読書メーター KADOKAWA Group

2025年1月の読書メーターまとめ

ヴェネツィア
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123
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感想・レビュー
123
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2025年1月に読んだ本
123

2025年1月のお気に入り登録
31

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2025年1月のお気に入られ登録
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2025年1月にナイスが最も多かった感想・レビュー

ヴェネツィア
三浦しをんさんお得意のお仕事小説なのだが、今回はそのお仕事がいたって特殊。文楽の若き大夫なのである。文楽の世界に飛び込んだ健の、文楽においての、そして人間としての成長物語として描かれる。各章のタイトルは、例えば『女殺油地獄』や『日高川入相花王』などと文楽の演目をあてている。しをんさんの意気込みも気合も十分。最終章『仮名手本忠臣蔵』6段目勘平切腹の場での「ヤア仏果とは穢らはし。死なぬ死なぬ。魂魄この土に止まつて、敵討ちの御供する」はもう圧巻。まさに浄瑠璃の「虚」の空間が「実」に飛翔する。それを描くしをん⇒
ヴェネツィア
2025/01/01 17:25

⇒さんの筆致も、ここに感極まる。それはまさに、近松の言説とされる「虚実皮膜」の境界が消える瞬間である。

が「ナイス!」と言っています。

2025年1月にナイスが最も多かったつぶやき

ヴェネツィア

皆さま、明けましておめでとうございます。今年もどうぞよろしくお願いいたします。2025年が実り多き年になりますように。

皆さま、明けましておめでとうございます。今年もどうぞよろしくお願いいたします。2025年が実り多き年になりますように。
桜貝
2025/01/03 13:35

明けましておめでとう御座います🎍 今年もよろしくお願い致します🙇

ヴェネツィア
2025/01/03 16:43

桜貝さん、明けましておめでとうございます。本年も昨年同様、どうぞよろしくお願いします。

が「ナイス!」と言っています。

2025年1月の感想・レビュー一覧
123

ヴェネツィア
ここに収録されたのは、いずれも「似絵」すなわち、天皇や上皇、あるいは上級貴族たちの肖像画である。巻頭の「随身庭騎絵巻」(13世紀半ば頃)は、着色こそほんの部分的にしかなされていないが、描かれている貴族たちの顔は(おそらくは)ひじょうによくそれぞれの特徴を捉えているのではないかと思わせる。また「天子摂関御影」(14世紀半ば)は、束帯姿(法体もある)の貴顕たちがずらりと並ぶ。こちらも、この人はこういう顔立ちだったのだろうかと興味深く眺めるのである。魔王、後白河院も鎮座ましますし、新古今の後鳥羽院も、臣下の⇒
ヴェネツィア
2025/01/31 17:11

⇒摂関家には九条兼実や太政大臣の平清盛、内大臣の平重盛らの姿も。

が「ナイス!」と言っています。
ヴェネツィア
【感想は「蛇蛻青大通」のみ】森島中良は、この時代の文人らしく、たくさんの名前を持っているが、中で最もわかりやすいのは風来山人二代目福内鬼外だろう。随分と洒落のめした名前だが、ここから彼が風来山人こと平賀源内の弟子であったことがわかる。本編は天明2(1782)年の刊行。私は洒落本だと思って読んでいたのだが、解題の石上敏氏によれば、どうもそうではないらしく(洒落本とするものもある)談義本であるらしい。ともかく、当世の「通」を最早そんなものは流行らぬと洒落本を批判的に見、遊女の誠ではなく、むしろ客にそれを⇒
ヴェネツィア
2025/01/31 16:58

⇒求めているのである。題名は文末の,いわば本作の結論ともいうべき「すつとの皮に千年の、ぬらりくらりの功を歴て、青大通の殻を脱、浮世くるめて丸飲の、蟒蛇と成り給へと、叢探の穴賢」に由来。

が「ナイス!」と言っています。
ヴェネツィア
第4巻は「ホロコースト」。凄まじいばかりの写真が並ぶ。シリーズのタイトルは『子どもに伝える 世界の戦争と平和』なのだが、子どもに見せるのが憚られるような写真群である。アウシュビッツ、ダッハウ、マウトハウゼンなどの収容所で撮られた写真だが、ふと疑問に思うのは、これらの写真を撮ったのは誰なのかということである。単に収容者だけを撮ったのではなく、死体はおろか拷問のシーンや、絞首刑のシーンまである。どう見ても、これらはそこにいたドイツ人によって撮られたのだろう。もはや、正常な感覚を失っていたのだろうか。⇒
ヴェネツィア
2025/01/31 14:56

⇒一方、ここには「白バラ」やパルチザンなど、ナチスに抵抗したドイツ人たちの記録もある。もちろん、彼らもまた処刑されていったのだが。そして、身代わりとなって自ら飢餓室に入って亡くなったコルベ神父のコーナーもあり、それはこうした時代にあってのささやかな希望だったと思う。

が「ナイス!」と言っています。
ヴェネツィア
いしいももこ・文、なかがわそうや・絵。ありのありこが、おばあさんにおいしい草の実を持って行くおつかいをお母さんに頼まれる。まるで「赤ずきん」のような始まり。ありこは赤い帽子をかぶって出かけてゆく。そこからは順々に食物連鎖が。そして、今度はその逆に。最後はみんなでくまきちのお誕生日を祝ってメデタシメデタシというお話。熊のお母さんが「みんあでなかなおりしてちょうだい」と言うのだが、そもそも彼らは仲たがいしていたのかという疑問も生じるが、まあいいか。絵は、枠線なしの水彩画で、パステルカラーが柔らかくも美しい。
が「ナイス!」と言っています。
ヴェネツィア
【感想は「道成寺現在蛇鱗」のみ】作者は浅田一鳥と並木宗輔の共作。全五段からなる時代浄瑠璃。寛保2(1743)年豊竹座で初演。時は、宝亀八年。奈良時代の末期、光仁天皇の御代である。劇の全体は妾腹の他戸皇子と山の部の親王との皇位継承争いに、重臣たちの思惑が絡むというのが主筋。その第四段に安珍・清姫の伝承が置かれている。この段は主筋からは離れた恋の物語(それはひとえに清姫のだが)。概ねは伝承通りに展開し、清姫は日高川で蛇に変身する(いわゆる川渡り型である)。ただ、そこからの展開に独自の工夫がなされていて、⇒
ヴェネツィア
2025/01/30 16:28

⇒大蛇への変身は、恋敵の錦の前への嫉妬ゆえの清姫の夢であったということに。しかも、清姫はその後、嫉妬の罪の深さに悲しみ、最後は恋敵の身代わりになって自害してしまう。終盤は意外な展開と結末(この段での)になるのだが、万人周知の伝承そのままでは面白みがないだろうとの作者の凝らした趣向がこれだったのだろう。

