 10:27

表紙写真が、どうやら私の知らなかった実像の有吉佐和子であるようだ。このところの再評価はうれしい限り。

が「ナイス!」と言っています。
ヴェネツィア
シリーズの第2弾。今回はねこたちがコロッケのお店を開く。「きょうもコロッケ、あすもコロッケ」の歌は遥か昔に聴いた覚えが…。とりの丸焼きを熱望していたところにやってきたのが、あほうどり。ここからの展開は『注文の多い料理店』からの着想か。「11わあっ」というあたりは、読み聞かせでも喜ばれそうだ。絵の効用を大いに活かしている場面だ。いつものほのぼのタッチの絵。
元気伊勢子
2025/04/12 08:29

おはようございます🌞懐かしいです。保育園にありました。

ヴェネツィア
2025/04/12 08:32

元気伊勢子さん、おはようございます。私も懐かしかったです。

が「ナイス!」と言っています。
ヴェネツィア
初出誌は昭和12(1937)年の「若草」。太宰28歳。「こんな話を聞いた」にはじまる3つのエピソードが語られる。この語りのスタイルは漱石の『夢十夜』を意識したものかと思われる。最初の禁酒を誓った男の話が俳優の岡田時彦のことだと述べていることからすれば、どうやら3話とも実話であるようだ。それぞれに、たしかに「あさまし」くもあり、当該の人物たちは「恥」を強く自覚したであろう。太宰は、これを枕に「破廉恥の市井売文の徒、あさましとも、はずかし」き自己に向けて見せるのである。そして、それこそが「あさましき」こと。
が「ナイス!」と言っています。
ヴェネツィア
横尾忠則は、絵画でもたくさんのY字路を描いているし(Y字路画集もある)写真でも東京中のY字路を撮っている。こうして撮り貯められたY字路の写真が、画集の素材になっているようだ。ここには東京23区すべてから集められたY字路の写真がある(雑誌「東京人」に連載)。こうして見ると、実に様々なタイプのY字路があるものだ。中には、両側が路地様で、強い生活空間を感じさせるものもある。時間的には多くが夜だし、そうでなければ払暁のものが圧倒的に多い。それは、写真に人が入らないようにするためであったらしい。
ヴェネツィア
2025/04/11 16:17

横尾忠則の、このY字路に対する偏愛ぶりは傍目にはあきらかに常軌を逸しているようにさえ見える。また、それでこそ芸術家なのだ、という気もする。彼は画集と写真集でY字路を極め、その後は偏愛ぶりからは解放されたそうだ。

が「ナイス!」と言っています。
ヴェネツィア
著者の中村哲夫はグラフィック・デザイナー、旅行作家。巻頭は北海道庁旧本庁舎。赤煉瓦の堂々とした建築物である。次いでは豊平館。こちらは、ホテルとあって白い木造の瀟洒な建物。「美麗ナル西洋館ニシテ恰モ東京ノ鹿鳴館の如シ」と評されている。そして、札幌の時計台も当然登場する。北から順に明治・大正期の建築をたどるのだが、これまで知らなかったものがあったりして、今後訪ねる上で有用である。京都にはかなりたくさんの明治・大正建築があって、かつてよく散策したのだが、不思議なことに本書は京都を欠いている。その意図は全く不明。
ヴェネツィア
2025/04/11 11:25

未だ行ったことがない建物で、ぜひ見てみたいと思わせるもの多数。天鏡閣(福島県)、旧中込学校(長野県)、門司港レトロ街、堂崎天主堂など。そういえば、明治村の建築物も取り上げられていない。

が「ナイス!」と言っています。
ヴェネツィア
絵はイギリスのイラストレーター・絵本画家のニコラ・ベーリー。これが彼女のデビュー作だが、世界的に脚光を浴びたらしい。たしかに細部まで実に丁寧に描き込まれており、しかもそこに幻想的な空間が立ち上がる絵だ。訳文はゆらきみよし(由良君美)のものだが、これがなんとも素晴らしく(一見したところでは普通に見えるのだが)"NURSERY RHYMES"の躍動感をよく伝えている(巻末には原文も)。マザーグースのファン、イギリス文学の愛好家に強推薦!
ヴェネツィア
2025/04/11 11:03

宵待草さん、おはようございます。宵待草さんの日常ってなんだか優雅ですね。

宵待草
2025/04/11 11:14

追伸 優雅と云うより、食べるの大好き!、、、食いしん坊!とも言いますね!🤭 宵待草

が「ナイス!」と言っています。
ヴェネツィア
初出は「新思潮」昭和22(1947)年7月。太宰38歳。これもいつもの太宰らしい韜晦もなく、明るいタッチの作品である。執筆の仕事も順調にはかどっていたのだろう。なにしろ「秘密の仕事部屋」まで持っていたのだから。この作品全体をフィクションと考えることもできるが、おそらくはほぼ事実だったのではないだろうか。ただし、最後のくだりを除いては。もっとも、その最後こそが作品のよって立つところであり、タイトルの由来でもあるのだが。いわゆる「オチをつける」といったような終わ方になっているのだが、それこそがまさに健康な⇒
ヴェネツィア
2025/04/10 15:48