が「ナイス!」と言っています。
ヴェネツィア
【感想は「蛇の仕返し」のみ】珍しく「あるところ」と語り出され、場所は特定されない。子どものいない夫婦がいて、ある時、旦那が玄関を出たところで蛇に遭遇し、即座に刀で切って捨てたが、蛇は両断されてもそのまま逃げていった。それから間もなく夫婦には双子が生まれた。その子たちが3つになった時、玄関で転んだ途端に2匹の蛇になった。夫婦は巡礼となって日本中を巡って、ある村に辿り着いた。一軒家に泊めてもらったが、その家の老婆は仇を取られるからと長持ちの中に隠す。夜に2匹の蛇がやってくるが見つからないで済んだ。⇒
ヴェネツィア
2025/01/30 16:06

⇒ようやく夜が明けて家を出て逃げたが、蛇に追いつかれ、一匹ずつがそれぞれ首にからまって殺されてしまったとうお話。知らない話だったためにプロットの説明ばかりになってしまいました。「蛇」ー49作目。

が「ナイス!」と言っています。
ヴェネツィア
【感想は「蛇神教化」のみ】清里村(旧・櫛池村)に伝わる民話。そこにある周囲が一里もある坊ヶ池に住む蛇が三年ごとに身体が熱く煮立つために、それを鎮めるべく人柱を要求する。ある時、村一番のお大尽の娘に白羽の矢が立った。大尽は貧しい寡婦の息子に目を付け、娘の身代わりになってくれればお金をはずむと言う。母親は当然拒否するが、息子は行くという。息子は池の側に縛られて放置され、夜になると蛇が現れる。ところが息子の唱える念仏の力で、蛇は息子を飲み込めない。そればかりか、むしろお蔭で自分は救われたという。それ以来、人柱⇒
ヴェネツィア
2025/01/30 11:44

⇒を立てることもなくなったという。すなわち、最後はこの地域の善導寺の霊験譚になるのである。「干支本イベント」参加中。「蛇」-48作目。

が「ナイス!」と言っています。
ヴェネツィア
【感想は「蛇聟入」(苧環型)のみ】先の蛇聟入の話は姥皮との複合型で、しかも前半は猿聟入などと同じ話型をとっていたが、こちらは蛇聟入でも苧環型。これの典型は『古事記』の三輪山伝承である。ここでの民話は話型こそ基本的にはそれと同じだが、蛇の実態に神話的な要素が全く欠落している。むしろ、忌避されながらも人々に侮られるような存在である。それでも、娘と情交で娘は懐胎するが、菖蒲湯の霊力で蛇との子は流産する。語りの最初と最後は、五月五日に菖蒲湯に入る由来譚となっている。
ヴェネツィア
2025/01/30 11:25

「干支本イベント」参加中。「蛇」- 47作目。

が「ナイス!」と言っています。
ヴェネツィア
【感想は「蛇骨報恩」のみ】西頸城のお話。前回の感想には書き損ねたが、ここに収録されているものは、いずれも杉本キクエ媼の語りのスタイルがそのまま再現されている。したがって信越地方の方言なのだが、思ったよりも分かりやすい。このお話はこれまで知らなかったもの。夫を亡くした寡婦の蛇が、別の男蛇に言い寄られて、猟師に男蛇が現れたら撃ってくれと頼む。ところが、約束を果たそうにも全く弾が届かない。それでも女蛇はお礼にお金に困らなくなる自分の骨を猟師に残すというもの。かなり珍しい展開のお話ではなかろうか。
ヴェネツィア
2025/01/30 11:10

「干支本イベント」参加中。「蛇」-46作目。

が「ナイス!」と言っています。
ヴェネツィア
【感想は「蛇聟入」(姥皮)のみ】語り部の杉本キクエ氏は、信越地方で70年に亘って瞽女の生涯を送り、無形文化財に指定されている。タイトルにもカッコ書きされているように、このお話は本来は別のものであった2つのものが合体して構成されている(昔話や説経浄瑠璃など口承文芸にはよくあること)。すなわち、前半が蛇聟入(これは猿聟入であったりもするが、話の根幹はほぼ同型)で、後半が姥皮である。しいて本編の特徴を揚げるならば、乳母が蛇に安易な約束をすることが発端になっていることか。
ヴェネツィア
2025/01/30 09:04

「干支本イベント」参加中。「蛇」-45作目。

が「ナイス!」と言っています。
ヴェネツィア
ふじわらゆみこ・文、いせひでこ・絵。お話しらしいものはなくて、養蜂業の実際を子どもたちに伝える目的で書かれた と思われる。スズメバチや熊による被害も伝えるが、全体としては明るい雰囲気が支配的である。これを読んで(読み聞かせで聞いて)養蜂業を志そうという子どもはあまりいそうもないが、実際はここで伝えている以上に苦労がありそうだ。いせひでこの絵は、私の印象ではこれまでのタッチとは少し違っているように感じる。「かがくのとも絵本」を意識した故か。
亀吉てくてく@断捨離チャレンジ中
2025/01/30 11:23

この本を通して、子供たちが、ハチミツは蜜蜂や養蜂農家さんの大変な努力の賜物である。と深く理解し、感謝して食べて欲しいな、と思いました。

ヴェネツィア
2025/01/30 11:25

亀吉てくてくさん、その通りなのですが、さてどうでしょうか。そもそもハチミツに親しんでいないとそうはならないでしょうし、子どもたちの食事は親次第ですからね。

が「ナイス!」と言っています。
ヴェネツィア
【感想は「蛇と雉」のみ】江口 渙は芥川などとも親交のあった作家だが、やがてプロレタリアート文学に傾斜していったようだ。本編は「中央文學」(1919年1月号)に発表されたもの。作者32歳。エッセイのようでもあるが、やはり小説なのだろう。作家本人は自然主義的な作品と評価していたようだ。たしかに、雉と蛇との邂逅から最後までは、怜悧ともいえる観察眼が発揮され、文体も厳しく抑制されている。まさに死闘を描くのだが、読者もまたそれに引き込まれていく作家の視点に同化してゆくのである。
ヴェネツィア
2025/01/29 17:08

江口 渙は、これまで全く読んだことがなかった。戦後は中野重治とともに、日本共産党の中央委員を務めるなどしたようだ。「干支本イベント」参加中。「蛇」ー44作目。

が「ナイス!」と言っています。
ヴェネツィア
高原イラスト館八ヶ岳・編。向村春樹氏がアフガニスタンで撮影した子どもたちの写真集。大半は子どもたち1人ずつを正面から写したポートレートで、子どもたちはみんな笑顔で写真におさまっている。難民キャンプにいる子どもたちも、そして戦火で両親を失ってアロウディン孤児院に暮らす子どもたちも。ストリートで働く子どもたちを写した写真の背景に写るのは廃虚同然のカブールの町である。子どもたちはみんな明るいが、その後みんなは成人にまでなれたのだろうか。本書は、個々の子どもが少なくてもその時、そこにたしかにいたことを証すのだ。
ヴェネツィア
2025/01/29 13:49

アフガニスタンでは、1978年から断続的に戦争状態が続いている。

が「ナイス!」と言っています。
ヴェネツィア
酒井順子さんの歌舞伎鑑賞エッセイ。タイトルにいうように「女を観る」という観点から歌舞伎に登場する女の諸相を語っていく。私たち男の読者からすれば、それは同時に「女が観る歌舞伎」でもある。すなわち、女性の鑑賞者たちはどんな風に歌舞伎を見ているのかを「観る」ことができる。酒井順子さんは、自分がけっして歌舞伎通でも見巧者でもない、普通の庶民の感覚で見ているというのだが、ここに掲載されているだけでも100からの演目があり、それらを全て見ているのだとすれば、相当な歌舞伎フリークではある。お金のかかり方も並大抵では⇒
ヴェネツィア
2025/01/29 10:51

⇒ないだろう。歌舞伎はそもそも元禄の昔から熱心な女性の観客たちに支えられてきた。今も歌舞伎座の観客は女性の方がずっと多いだろう。歌舞伎は女性たちがはぐくみ育ててきた芸能なのである。

が「ナイス!」と言っています。
ヴェネツィア
いぬいとみこ・文、津田櫓冬・絵。1954年のビキニ環礁での水爆実験に対する抗議の意を込めて製作された絵本。操業中の第五福竜丸が被爆したあの実験である。ここでは、擬人化されたトビウオに仮託されて、水爆の後遺障碍の大きさと悲惨さを訴える。子どもたちにとっては、あるいは人間が主人公の物語よりも感情移入しやすいかもしれない。絵は基本的にリアリズムだが、動きと表情に多少の擬人化がなされている。色彩を抑制したのも、ここでは効果を上げている。
が「ナイス!」と言っています。
ヴェネツィア
【感想は「虵(くちなわ)」のみ】『発心集』巻五第三話を原典とした翻案小説。プロットは概ね『発心集』に沿うが、瀬戸内寂聴版の方が娘との結婚に至るまでの経緯は詳しい。また、原典は仏教説話らしい説諭が末尾に付されるが、寂聴にはそれはなく近代小説の体裁をとっていて、母の女としての煩悶が主題化されている。すが(母親)の二本の指が蛇に変化する核心部は、『発心集』においては、物語の中核として据えられているが、寂聴はすがの語りの中に収めている。寂聴版は、いわば女が宿命的に持つ「業」を描き出すことに意図があったと思われる。
ヴェネツィア
2025/01/28 15:10

「干支本イベント」参加中。「蛇」-43作目。

が「ナイス!」と言っています。
ヴェネツィア
ふくながじゅんぺい・作。お話というほどのものもなく、長い長〜い蛇をそれが長すぎるものだから、ねずみもうさぎもゴリラも誰も気がつかないのだが、最後に…。最後のアレがあることで、楽しさを増しているだろう。絵もとぼけたような味わい。とんでもないデフォルメなのだが、それこそがこの絵本の生命。読み聞かせでも子どもたちに歓迎されそうだ。
えも
2025/01/28 19:59

おおっ! 題名はルナールの「博物誌」ですね♪

ヴェネツィア
2025/01/29 07:43

えもさん、ルナールでしたか。私は全く気が付きませんでした。

が「ナイス!」と言っています。
ヴェネツィア
"MLTW"は、Moore,Lyndon,Turnbell,Whitakerの頭文字を冠した建築家集団のようだ。カリフォルニアの沿岸部に展開するSea Ranchの中からコンドミニアムとレクリエーション・センターが紹介される。外部はすべて板で覆われているのだが、それらの厚みがないために(意図的にだと思われる)バラックというか、安っぽい印象が否めない。海の家というのらわかるが、とても終の棲家にはなりえそうもないのである。内部も板が剥き出しであり、野趣と開放感はありそうだが、なんだか荒涼とした感も否めない。
が「ナイス!」と言っています。
ヴェネツィア
時は明和。元禄期や化政期には及ばないものの、文化が興隆した江戸中期である。そして、物語の軸になるのが耳鳥斎。絵師にして戯作者。同時に骨董商(元は酒造業)を営んでいたあたりも史実のまま。登場するのは近松半二に徳三、柳、加作など浄瑠璃や歌舞伎作者の面々。十遍舎一九や漁焉と号する時代の上田秋成まで、時代を駆け抜けた文人たちが闊歩する。今流行りの蔦谷重三郎の役どころを務めるのが耳鳥斎。場所は道頓堀と四条という上方の演劇文化のメッカである。軽快な上方詞で進行する物語はスピードに富み、躍動感に溢れる。
ヴェネツィア
2025/01/28 07:36

冒頭の「妹背山女庭訓」をはじめとして、この時期のお芝居がたくさん登場する。この第2弾は先の直木賞作『渦 妹背山女庭訓 魂結び』に優るとも劣らない面白さ。江戸好み、芝居好みにはお薦め!

が「ナイス!」と言っています。
ヴェネツィア
高田衛氏による「女と蛇」をめぐる学術書。ただ、文体は時として随想めいたりもする。その意味では純然たる学術書とはいささか趣きを異にする。「蛇性の婬」(『雨月物語』)から始まって、鏡花、中上健次と近代文学への展開相を縦横無尽に語ったかと思えば、本来の専門領域たる江戸文学に及ぶと、もはやその博覧強記は留まるところを知らないといった勢いである。『越藩拾遺録』や『北条時頼記』、『安積沼』など聞いたこともないような文献が次々に現れる。もはや唖然と、そういうものですかとただただ傾聴するしかないのであった。
ヴェネツィア
2025/01/27 16:27

「干支本イベント」参加中。「蛇」ー40作目。

が「ナイス!」と言っています。
ヴェネツィア
橋本治・文、岡田嘉夫・絵の『歌舞伎絵巻』第3弾。これで三大歌舞伎が揃う。とはいっても、この作品もまた浄瑠璃を原作とする義太夫歌舞伎。後に四世鶴屋南北が登場するまで、歌舞伎の世界ではお客を呼べる作者がいなかったのである。さて、本作だが、三大歌舞伎の中では一番地味だろうか。もっとも、菅丞相が怒りも顕に雷を奮う場面などは、実際の舞台で見るとかなりスペクタクルに富むものであるが。内容的な意味での見せ場は、なんといっても松王丸の息子、小太郎を菅秀才(菅丞相の息)の身代わりに死なせる場面だろう。
ヴェネツィア
2025/01/27 15:06

橋本治の文は本作をわかりやすく紹介しているのだが、歌舞伎らしいメリハリが欲しいところ。流れが良すぎるのである。本来が散文作品ではなく劇なのだから、場面をもう少しドラマティックなものにならないものかと思う。