⇒すなわち、生の苦悩に苛まれていない太宰を示しているだろう。なお、この作品も分類に迷ったが、こちらは小説に入れた。

が「ナイス!」と言っています。
ヴェネツィア
著者の大川玲子氏はイスラーム学の研究者。本書の写真の大半も著者自身によるもの。クルアーン(コーラン)の写本の変遷史を語るのだが、同時に本書はクルアーンそのものの入門書的な要素も持っている。クルアーン写本は初期のクーフィー体にはじまり、ナスフ体など、ここには8つの書体が美麗な文字と独特の装飾を施されて展開される。周知のように、イスラームでは偶像崇拝を厳格に否定しているために、これらの写本には具象的な絵がない。聖書の写本との大きな違いだ。その代わりもあって、文字そのものの美しさが追求されてきたのだろう。
ヴェネツィア
2025/04/10 14:57

あとがきによれば、本書は日本ではほとんど唯一のクルアーン写本に関する書物のようだ。ただし、著者の本来の専門はクルアーン解釈の思想研究である。手軽に読める資料として、貴重なもの。

が「ナイス!」と言っています。
ヴェネツィア
著者の矢ヶ崎紀子氏は、東洋大学国際観光学部准教授(2017年当時)。8年前の出版なので、用いられているデータ2015年〜2017年あたりのもの。この間にインバウンド事情も大きく変容している。ここでは、もっぱらいかにインバウンドを増やす かに力点が置かれているが、現在はそれとともにオーバーツーリズムの問題が世界的に浮上してきている。ことほどさように、インバウンドの周辺は変化が大きいということなのだろう。本書はデータを駆使しての論考なのだが、文体や考察のあり方がお役所的なのが読み物としての大きな欠点だろう。⇒
ヴェネツィア
2025/04/10 11:01

⇒観光学部の教科書として書かれたようだが、授業に際しては、こうしたデータについては新たなものが用いられているのだろう。面白みを欠くとは書いたが、Column欄は興味深いものだった。

が「ナイス!」と言っています。
ヴェネツィア
ネタバレ西内ミナミ・文、堀内誠一・絵。主人公はぞうの「ぐるんぱ」。仲間たちみんなに身体を綺麗に洗ってもらって、働くことに。最初はビスケット屋さん、次いではお皿つくり、それから靴屋さん、まだまだピアノ工場、さらに自動車工場。どこでも、ぐるんぱの作るものはぞうサイズ。大きすぎて追い出されてしまう。最後にたどり着いたのは幼稚園。ここでは初めて子どもたちに大歓迎されてメデタシメデタシ…というお話。絵は明快で幼児にもわかりやすいフォルム。カラーもビビッドになり過ぎず、適度な色合い。子ども園向きか。
が「ナイス!」と言っています。
ヴェネツィア
初出は昭和16(1941)年1月「月刊東奥」。太宰32歳。中学の4年間を過ごした青森の町を回想する。思い出の中心は豊田の亡くなった「お父(ど)さ」。「私が多少でもいい仕事をしてお父さに喜んでもらいたかった」との思いを綴るが、そこにはいかにも太宰らしい含羞が感じられる。中学2年の時に、太宰が当時1枚2円で買ってお父さにあげた棟方志功の絵が今では百円以上になっている。志功初期の名画を見抜いた自身の慧眼を語るのだが、これも自慢と言うのでもないのだろう。太宰の幸福であった時期の回想である。
ヴェネツィア
2025/04/09 17:41

分類を小説にしようかエッセイにしようか迷ったのだが、韜晦が全く見られないところから、結局エッセイに入れることにした。

が「ナイス!」と言っています。
ヴェネツィア
ほとんどがひらがなの文体で描かれているので(ことに物語の終盤は)『アルジャーノンに花束を』を思わせる。物語の構想は、SFの形態をとってはいるが、本質はかならずしもそこにはない。語り手の「わたし」の圧倒的なまでの孤独と、自分自身にも理由のわからない疎外にこそ主題が求められるだろう。そのことは生きていることの意味の喪失と言い換えることもできるだろう。そうした「わたし」が持つ唯一つの生きていることのアイデンティティが「じんせいでたったひとつでいいから、わたしはまちがってなかったとおもうことをしたい」であった。
ヴェネツィア
2025/04/09 16:54

「じんせいでたったひとつでいいから…」は、作中でも語られているように、映画"The Whale"の中のセリフ"I need to know that I have done one thing right with my life"なのだが、この作品はここから着想されて物語が生まれていったのだろうか。

ヴェネツィア
2025/04/09 16:56

エンディングは哀切に響き、読者を共感に引きずり込む。

が「ナイス!」と言っています。
ヴェネツィア
本書はシリーズ第1巻。イングランドを中心にスコットランド、ウェールズ、アイルランドと後はやや付け足し程度にノルウェーとスウェーデンの家が紹介されている。それにしても、ここに登場するイングランドの民家はいずれも立派、かつ趣きに富んでいる。中には表紙写真(ストーク・オン・トレント近郊のリトル・モートン・ホール)のような文化財級の家も。また、カースル・クームのように町中がアンティークそのものといった集落(コッツウォルズには他にもたくさんあるのだが)も。スコットランドでは、気候も厳しく家の立派さもイングランド⇒
ヴェネツィア
2025/04/09 10:39