が「ナイス!」と言っています。
ヴェネツィア
アン・フォッシュリンド 作。アンはスウェーデンの絵本作家。この絵本は、自分自身の子どもの時の入院体験と病院での取材をもとにつくられたそうだ。お話も絵も徹底したリアリズム。ある日、お腹が痛くなったリサは急遽入院することに。腎臓疾患の手術を経て退院するまでを描いている。絵はクレヨンの描線(黒)に淡い水彩絵の具で彩色を施したもの。こちらも基本的にはリアリズム。シンプルな絵なのだが、わずかの違いで顔の表情を心配だったり喜びだったりに表現するのは上手い。自分の入院体験を思い出す。入院中の子どもたちは心強いかも。
が「ナイス!」と言っています。
ヴェネツィア
バンクシーのかなり早い時期(ブリストル時代)から、20022年のウクライナまでを網羅したアーカイブ。既に消されるなどして失われたものも、可能な限り掲載している。最初期が1999年ブリストルの"MILD MILD WEST"。そして初期の代表作となった2002年ロンドンの"THERE IS ALWAYS HOPE"。よく知られた女の子が赤い風船を持っている絵だ。翌年にはベツレヘムの"RAGE:THE FLOWER THROWER"等々。神出鬼没のバンクシー、そういう風に言うとなんだか義賊みたいだが。
ヴェネツィア
2025/01/26 16:21

いずれの作品も社会や体制へのプロテスト、そして既存の芸術に対する個的な抵抗を示すものだ。

が「ナイス!」と言っています。
ヴェネツィア
著者の大倉 燁子は、最初は二葉亭四迷に、次いで夏目漱石に師事したが、やがて探偵小説に転じ、日本で最初の女性探偵小説家になった。本編の初出は昭和10(1935)年、『踊る影絵』に収録。S夫人の語りという形式をとる回想である。探偵小説というには、サスペンスに乏しいし、トリックというほどのものもない。作品のキー・コードになるのは、犯人がインドから持ち帰った黒い小さな毒蛇。これが父子2代にわたる確執の、犯人側の解決策(すなわち殺人)であった。おそらくは、謎解きやサスペンスに力点が置かれていたのではなく、毒蛇に⇒
ネギっ子gen
2025/01/26 19:27

ヴェネツィアさん&カピバラKSさん、「キー・コード」で了解しました。“・”がポイントだろうと推察したのですが、“小説化”という表現があったので、一応確認のため言及しました。カピバラKSさんの<言い回しの妙も含めて、愉しんでいます>に同意です。

ヴェネツィア
2025/01/26 20:27

カピバラさん、ネギっ子さん、ありがとうございます。感謝!

が「ナイス!」と言っています。
ヴェネツィア
私(生島)の一人称語りで、一見したところは私小説にも見えるが、車谷長吉の現代小説の中では最も物語的な要素の多いものであり、作家自身の体験が元になってはいるが、小説の全体はフィクションである。終局は標題の赤目四十八滝で迎えるが、物語の主要な場は尼崎である。私は関西の出身だが、これまで尼崎には縁がなかったので現実の場としてのリアリティは判断の外にあるのだが、なにか時代錯誤を起こしそうな空間である。とても、1996年の作品とは思えない。町の全体に漂うデカダンな雰囲気は、まるで太宰が生きた時代であるかのようだ。⇒
ヴェネツィア
2025/01/26 13:35

⇒アヤちゃんも、伊勢屋の女主人のセイ子も、彫眉も、登場人物のことごとくが時代がかっているのである。しかも、それでいて彼らは強固なリアリティを放っている。これは実にユニークな小説なのだ。なお、本書は第119回直木賞を受賞している。また、2003年には映画化され、アヤちゃんを演じた寺島しのぶが、各地の映画祭で多数の主演女優賞を得ている。私も見たが、凄まじいばかりの演技であった。

ヴェネツィア
2025/01/26 13:37

作品内の時間は30年前だとすれば、1960年代後半。それでも時代錯誤感は大きい。

が「ナイス!」と言っています。
ヴェネツィア
フローレンス・メアリ・フイッチ作、レオナード・ワイスガード絵。フイッチについては情報が得られなかった。ワイスガードはアメリカの絵本画家。1947年にはコルデコット賞も受賞している。谷川俊太郎の訳。太陽にも、空にも風にも雨にも神様を 感じるというあたりは、汎神論的な世界観のように見えるのだが、そうではないのだろう。この世界のすべてに神様の存在を感じることは、すなわち、万物は神様によって創造されたことの証なのである。絵もまた、時には日本画風のものが(例えば鳥の絵)あったりもする。
ヴェネツィア
2025/01/26 13:46

yominekoさん、おはようございます。一見したところはキリスト教の世界観には見えないかも知れません。

yomineko@鬼畜ヴィタリにゃん🎄🎅🎄
2025/01/27 06:07

おはようございます🌞そうなんですか。余計気になります。ありがとうございます😊

が「ナイス!」と言っています。
ヴェネツィア
当時、西ドイツ(統一前)の大統領だったヴァイツゼッカーが、戦後40年目のドイツの終戦の日、5月8日に行った演説。タイトルは翻訳者によるもの。実に素晴らしく感動的でさえある。政治家の演説だが、同時にそれは歴史学者であり、また哲学者であったとしても通じる内容である。かつてドイツの犯した過ち、犠牲になったユダヤ人やその他多くの人々、また戦後に祖国を失って流浪することになったドイツの人たちに語りかける。見通しの広さもさることながら、これまでの、そして今後のドイツの責任の果たし方にも言及する。この段階ではまだ⇒
はる
2025/01/25 18:03

そうですね。過去を総括できるというの簡単ではないですね。取り繕いが関の山の言語能力しか現段階の人類は持ってない・・言い過ぎかもしれません

山口透析鉄
2025/09/08 01:55

私の高校(某私学の附属男子校)では2外が必修で、私は多数派の独語を選択していました(他は仏・露で、ロシア語は学年で20人前後)。高校3年生の時に副読本がこれの原著でした。演説の録音も授業中に聞きましたが、非常に格調高く、某3代目の世襲政治屋首相とかとはまさに比較にもなりませんでした。

が「ナイス!」と言っています。
ヴェネツィア
【感想は「雷峰怪蹟」のみ】中国白話小説の「雷峰怪蹟」(『西湖佳話』所収)は、「白娘子永鎮雷峯塔」(『警世通言』所収)とともに夙に「蛇性の婬」(『雨月物語』所収)の原典の一つと指摘されてきた。たしかに読めば一目瞭然、誰しもが認めるところだろう。名前と物語の場こそ違うが、雨の日の邂逅にはじまり、最終場面での法海禅師による蛇の調伏にいたるまで、プロットはほぼこれらの作品に拠っていた。にも拘らず、作品の与える印象はかなり違っている。まさにそれこそが、換骨奪胎の妙であり、また翻案小説を読む楽しみでもあったのである。
ヴェネツィア
2025/01/25 16:48