⇒に比べると、やや落ちるという感じか。ウェールズでは装飾も少なくなり、これがさらに簡素な街並みになるようだ。

が「ナイス!」と言っています。
ヴェネツィア
ヨシタケシンスケはまだ3冊目だが、これまでの2冊に比べると、「つまんない」とまでは言わないが、面白さの程度が幾分か落ちるようだ。それは何故ゆえか?思うに、想像力の飛躍が日常の域に留まっているからではないか。この人の絵本が面白いのは、一つの素材から発して、想像が(時には妄想が)次々と展開し、それが果てしもなく連鎖して行くところにあるからだ。その意味において、本書の空想世界は狭いままに終始してしまうのである。
Fe
2025/04/09 09:15

『もうぬげない』ブロンズ新社  2015.10  『なつみはなんにでもなれる』PHP研究所 2016.12  『おしっこちょっぴりもれたろう』PHP研究所 2018.6 も、ぜじょどうぞ。

ヴェネツィア
2025/04/09 09:26

Feさん、お薦めありがとうございます。おいおい読んで行きたいと思っています。

が「ナイス!」と言っています。
ヴェネツィア
初出誌および発表年月日は不明だが、おそらくは昭和19(1944)年頃ではあるまいか。もう少し早いかも知れないが、それにしても戦局は予断を許さない状況だっただろう。「軍人援護朗話」との求めに応じて書かれたようだ。ただ、ここで主題を背負うのは、明らかに初々しくも健気な18歳の花嫁である。見合いの後、準備も整わないままに結婚式を挙げ、翌日の夜には花婿は戦地へ。彼女は「その日から彼の年老いた両親に仕えるのである」。これを悲惨だなどと言うべきではない。幸福感のなんと相対的であることか。
が「ナイス!」と言っています。
ヴェネツィア
石津ちひろ・文、村上康成・絵。お話はいたってシンプル。男の子と女の子がお爺ちゃん+犬のタロと一緒にイモ掘りに行って、それを食べて幸せというもの。文の生命はふんだんに散りばめられたオノマトペだろう。絵もまた、軽快な文に呼応して余白を大きく取って伸び伸びとしたタッチで描かれている。季節が合えば、読み聞かせにも身が入りそうだ。
ガーネット
2025/04/08 17:33

まだ、うちの近所は、寒い季節になると、軽トラで回ってはりますよ(о´∀`о)

ヴェネツィア
2025/04/08 17:41

ガーネットさん、いいですねえ。冬が実感できます。

が「ナイス!」と言っています。
ヴェネツィア
わかる人にはモデルは自明である。もちろん、桐野夏生はそのことを重々承知の上で、それでもあえてフィクションの体裁をとっている。かつて1970年代に活動した「中ピ連」(本書では「ピ解同」)の代表であった榎美沙子(塙玲衣子)を16人の証言から描き出そうとする試みである。桐野の狙いが何であったのかはわからないが、少なくてもあの時期に榎(塙)がなそうとしたことの意味を今、この時点で問い直そうとするものではあっただろう。榎は毀誉褒貶が激しいが(そのほとんどは貶し、戯画化して貶めるものであった)堕天使となった彼女を⇒
ヴェネツィア
2025/04/08 16:28

⇒再浮上させることには成功しただろう。小説は一貫して哀しみのトーンを纏うのだが。桐野はここではかつての臨場感のある激しい文体を採用しない。回想であり、やさしさに向かうかのようだ。

ヴェネツィア
2025/04/08 16:34

榎美沙子さん(塙)のその後はわからないし、生死もとうとう不明だが、ご存命であれば御年80歳である。

が「ナイス!」と言っています。
ヴェネツィア
初出は昭和20(1945)年11月「新生日本」。この時、織田作は32歳だが、戦争に対してはそお渦中にあったとは思えない醒めようである。結核であったがゆえに戦地には行かないで済んだようで、戦中も作家活動を続けていた。本篇は出口王仁三郎の「昭和20年八月二十日には、世界の大変動が起きる」との予言を巡っての感慨を述べたエッセイといった趣きだが、戦争の終結を告げる玉音放送にしても淡々と受け止めている。戦後に急展開したマスコミにも当然のことながら冷ややかである。織田作らしい態度というべきか。
が「ナイス!」と言っています。
ヴェネツィア
キャシー・ヘンダソン 再話、ジェイン・レイ 絵。元はシュメールの伝承物語。ルガルバンダは、あのギルガメシュの父。したがって内容的には『ギルガメシュ』よりも古いということになるのだが、実証的にはどうなのだろう。約5000年前の物語である。ルガルバンダは、エンメルカル王から王位を継承するのだが、その際にウルクの女神イナンナの助けと、仲介者アンズー鳥の守護といった神性を付与されるのである。英雄物語でありながら、ルガルバンダが戦において獅子奮迅の働きをするわけではないところが面白い。ルガルバンダの偉大さよりも、⇒
ヴェネツィア
2025/04/07 17:08