「干支本イベント」参加中。「蛇」ー38作目。

が「ナイス!」と言っています。
ヴェネツィア
ミース・ファン・デル・ローエも再登場である。今回はミースがアメリカに渡ってからの住宅建築"Farnsworth House"(1945-51年)。注文主は、女性精神科医のエディス・ファンズワース博士で、シカゴから西に90kmほど離れたプラーノの森の中。なんと敷地面積は3.9haというから、そのスケールの違いに驚く。写真で見ても、周りは自然林の森である。建物はいたってシンプルな方形で、ル・コルビュジエを思わせる。ただし、全面総ガラス張りである。これは、外から見られることを全く想定せず、もっばら森を総体と⇒
ヴェネツィア
2025/01/25 11:05

⇒して体感することに主眼が置かれているからだろう。内装もモダンの極み。暖炉にいたるまで、シンプル・モダンに徹している。この点では外との対比は随分大きい。

が「ナイス!」と言っています。
ヴェネツィア
森比左志・文、長新太・絵。川に暮らしていたオレンジいろのさかなは、常々「もっと ひろい せかいに いってみたいな」と思っていた。そんなオレンジのさかなの大冒険というお話。結末はなんだか、青い鳥っぽいのだけれど。絵は長新太らしく、絵の具でラフに描いたもの。子どもが描いた絵と相通性がありそうで、子どもたちからは親近感を持って迎えられそうだ。
が「ナイス!」と言っています。
ヴェネツィア
タイトルの「ミカタ」は、「見方」だろうけれど「味方」でもあるようだ。一語に多様な情報を盛り込む、これもデザインのテクニックの一つだろうか。本書はデザイナーの初心者に、デザインが持つ力と、それを生み出していくための訓練の方法を語ったもの。いくつもの秘訣を伝授してくれるのだが、第一原則は「見る力を言語化する」ことである。そして、それを養うためには「葉を見て木を見て森を見て」というのが基礎にある。全体に実例も数多く提示されており、デザインを学ぶ人にはおそらく有用であろうと思われる。
Himeko is not cat
2025/01/24 20:09

表紙の件、同感です!多くの人の手に取らせるには洗練されすぎていてはダメって聞いたことあります😊

ヴェネツィア
2025/01/25 05:24

Himekoさん、私にはインパクトが弱いように見えますが、案外それでいいのかも知れません。

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ヴェネツィア
上巻が図書室で始まり、この下巻が図書室で閉じる。しみじみと心に響く小説だった。やはり既読の江國香織の作品の中では、今のところベストである。『斜陽』(太宰治)とは違ったけれど、それでも最終場面に残ったのは、女たちが3人だけ。後は、みんな亡くなったり、もしくはこの家を離れていってしまった。幽かな淋しさは残るが、優雅は退廃の気を帯びて、一層に優雅である。もはやあんな時間はかえって来ない。そのことがまたことさらに貴重なものであった時間と空間とをそこに閉じ込めていたのである。最後の一文は、読者にもまた⇒
seeds
2025/02/13 16:58

私も読んでみようと思います。

ヴェネツィア
2025/02/13 17:04

seedsさん、ともかくお試しください。気に入っていただけるといいのですが。

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ヴェネツィア
著者のパトリス・ジュリアン氏は、実に多才な人のようで東京日仏会院の副学院長を務めたかと思うと、広告会社を興したり、レストランを開いてオーナー・シェフになったり。お料理の本も多数出版しているようだ。本書はハーブとスパイスをふんだんに使った地中海料理の紹介、レシピ集。中には簡単にできそうな「アサリとニンニクのパセリ仕立て」のように簡単そうなのもあるが、多くはなかなかに手が込んでいる。その上、新鮮な生のハーブを入手しなければできないお料理も多い。自分でハーブを育てるのが一番良さそうなのだが、それはまたそれで⇒
ykshzk(虎猫図案房)
2025/01/25 11:55

この人に憧れてボーダーTシャツばかり着ていたことがあります😂

ヴェネツィア
2025/01/25 15:54

ykshzkさん、この人はほんとうに何でもできる人のようですね。

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ヴェネツィア
原作のエランベルジェも文と絵の中井久夫もともに精神医学者。「赤ずきん」だけじゃなく、いろいろなずきんが登場するお話。黄色ずきんなど全5話。絵本というよりは、絵も付いたお話の本。しかも、内容は簡単ではなく、大人向きかと思われる。対象と考えられているのは、10歳から14歳くらいのローティーンなのだが。また、主人公の◯◯ずきんたちは、いずれもジェンダーレスである。最後に中井久夫の解説めいたあとがきがあるが、こじつけめいた感じがしないでもない。ただ、いずれの物語も物語の形式をとっているものの、精神の奥深くに⇒
Johnnycake
2025/01/24 11:34

あ、黒がありませんでした。すみません。6色ハット思考法は会議などで使われたりして、こちらの学校では簡単な原理などを教えるところもあるようなのですが、日本では浸透していないのですね。

ヴェネツィア
2025/01/24 12:33

私の知る限りでは聞きませんね。もっとも、最近のことはわかりませんが。

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ヴェネツィア
1999年の刊行といささか古いのだが、対象が世界の言語なので、国境と違ってそれほど変化はないだろうと思われる。ただし、この間にも残念ながら消滅していった言語はいくつもあったのではないかと懸念される。本書は4部構成で多角的に言語の諸問題を扱うが、内容的には言語学の概説書や研究書で取り上げられていることをヴィジュアルにまとめたものという印象である。もっとも、ピジンとクレオールなどは1章をあてて説明がなされていて、言語学の動性にも目が配られていることがわかる。少なくても、これ1冊を読めば、言語学のなんたるかが⇒
ヴェネツィア
2025/01/23 16:46

⇒おぼろげながらもおおよそのところはわかる構成になっている。なお、著者がケンブリッジの言語学者とロシア科学アカデミーの学者なので、日本語についての論及や紹介はない。

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ヴェネツィア
小説を読む楽しみに浸れる作品。それは、日々の日常の対極にある空間だからだろうか。柳島の一家の全員はそれぞれに強い個性を持っている。それでいて彼らはみんなやはり柳島の一員なのである。けっして団結しているわけではないのだが、一族の価値観が彼らの紐帯を強固なものにしているのである。それが破られそうになったのは(結局それは再確認する結果にしかならなかったのだが)、小学校に行くことになった時と、百合が結婚した時とだけである。彼らは優雅な亡命ロシア貴族を連想させる。もっとも、ロシアの血は母方に流れているのだけれど。⇒
ヴェネツィア
2025/01/23 15:05

⇒それは落魄からは限りなく遠く、むしろ優雅に揺蕩う世界なのであるが。経済的に恵まれて(少々という程度ではない)いることは、かくまでも優雅でいられることを保証するのだろうか。下巻では、そんな彼らの世界が斜陽に向かうのだろうか。今のところ、その行末は全くつかめない。