⇒イナンナのウルクの守護神としての物語の方に意味があったのか。なお、本来のルガルバンダの物語は別々の2つの詩に詠われていたものを編者がこういう形に再編したようだ。

が「ナイス!」と言っています。
ヴェネツィア
5つの作品からなる短篇集。地球の中心にある核、クジラ、鳩、珪藻、ジェット気流をそれぞれの題材として展開する物語。同様の短篇集『月まで三キロ』にしてもそうだが、伊与原新の描く世界は、そうした物語の核となる部分の目新しさが目立つが、実は作家の人間観察の確かさ、そして誰もが本質的に持っている人間存在としての哀しさをこそが描かれている。それは、実にさりげなく潜ませるような方法で。そして、それを支えるのが優しさに満ちた彼の文体にほかならない。さらに言えば、人間の持つ哀しさや儚さは、そうした悠久のものと対峙した時に⇒
ヴェネツィア
2025/04/07 12:50

⇒初めて浮かび上がってくるものである。その意味では、そのことを端的に物語化した「十万年の西風」が篇中のベストか。いやいや巻頭に置かれた「八月の銀の雪」の方がとの声も聞こえてきそうだ。つまるところ、いずれもさりげなく心にしみ通る名篇である。お薦め。

marsan
2025/04/14 09:22

ナイスありがとうございます😊

が「ナイス!」と言っています。
ヴェネツィア
柴田ケイコ・作。「パンどろぼう」はシリーズの1冊だが、それと知らずにこれから読んだために、なぜパンどろぼうと呼ばれているのかがわからない。この巻はヤギのおばあちゃんの依頼でメロンパンを孫のところに届けるべくこぶたさんに専用車「ほっかほっカー」を造ってもらうというお話。絵は絵の具をベッタリと塗る技法。人気のシリーズのようだが、主人公のパンどろぼうの絵を含めて、残念ながら私はあまり好きになれそうもない。
ヴェネツィア
2025/04/08 10:42

みのにゃーさん、どうも子どもたちには人気のようですね。私には何がいいのかよくわからないのですが。第1巻を読めば、パンどろぼうの由来も明らかになりそうです。

みのにゃー
2025/04/09 11:26

何回読んでも同じところで大ウケです。

が「ナイス!」と言っています。
ヴェネツィア
初出は昭和21(1946)年10月、大阪毎日新聞。どこかのエッセイに織田作が、自分は小説を書くときは書き出しからもうオチを考えていたりすると述べていたが、これなどはまさにそれ。しかも、小咄風だ。描かれている宮枝はもうさんざん。今ならこのままではとても新聞に掲載されることはなさそうだ。この時代はこれでも通っていたのだ。なにしろ無頼派の織田作だからと。それにしてもやっつけ仕事のような作品だ。締め切りに追われて苦し紛れ?それなら、太宰の『鉄面皮』の方がよほど可愛げがある。
が「ナイス!」と言っています。
ヴェネツィア
著者のイェワン・クーンは香港大学芸術学部准教授。中国、日本の美術、建築が専門。コンテンポラリー・アートの評論でも活躍。本書は、奈良美智の伝記、奈良美智研究である。奈良の絵を多数収録。評伝によれば、奈良の出発点は音楽にあったとはいうものの、愛知県立藝大およびデュッセルドルフ芸術アカデミーで美術を学び、着々と地歩を固めていた。ごく初期の絵はシャガール風であったりするが、奈良美智独特の頭の大きな少女のスタイルが現れてくるのは1991年の"The Girl with the Knife in Her Hand"⇒
ヴェネツィア
2025/04/06 15:53

⇒が最初のようだ。そして、ここから後はほぼ今のスタイルが確立する。そして奈良美智のあの犬は1994年の《望郷DOG》から。クーンは2001年を奈良のターニングポイントと見ている。いずれにしても、こんなにたくさんの奈良美智をまとめて見たのは初めて。奈良美智ファンには必見!

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ヴェネツィア
五味太郎の本。知らなかったのだが、この人の著作は300冊を超えているらしい。しかも、世界の各国語で翻訳された絵本も40数冊、12ヵ国に及ぶとか。さて、本書は「幸せになりたい」を実現する研究である。教材は「シンデレラ」、「ウサギトカメ」、「アリとキリギリス」、「赤ずきんちゃん」である。もちろん、各ページにふんだ んな挿絵入り。残念ながらモノクロームだけど。内実は五味太郎がかなり主観的に、しかも好き放題に脱線しながら書いた「しあわせ」エッセイ。結論は「しあわせ」についていろいろ考えたりするのは、しあわせ。
元気伊勢子
2025/04/06 14:22

こんにちは。保育園に五味太郎さんの絵本がありました。五味太郎さんの絵は、茶色が印象に残っているという認識しかないですが、エッセイも描いてらしてたんですね。横レス失礼致します。

ヴェネツィア
2025/04/06 14:29

元気伊勢子さん、私もこの人のエッセイは初めて読みました。やはり絵本の方が向いていそうです。

が「ナイス!」と言っています。
ヴェネツィア
マイク・サーラー・文、ジェリー・ジョイナー・絵。ぼうやが、輪ゴムがどこまで伸びるか試してみたら…という大きな大きなホラ話。アメリカン・テイストな絵がいい。バスも貨車も飛行機も舟もみんなアメリカン。1974年初版なので、豊かなアメリカが大きく揺らぎ始めたあたり。その意味ではアメリカの人たちにとっても郷愁のアメリカなのだろう。
が「ナイス!」と言っています。
ヴェネツィア
著者の鈴木克美氏は東京水産大学を卒業した後、江ノ島水族館、金沢水族館、そして東海大学海洋科学博物館の館長を務めた人。1934年生まれなので、水族館も今とは違い、黎明期ではないまでも、試行錯誤の連続だったようだ。そのあたりの苦労や工夫の数々を綴ったのが本書。文体は回想記風だが、内容と相俟って面白く読める。また、この人が切り開いた分野の大きかったこともよくわかる。金沢水族館での日本海の魚のスター探しなど、展示する側からの水族館を知ることができる。
ヴェネツィア
2025/04/05 16:42

私は動物園もそうだが、水族館も大好き。これまでにいろいろなところの水族館に行ったが、入場料がいささか高いのが玉に瑕。でも、この本を読むと、それもいたしかたないかと。

が「ナイス!」と言っています。
ヴェネツィア
著者のジャンニ・A・サルコーネは視覚芸術家、研究者。本書は、さまざまなタイプのトロンプルイユ(騙し絵)を提示し、読者に啓発する試み。表紙の絵のように直ちにそれとわかるものもあれば、絵を回転させることで現れてくる類のものなども。また、ジャンルの上からも、名高いヤン・ファン・エイクの「アルノルフィーニ夫妻像」やベラスケスの「ラス・メニーナス」のような古典的名画から、現代のポップアートやデザイン、あるいは写真などと実に多彩である。たしかに面白いのだが、これで瞠目したり、刮目するということもまたないと思われる。
が「ナイス!」と言っています。
ヴェネツィア
タイトルからはトーヴェ・ヤンソンの評伝を想像するが、内容的にはムーミンに纏わる話題のあれこれをヤンソンの絵とともに紹介するもの。巻頭は「白と黒のユートピア」。カラーのムーミンもいいが、たしかにこうして見ると、ムーミンの原点はモノクロームにこそあるようだ。「はじまりと終りの秘密」では、Q&Aでムーミンに関わる様々なエピソードが語られる。ムーミン=フィンランド語のイメージを持ちがちだが実は原語はスウェーデン語。そして、ヤンソンの画家としてのデビューはなんと 14歳。15歳からは政治風刺雑誌「ガルム」の挿絵を⇒
ヴェネツィア
2025/04/05 11:10

⇒を担当した。意外にもムーミンの第一作は遅くて、31歳の時。本書にはムーミン以前の絵も多数紹介されており、またヤンソンのアトリエの写真なども。ムーミンのファンは必見、必読である。ムーミン・ファンには強推薦!

が「ナイス!」と言っています。
ヴェネツィア
ショーン・タン 作。ショーン・タンにしてはやや饒舌か。17年ゼミの苦難と旅立ちを人間社会の中で擬人化させて描く。黙々と耐え続けるセミは哀愁を誘う。饒舌だとは言ったが、セミは一言も発することがなかった。静謐の中にただ「トゥクトゥク」と呟くことで、生の意味を語るのだ。最後の赤一色の成虫の姿は鮮やかではあるものの、何か禍々しさも漂う。生きていることは、それ自体が奇跡であるとともに、罪でもあるとの隠喩だろうか。
yomineko@鬼畜ヴィタリにゃん🎄🎅🎄
2025/04/05 09:26

ヴェネツィアさん、おはようございます😊土曜日なのにうっかり仕事していました(笑)読みたい本に登録させて頂きました📚他にも色々と書いておられるんですね✨

ヴェネツィア
2025/04/05 10:47

yominekoさん、おはようございます。ショーン・タンはどの作品もいいですよ。お薦め!

が「ナイス!」と言っています。
ヴェネツィア
この巻は宮城、山形、福島の3県。いずれも東北の中では私にも比較的馴染みのある県。ただ、ここに紹介されているような伝統料理(郷土料理)にはお目にかかったことはないが。宮城だけをとっても、仙台平野と三陸南海岸では気候風土も違い、必然的に料理の素材にも大きな差が生じる。カラーページの最後に、それぞれの地域のお雑煮が紹介されているが、いずれも垂涎もの。山形になると、東北色が濃くなるように見える。山形もまた庄内地方は海に面しているが、山形らしさということでは内陸部に焦点があたるからだろう。⇒
ヴェネツィア
2025/04/04 17:28

⇒福島もまた一筋縄ではいかない。会津、浜通り、中通りのそれぞれが特色を持っているからである。本書で目につくのは餅ときのこ・山菜に彩られた食文化だ。

が「ナイス!」と言っています。
ヴェネツィア
タイトルは「パンデミック」と「ツミ」の合成による造語だろう。6つの短篇から成るが、いずれもがコロナ禍の渦中の物語である。ただ、最後の「さざなみドライブ」だけは、ピークを過ぎた頃を描く。ホラーというわけではないが、これまたいずれの作品も、それぞれの登場人物の中に潜む魔的なるものの存在を前提に成立する。すなわち、コロナといった非日常が日頃は潜在化にあったものを炙り出し、日常に浮上させるのである。発表誌も「小説宝石」であり、通俗性は否めないが、それでも「祝福の歌」の終りあたりでは、ついつい涙腺が緩みそうになる。
ヴェネツィア
2025/04/04 16:46