が「ナイス!」と言っています。
ヴェネツィア
劣悪な環境の、あるいは悪質なブリーダーもあるだろうとは思っていたが、まさかこれほどとは想像を越えていた。なにより驚いたのは、「シリアス・ブリーダー」(犬種ごとの性質や特徴、さらには遺伝的な疾患を理解し、適正な繁殖を行っているブリーダー)という言葉が存在することである。それが普通で、暢気にもむしろそうでない方が例外だと思っていたのだ。劣悪な方を「パピーミル」というそうだが、それはそれは惨憺たるものである。繁殖犬にとっては、まるでアウシュビッツに放り込まれたようなものである。生まれた子犬の行末も明るくない。
Johnnycake
2025/01/23 13:04

法的には日本よりは整備されていると思いますが、取り締まるのが大変で…。田舎の大きな農場の一角にあるパピーファームなどは、なかなか当局には把握できないのです…。

ヴェネツィア
2025/01/23 13:23

日本でも、そうした劣悪なものは、都市部では鳴き声と臭いから敬遠され、また人の目を避けるためにも田舎にあるようです。

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ヴェネツィア
お人形ものが得意なドン・フリーマン 作。デパートのおもちゃ売り場で売れ残っていたコールテンくん。とれたボタンを探して夜の寝具売り場へ冒険行。王さまのようなベッドにいたく感心。翌朝はめでたく女の子に買われて彼女のお家へ。小さなベッドだったけれど、お家もいいな、と幸せをかみしめるお話。強い描線に水彩絵の具も鮮やかな絵。擬人化されたコールテンくんも好感を持たれそうだ。お話が単純でオプティミスティックな世界観は、いかにも斜陽を迎える前のアメリカらしい。
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ヴェネツィア
【感想は「蛇捨て」と「爬虫類さま」のみ】いずれも、蛇を嫌悪する対象として描く。「蛇捨て」は、京都弁の一人称語りで、家の便所に出た蛇を鴨川の河原にあるごみ籠に捨てに行く途中の気持ち悪さを臨場感あふれる語りで描き出したもの。末尾の「どもこもなりまへんわ」が可笑しい。もう一篇の「爬虫類さま」は、短いながら2つのエピソードから構成される。前段は25歳のお嬢さんが部屋で蜥蜴や蟇を飼っているのだが、お嫁に行くとなったら、と父親が憂慮するというもの。後段は、西銀座のナイトクラブの女性を送っていくことになり(おそらくは⇒
ヴェネツィア
2025/01/22 16:52

⇒内心で快哉をあげていたことだろう)部屋に入ると、思惑通りに「長い接吻」をしたのだが、ベッドの上の毛布をめくると、そこに一匹の青大将が鎌首を持ち上げて…という始末。そればかりか部屋には縞蛇など数匹の蛇がいた。つまり、蛇たちは彼女の用心棒だったというオチがついて幕。いずれも主人公は中年の男。そりゃあ男だって蛇は怖い(不気味だ)。「干支本イベント」参加中。「蛇」ー37作目。

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ヴェネツィア
2つのパートから成る。前半は1948年のニュージャージーに始まるマチルダ編。幼児体験を終生背負ってアニマトロニクスの世界に身を置き、突如映画の世界から姿を消したマチルダの物語。後半は2017年のロンドンに始まるヴィヴ編。CGの新しい表現にかけるクリエイターの物語。それぞれは独立しているものの、後半の途中で交点を持つ。全体としては、驚くほどにマニアックな物語。もうほとんど、オタクの世界である。それを、読者に物語として展開して見せながら、読者の心に織布を紡いで行く深緑野分の力量たるや並大抵ではない。
よう🐦2
2025/01/22 16:39

第167回直木賞候補作です!!未読ですので、読みたいです~

ヴェネツィア
2025/01/22 16:54

ようさん、アニメの製作やCGに興味があれば(なくても)大いに楽しめると思います。

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ヴェネツィア
この巻はブラジルのオスカー・ニーマイヤー。ル・コルビュジエの弟子として、モダニズムから出発し、やがてブラジルらしいローカルな作風に到ったようだ。まずは、リオのコパ・カバーナのビーチから西に30分離れたジャングルの中に建つ、ニーマイヤーの自邸、カノアス邸である。白を基調とした建物で、居住部分の設計はル・コルビュジエ風にも見えるが、屋根の優美な曲線のフォルムは独特のもの。いかにもアーティストらしい住まいである。もう一つのカヴァネラス邸は、7000㎡の敷地に立ち、ブーレ・マルクスの手になる庭が全面に⇒
ヴェネツィア
2025/01/22 11:18

⇒広がる中にある。こちらは屋根の上面が大きく湾曲しているが、正面から見ると直線的な建物に見える。ただ、お庭が大きすぎて邸そのものは小さく見える。しかも、風情は個人住宅というよりは、美術館かアトリエのようだ。

が「ナイス!」と言っています。
ヴェネツィア
石津ちひろ・文、藤枝リュウジ・絵。回文の言葉遊びを楽しむ絵本だが、存分に楽しむためには、ある程度のボキャブラリーが必要。例えば「うまみまう」や「くさりきりさく」などは、タイトルの「ぞうからかうぞ」と違って、「みまう」という子どもたちにとってはややなじみの薄い動詞や「きりさく」という複合動詞を含むからである。でも、わかれば面白い。「さぎすいかのかいすぎ」や「つるわくわくわるつ」など、ナンセンスな言葉遊びを楽しみたい。絵はいたってシンプルなヘタウマ系。
ガーネット
2025/01/22 19:06

「さぎすいかのかいすぎ」で、そんなに買うて、どうするん⁈って、即ツッコンでしまいました。スイカパーティーかな?(*゚▽゚*)

ヴェネツィア
2025/01/23 07:52

ガーネットさん、おはようございます。おもしろそうでしょう。

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ヴェネツィア
本書は広重の『東海道五拾三次』だが、評価の高い保永堂版(町田市立国際版画美術館蔵)を用いている。タイトルにはまた、「謎解き」を謳っているが、謎解きというほどのものではなく、それぞれの絵の見方、解説が施されているといったところ。十返舎一九の『東海道中膝栗毛』なども出版され、世は空前の東海道ブーム。その勢いに乗ったのが弱小書肆の保永堂。これまた大当たりだったようだ。人物像に目を向けると、それらは写実的であると同時に、意外にも漫画チックである。また、選び取られたそれぞれの場面は映像的でもある。江戸庶民にとって⇒
ヴェネツィア
2025/01/21 16:39

⇒まだ見ぬ東海道の景は、さぞや憧憬を持って眺められたことだろう。と同時に人物像を通して親近感を持って迎えられたことだろうと思う。四季の変化の取り入れ方もまた絶妙である。

が「ナイス!」と言っています。
ヴェネツィア
【感想は「蛇に憑かれた女」(三角寛サンカ選集)第3巻所収のみ】三角寛は、戦前から戦後にかけて活躍した作家。太宰より6歳年長。山窩(サンカ)を題材にした作品が多く、山窩作家とも呼ばれている。本篇もまた山窩に関わる物語。もっとも、こ こでの主な題材は蛇憑きであるが。主人公は若くて綺麗な小学校の女教師、さき子。蛇憑きとされた彼女が家を出て、彷徨っている時に出会ったのが、無垢なサンカの若者だった。彼は全く欲得といった思考はなかったのだが、彼女が計算を教えたために他のサンカの者たちに殺されてしまう。蛇憑きといい、⇒
ヴェネツィア
2025/01/21 14:51