本書は第171回(2024年上半期)直木賞受賞作。他の候補作、青崎有吾『地雷グリコ』、麻布競馬場『令和元年の人生ゲーム』、岩井圭也『われは熊楠』、柚木麻子『あいにくあんたのためじゃない』を抑えての受賞だった。なお、本作を最も強く押していたのは三浦しをん。

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ヴェネツィア
著者のジョン・ヘイウッドはイギリスの歴史学者・作家。著書が多数あり、ヴァイキングとケルトの権威とみなされている。ケルトは紀元前から高度な文化を持ち、現在残されている出土品等を見ても、ヨーロッパ全域にわたって広範囲に分布していたことがわかる。また、そのデザインは独特の意匠を持っている。ケルト語のルーツは大きくは2つの説があり、1つは「移動を基礎とする」もの(淵源は現在のオーストリアあたり)、またもう1つは「その土地固有のものが発達した」とするもの(こちらはドナウ流域あたり)である。現在、ケルト語および⇒
YuriL
2025/04/04 15:41

大学での専攻が古代ローマ時代のイギリスと島ケルト(スコットランド、アイルランドなど)の考古学でした。ヘイウッド氏の書籍が出版されるようになったのは、私が卒業してイギリスを出てしまった後なので、生憎これまで読んだことがなかったのですが、ぜひ読んでみたいと思います。ご紹介ありがとうございます。

ヴェネツィア
2025/04/04 15:44

YuriLさん、本書は一般向きなので、やや物足りないかも知れませんが、地図がふんだんに付されていて(とりわけU.Kは)私などには十分に興味深いものでした。

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ヴェネツィア
長谷川摂子・文、降矢奈々・絵。「あったとさ あったとさ ひろい のっぱら どまんなか きょだいな 〇〇が あったとさ」「こどもが100にん やってきて…」こういうのが10通り。このリズム感がいい。案内役を務めるのはキツネ。この空想ごっこを支えるのは降矢の絵。遠近感をうまく活かして巨大さを追想する。クッキリとしたフォルムと背景の水彩のニジミのバランスもいい感じ。読み聞かせだと、これからさらに空想を広げていくことができる。「きょだいな〇〇」とその結果をみんなで考えて楽しめそうだ。子ども園にはピッタリ。
ヴェネツィア
2025/04/04 08:00

子どもたちはやっぱり「きょだいなトイレットペーパー」が一番よろこびそうだな。次いでは「でんわ」の後半か。

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ヴェネツィア
28人の装丁のプロフェッショナルが挑む『吾輩は猫である』。最初に全体の写真。次いでは「ブックデザインのディテール」、「アイディアの源泉」、さらには装丁作家の一言、解説と続く。斬新なデザインのもの(奇抜なもの)は見当たらない。やはり、モノが『吾輩は猫である』だからか。皆さん案外にも大人しい。購買者の目からはどうか。私が選ぶとすれば、あまりにも復古調が過ぎるようにも思うが、佐々木暁のものか。あるいは、サイズは気に入らないが、祖父江慎。これまた復古色が強い。モダン派から選ぶなら松田行正だろうか。面白い試みだ。
ヴェネツィア
2025/04/03 14:16

他の本でも見てみたいところだ。例えば詩集ならランボー『地獄の季節』、散文なら三島由紀夫『金閣寺』あたり。安部公房の『砂の女』も追加。

ヴェネツィア
2025/04/03 14:19

この本の装丁が「紺屋の白袴」なのは、これまた何としたことでありましょう。

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ヴェネツィア
4つの章から成り、それぞれダンサーのJUN、叔父の稔、作曲家の七瀬が、そして最後の章はHAL自身が語る。みんなが語っているのは稀代のバレー・ダンサーであり、振り付け師でもあったHALについてである。この語りの手法はHALを多角的に浮かび上がらせ、またその造型を立体化させることでも大いに成功しているだろう。ただ、最終章のHAL自身の語りは種明かしめいてしまい、ここも別の誰かが語った方がよかったのではないかと思われる。それにしても、よくこれだけバレーに精通したものだと感心する。とりわけコンテンポラリーの持つ⇒
エル・トポ
2025/05/12 06:49

コンテンポラリーと日本の伝統芸能の親和性は私も感じています。MANSAIボレロ× notte stellata は現地で見ていて震えました。日本美術と現代アートの親和性も同じく感じています。その上でも、最終章はなかった方が良かったと思っています。ダンスに関するものではなく、恋愛と性的嗜好に関するものが殆どという印象でした。舞台表現は「見られる」事によって初めて成り立つものです。また、他の音楽の描写は詳しいのに武満徹だけは「武満徹の音楽で」としか書かれていないのが気になりました。

ヴェネツィア
2025/05/12 07:59

エル・トポさんもコンテンポラリーにお詳しいようですね。萬斎さんは様々な分野で活躍されていますし、これからも大いに楽しみです。また、武満徹については気が付きませんでした。

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ヴェネツィア
中村佑介は、CDジャケットや書籍カバー(代表的なところでは『夜は短し歩けよ乙女』)など現在、多方面で活躍中のイラストレーター。本書は2015年の刊行。いずれも色彩豊かで限りなく明るいポップアートである。この人のイラストは全体の印象を言えば、往年の少女画家の中原淳一を現代的にしたような感じだ。また、時によっては横尾忠則のポスターを思わせるものも見られるようだ。中村は1978年生まれなので、これら二人の先達との接点は全くなさそうなのだが。人気の最大のポイントはやはり少女像の造型にあるのだと思われる。
にこ
2025/04/03 15:05

中村祐介さん好きです!アジカンも好きでよく聴いております。

ヴェネツィア
2025/04/03 15:48

にこさん、かなり人気があるようですね。私はイラストはこれまでにも見たことはありましたが、中村佑介という名前は知りませんでした。

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ヴェネツィア
谷川晃一・作。この作家は初読だし、今まで知らなかったのだが、これまでに随分たくさんの絵本やエッセイを上梓している。絵は独学だそうだ。ある意味ではそれが既成の概念に捉われない独自の画風を生み出したのかも知れない。ただし、絵はアフリカン・アートに似ている。ウラパン・オコサは造語だろうが、これまたアフリカ系言語のようなリズムを持っていて、軽快かつダンサブルである。読み聞かせでも、みんなでにぎやかにウラパン・オコサと騒いで楽しめそうだ。
Johnnycake
2025/04/03 13:16

エンジニア関連の研究者団体サイトに発表された2017年の記事ですが、11ページ(このファイルでは2ページ目)の左下に二進法の数え方の例として載ってました。ここでもやはりトレス海峡の言葉として紹介されていました。https://www.tbp.org/pubs/Features/W17Klinger.pdf

ヴェネツィア
2025/04/03 13:55

Johonnycakeさん、詳しい情報をありがとうございます。トレス海峡はニューギニア島とオーストラリアの間ですね。だとすると、人口も少なそうな少数民族の言葉ということに。作者の谷川晃一はどこで見つけたのでしょうね。

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ヴェネツィア
今までに何度か目にしている影絵だが、それが藤城清治のものだとは特に意識してはこなかった。今回、初めてこうしてまとまった形で見ると、あらためてその美しさと独特の幻想性を再認することになった。藤城の影絵の美しさは、その細部の緻密さとともに、それらが全体の中で有機的な結合を見せ、不思議な幻想世界をそこに現出させるところにある。表紙に選ばれた絵「こびとの楽園」もまさにそうなのだが、本書には他にもまだまだ優れた絵が犇めいている。また、中には「猫相撲」などの微笑ましい絵も。さらにはスケッチの数々も(これがまたいい)。
ヴェネツィア
2025/04/02 17:25

また、「秋がとぶ」をサンプルに影絵の製作過程をつぶさに見せてくれているし、スケッチの描き方、影絵劇の舞台裏を公開するなど、本書の読者のためにサーヴィス精神も大いに発揮してくれている。

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ヴェネツィア
これまでタイトルを軍記物の『太平記』からとられたものと思っていたために、家庭を舞台に繰り広げられる様々な騒動(とはいっても明るいもの)をコミカルに描いた物語を想像していた。実際はフィクションのスタイルをとってはいるものの、谷崎家で働いた何人もの女性たちの物語であった。戦前、戦中、戦後と時代が変遷する中で、そんな彼女たち(複数)のあり様も変わっていく。それは同時にその時代を回想する谷崎自身の変容を写し出したものでもあったのだろう。女中からお手伝いさんへと呼び名も変わったが、彼女たちの気質や磊吉(語り手)⇒
ヴェネツィア
2025/04/02 17:04

⇒に対するあり方も隨分大きく変化を遂げてゆく。それを眺めている磊吉は、やはりどうしても谷崎その人に重なるのだが、喜寿を迎えたお祝いの席で「お開き」と目出度く終わる。晩年にいたるまで幸せな磊吉(谷崎)なのであった。

ヴェネツィア
2025/04/02 17:05

中島京子の『小さいお家』はこの作品に触発されて書かれたのではないかと、ふと思った。

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ヴェネツィア
著者のラッセル・キングはサセックス大学地理学教授。2008年の出版なので、最近のヨーロッパにおける移民問題までを視野に入れる。著者は「移住が世界の歴史そのものだ」とのスタンスに立ち、これを世界史(人類史)から概観する。巻頭は190万年前に遡るオルドヴァイ渓谷付近からのホモ・エレクトゥスの移住と拡散である。人骨の出土地からすれば、ジャワ島、周口店、トマニシにまで達している。そして、ホモ・サピエンスの大移動である。彼らがベーリング陸橋を渡ったのが2万年前、オーストラリアにはそれより早く4万年前のようだ。⇒
ヴェネツィア
2025/04/02 11:54