⇒サンカの集団といい、いかにもありそうだが、実際は三角の創作であった可能性が高そうである。

が「ナイス!」と言っています。
ヴェネツィア
〈2〉は太陽系の惑星探査から。この何日か大接近に伴って火星がひときわ美しく輝いています。人類が到達しえたのは月まで。「2001年宇宙の旅」が懐かしいです。本書の後半ではアポロ計画が華々しく紹介されています。1980年代にはまだ希望の方が大きかったのでしょうか。未来の宇宙船の想像図まであります。アンドロメダ銀河まで210万光年、りょうけん座まで1800万光年、そして宇宙の果てまでは150億光年。常人の想像をはるかに超えています。
ヴェネツィア
2025/01/21 07:56

生半可な想像力ではとても捉えられそうもありません。おそらく、高度に数学的な想像力が必要なのでしょう。ちなみに私の想像力では、理屈ではわかっているつもりでも、1光年さえ想像の範疇を遥かに超えています。

が「ナイス!」と言っています。
ヴェネツィア
マイケル・フォアマン 作。食糧難に陥った国のライオン王が、隣国へ援助を要請に行ったのだが、断られたばかりか、軍隊まで差し向けられて…といった顛末を描くお話。そもそも原題が”WAR AND PEAS"であり、PEACEと類縁のスペリング(音声もまあ近いか)であることから発想された単純なもの。お話はあまり感心しない。絵は極端に痩せたライオン王と、肥え太った隣国の王と兵隊たちといったデフォルメで面白さを狙う。絵そのものは悪くないが、ここでもステレオタイプ化された発想は単純すぎるか。
が「ナイス!」と言っています。
ヴェネツィア
1985年初版と、いささか古いのが気にはなるが、この40年間の宇宙に関する新しい知見を知らないので、これでも十分に宇宙の神秘は堪能できそうだ。構成はカール・セーガン。随分以前にお亡くなりになられたが、この本の出版当時は宇宙研究ではアメリカの先端にいた一人だ。あのSETI計画はどうなったのだろう。本書は、そんなセーガンの宇宙入門といった趣きの本。当時としては最新の写真や想像図で溢れていて、眺めるだけでも宇宙のあまりにも広大な姿に気を失いそうだ。この銀河だけで2500億個の恒星があり、そんな銀河が数千億個も。
ヴェネツィア
2025/01/20 20:48

Himekoさん、でもお互いに絶望的なくらいに遠いですね。太陽から最も近い恒星でさえ4光年ですから。

Himeko is not cat
2025/01/20 20:52

そうなんですよねー。お互いいるはずだろうと思いながらもすれ違うことすらなく。切ないけど、これも浪漫かな😢

が「ナイス!」と言っています。
ヴェネツィア
クレオール語入門には最適。クレオール語とは何か、ピジン語からクレオール語へ、クレオール語の構造などが、いたってわかりやすく解説されている。しかも、それはヨーロッパの諸語から見たクレオール語ではなく(その場合は劣った、あるいは不完全な言葉ということになる)クレオール語そのものの成り立ちと特質とが語られる。その結果、以外にもクレオール語は日本語の文法構造と似ている(似てくる)のである。田中克彦氏の偏見のないフラットな言語学ならではの成果かと思う。また、私自身も、言語について考えたり、話したりする際には⇒
Johnnycake
2025/01/20 15:17

英語の場合は国で特定できないので、私はずっと「英語人」という呼び方をしてきました。だから日本語人も全然違和感ありません。^_^

ヴェネツィア
2025/01/20 15:57

Johnnycakeさん、たしかに英語の場合はそうですね。日本語は日本語でまた違った事情も介在していますが。

が「ナイス!」と言っています。
ヴェネツィア
【感想は「蛇淫」のみ】初出は「文藝」(昭和50年9月)。基本的には男(順という名前はあるが、表記はほとんど男)の視点から語られる。女もまたケイと呼ばれるのは、男の母親にだけで男からは、単に「女」と語られる。彼らを取り巻く環境はかなり荒廃したものである。もっとも、男自身が、かつてはグレていて、今はスナックを営んでいるが、両親に対しては暴力的である。暴力とセックス(これもまた多分に暴力的である)と荒廃感が作品全体を覆う。中上健次らしい小説といえばそうだ。野蛮なまでの生命感に満ちているといえば、これまたそうだ。
ヴェネツィア
2025/01/20 11:06

「干支本イベント」参加中。「蛇」-35作目。

が「ナイス!」と言っています。
ヴェネツィア
マリー=ホール=エッツ 作。ウィスコンシン州に生まれた彼女は小さい頃から自然や動物に親しんでいたそうだ。そんな体験がこの絵本にも活かされている。エッツ63歳の作品。のんきもので人の良い(?)牛がまきばの草があんまりおいしいのでみんなにご馳走したくなって…、というお話。お話自体は他愛もないものだが、柔らかなパステルトーンのピンク色を背景に描かれる動物たちの情景は、暖かさと巧まない豊かさとに溢れている。こんな生き方もある。うしはいつも幸せなのだ。
ヴェネツィア
2025/01/20 09:00

そういえば、ファンシーグッズにもホルスタイン柄を見かけますね。

yomineko@鬼畜ヴィタリにゃん🎄🎅🎄
2025/01/20 09:37

はい!可愛いですよね!

が「ナイス!」と言っています。
ヴェネツィア
【感想は「依千手陀羅尼験力遁蛇難語第四十三」(『今昔物語集』巻第十四所収)】これも霊験譚だが、いつもの法華経ではなく、真言陀羅尼のもの。行者(日蔵の師)が山で修業中に大きな水の流れに遭遇するが、それは実は大蛇の群れであった。「頭四五尺許、上は紺青禄青を塗たるが如しー中略ー目は鋺の様に煌き、舌は焔の様に霹めき合いたり」といった恐ろしい姿。行者は死を覚悟するが、鳩槃茶鬼に救われる。行者は千手観音に救われたと知る、という結末。蛇の具体的な姿が表現されているのは、なによりも得難い記述である。
ヴェネツィア
2025/01/19 18:13

「干支本イベント」参加中。「蛇」-34作目。

が「ナイス!」と言っています。
ヴェネツィア
【感想は「女依法花力転蛇身生天語第四」(『今昔物語集』巻第十四所収)】出典は不詳のようだ。法華経の功徳譚の形式をとっているが、内容的にはむしろ陰陽師、吉備の大臣の事績譚という風である。聖武天皇と一夜だけ契りを交わした女が、帝から金千両を賜る。天皇も崩御し、女も間もなく亡くなるが「此の千両の金を、我死なむ後には必ず墓に埋め」と遺言する。死後、女は毒蛇となって墓でこの金を守り続け、その妄執から成仏できない。このあたりは北欧ゲルマン神話で大蛇ファーフナーが洞窟で黄金と宝を守り続けるのに似ている。最終的には⇒
ヴェネツィア
2025/01/19 17:35