⇒それ以降もインド・ヨーロッパ語族の拡散やディアスポラ、ゲルマン民族の大移動、さらには近代におけるアメリカへの移住と、確かに著者の言うように人類史は移動の歴史であった。本書は図説と掲げるように、随所に移動図がありビジュアルで分かりやすい。しかも、読んでいると何だか壮大な気分になれる。

が「ナイス!」と言っています。
ヴェネツィア
たじまゆきひこ・作。原話は上方落語の桂米朝の「兵庫船・小倉船」。場面の選択の仕方が絵本というよりも、紙芝居の手法のように思える。主人公は軽業師のそうべえなのだが、そのことが十分には活かされていないようだ。また、プロットが単純な勧善懲悪なのも気になるところ。一方、絵は太い描線も色彩も力強く、ちょっと影絵風の雰囲気も持っている。
ヴェネツィア
2025/04/03 04:22

冬将軍さん、絵も紙芝居っぽいですからね。

冬将軍
2025/04/03 06:58

つくづく仰る通りです。読み手の声まで聞こえてきそう。実は先日京都国際マンガミュージアムへ行ったところ、紙芝居を上映されていたので私も車座に加わりました。他愛もない話しだったのに皆で大笑いして、水飴を挟んだセンベイまでいただきました。楽しかったですよ!

が「ナイス!」と言っています。
ヴェネツィア
初出誌および時期不明。おそらく昭和19年頃かと思われる。新婚の夜、蚊帳の中で蛍を飛ばすシーン「青い灯があえかに飛んだ」との表現は美しくもあるが、同時に儚さのイメージをも喚起する。彼の妻は蚊帳の中で見る見る痩せていき、やがて死が迫る。妻の遺言は「今度奥さんを貰う時は丈夫な奥さんを貰ってね」だったが、次の再婚相手もまた妻と同様に結核を患っていた。しかも、あろうことか町で誘われた夜の女までが。時代の影を大きく引き摺る小説である。「彼」もまた、その世相の中では抵抗を試みるべくもない。そんな諦念の漂う小説でもある。
蚊帳
が「ナイス!」と言っています。
ヴェネツィア
第2巻は「みちのくの北と南」。1999年の刊行だが、写真は古いものでは50年代だが、70年代のものが多いか。おそらくは、こうした喪われようとする風景を記録しておこうという想いが強くあったのだろう。現代との一番大きな違いは、人が「個」としてあるよりも、集団としての拠り所を持ち、祈りと願いを一つにしていたことだろう。宮古や八戸の出漁風景を見送る多くの人々の像などにはそうした想いが強く反映しているように思われる。それはまた、祈りの風景においてもそうだ。そして、もう一つの喪われた光景として、馬などの動物が人間と⇒
one_shot
2025/04/01 19:31

ある風景が失われるということは、つながりが失われるということなんですかね。腹落ちするいいレビューでした。図書館で探してみます。

ヴェネツィア
2025/04/02 02:51

one_shotさん、ありがとうございます。図書館にあるといいですね。

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ヴェネツィア
ネタバレ著者のエラ・フランシス・サンダースはイギリスのイラストレーター。まだ20代だそうだ。本書は彼女のアイディアがうまく実を結んだ結果だが、イラストがあることで世界的なベストセラーになったのだろう。中には面白い言葉がいっぱい。MERAKI(ギリシャ語)「料理など自分の魂と愛情をめいっぱい注いでいる」、KILIG「おなかの中に蝶が舞っている気分」、PISANZAPRA「バナナを食べるときの所要時間」(これってどんな時に使うのだろう?)。日本語からは「こもれび」、「ぼけっと」、「わびさび」、などが採用。お薦め!
が「ナイス!」と言っています。
ヴェネツィア
マイク・セイラー・文、ロバート・グロスマン・絵。主人公はカバである。名前はまだない。しょうぼうし、ふなのり、パイロットと次々に挑戦するのだけど、どれもうまくいかない。原因は重すぎる!から。でも「ま、ぼちぼち いこか」。今江祥智訳の大阪弁がピッタリくる。絵はフィギュアめいたカバの造型が、飄々とした風情を醸し出す。色彩感覚にも優れた絵だ。
ヴェネツィア
2025/04/02 09:55

おかさんはこんな風に飄々とした可愛いタイプなのですね。

おか
2025/04/02 10:01

はい 飄々として堂々ともしております(;^_^A(笑)

が「ナイス!」と言っています。

ユーザーデータ

読書データ

プロフィール

登録日
2011/11/30(5138日経過)
記録初日
2011/04/07(5375日経過)
読んだ本
8505冊(1日平均1.58冊)
読んだページ
1886145ページ(1日平均350ページ)
感想・レビュー
8415件(投稿率98.9%)
本棚
62棚
性別
職業
専門職
自己紹介

2011年4月からの参加で、15年目にはいりました。一番よく読んでいるのは日本文学、次いでは翻訳文学です。読むジャンルの幅は広い(半ばは意識的にそうしています)のですが、何でも手当たり次第に読むというわけではありません。特に誇れるものはありませんが、連続読書日数は初日から5263 日(2025年9月2日現在)、冊数は8098冊になりました。胃癌で入院中も、海外旅行中も毎日読んできました。さて、どこまで伸ばせることやら。

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