⇒毒蛇の霊となった女の頼みを入れて、吉備の大臣が金千両で法華八講を奉納することで女は成仏するというお話。こちらは、あまり類話もなく、また後へも拡散していかなかったようだ。道成寺ほどのインパクトがなかったか。安部清明の陰陽師伝承の中に取り込まれてもよかったのだが、そうはならなかった。「干支本イベント」参加中。「蛇」ー33作目。

が「ナイス!」と言っています。
ヴェネツィア
【感想は「紀伊国道成寺僧写法花救蛇語第三」(『今昔物語集』巻第十四所収)】この説話の原型は『本朝法華験記』にあるのだろうが、ここでは一層に物語的な説話として仕立てられている。内容は典型的な道成寺もの。というよりは、この作品が最も詳細に内容を伝えているが故に、後年の様々な道成寺ものの原型となっている。女が毒蛇に変身する際に、二つの伝承が残るのだが、多くは寄りドラマティックな「川渡型」をとる。すなわち女が男(若い僧)を追って、日高川にさしかかった時、川を泳ぎ渡る途中で徐々に蛇体に変身するのがこれである。⇒
ヴェネツィア
2025/01/19 16:50

⇒一方、この今昔版では、より古い伝承を残すと思われる「籠り型」をとっている。「家に返りて寝屋に籠居ぬ。音せずして暫く有て、即ち死ぬ。家の従女等、此れを見て泣き悲しむ程に、五尋許の毒蛇、忽に寝屋より出ぬ」というのがそれであり、変身は「死と再生」の儀式を伴っていたのである。「干支本イベント」参加中。「蛇」ー31作目。

が「ナイス!」と言っています。
ヴェネツィア
広重が火消同心の家に生まれ、自らも火消を務めていたのは知らなかった。絵は当初は副業だったとは。歌川豊広門下でデビューした頃は、やはり美人画から。画力の達者さは既に明らか。やがて、師の没後に風景画に主軸を移してゆくのだが、やはり広重の本領が発揮されるのはこちらだろう。見開きで紹介される「箱根」の偉容や「蒲原」の雪景色の情緒。そして、いずれの絵にも典型として人物がいる。広重の風景画はそれで初めて完結するのである。後、特筆すべきは広重ブルーか。後年のものはさらに構図に磨きがかかる。『名所江戸百景』などは⇒
ヴェネツィア
2025/01/19 16:13

⇒まさにその典型。なお、花鳥画もあって、これもまた素晴らしい力量を示す。素人目には歌麿の花鳥画に似ているように思う。

が「ナイス!」と言っています。
ヴェネツィア
【感想は『戦争の悲しみ』のみ】1990年の作品。翌年のヴェトナム作家協会賞を受賞。1975年にサイゴンが陥落しアメリカ軍が撤退するが、最終的にヴェトナム人民軍がカンボジアから撤退したのは、この作品が書かれた前年だった。小説の構成は、時間軸を追う形をとらず、フラッシュバックのように過去の戦場での体験が語られる。それを語るキエンとフォンの恋愛がそこに一種の主軸を成す(キエンにとっては最も重要なテーマがこれだ)形で回想される。そもそもキエンにとっては、青春時代はおろか、ヴェトナムは彼が生まれてからずっと戦争の⇒
ヴェネツィア
2025/01/19 15:42

⇒状態にあったのであり、そこに選択の余地はなかったのだ。唯一、彼に選択の余地があったとすれば、それは「書く」ことに他ならなかった。戦争による自身の生も愛も、それしか再生の道はなかったのである。【ガーディアン必読】448/1000。

が「ナイス!」と言っています。
ヴェネツィア
【感想は「女子死受蛇身聞法花得脱語第四十三」(『今昔物語集 巻第十三』所収)】両親と西の京に住んでいた女子は、ひたすらに紅梅を愛していた。ところが、原因不明のままに亡くなってしまう。ある時、娘の植えた紅梅の木に1尺ばかりの蛇がやってきた。両親は娘の生まれ変わりに違いないと高僧たちを招き、供養を依頼する。僧が法華経を講じ、まさに竜女が成仏した由来の時に蛇は死んでしまう。その後、父親の夢枕に娘が現れる。このように、法華経の功徳を説く説話。ここでは、蛇は娘の生まれ変わりと考えられたためか、疎まれてはいないが⇒
ヴェネツィア
2025/01/19 14:41

⇒両親は、娘が蛇に生まれ変わったことは「疎きこと」と嘆き悲しむし、周囲の者たちも「哀れ也」と同情を寄せる。最後も法華経の功徳を説くとはいえ、「哀れに悲しき也」と結ばれる。功徳譚でありつつも、物語の享受者の共感の感情が「哀れ」の語に集約されているだろう。「干支本イベント」参加中。「蛇」-20作目。

ヴェネツィア
2025/01/19 14:42

訂正。20作目→30作目。

が「ナイス!」と言っています。
ヴェネツィア
高安陽子 文、降矢なな 絵。1999年4月初版。主人公はやまんばの娘のまゆと鬼。鬼はまゆを食べようとするのだが、まゆは全く気が付かない。その純真無垢さと希代の怪力から鬼は完敗。もっとも、まゆは何も知らずに無邪気なまま。絵は古典的な絵本スタイルだが、躍動感があって、鬼、まゆ、火の赤が全体を支配する。いつも横で隠れて見守っているキツネも可愛い。子ども園での読み聞かせに向いていそうだ。
たかぼう
2025/05/18 16:51

いつも ナイス ありがとうございます。どれも良い感想で感心して感動しています🐭

ヴェネツィア
2025/05/18 17:21

こちらこそありがとうございます。

が「ナイス!」と言っています。
ヴェネツィア
第1回の『忠臣蔵』では、最初ということもあって些か採点が甘かったが、今回は少し辛めに。この作品も作者欄からわかるように※、義太夫歌舞伎として、今では本来の浄瑠璃でよりも歌舞伎の演目として知られる。ちなみに、これも三大歌舞伎の一つ。橋本治の文章は流れもよく、実に上手くプロットを掬い上げているのだが、逆にいうと流れがスムーズすぎて、やや歌舞伎らしいメリハリに乏しいのである。絵もまたそうだ。例えば知盛の最後のシーン(碇知盛)などは、実際には大きな見せ場である。また、狐忠信のくだりなどもそうだ。
ヴェネツィア
2025/01/18 17:12

※原作は竹田出雲、三好松洛、並木千柳による合作。近松亡きあと、竹本座を率いた出雲だが、自分には近松のような力量のないことはわかっていた。そこで考え出したのが合作という方法。原典の『平家物語』や『源平盛衰記』をはじめ、何でも用いるのだが、その際には史実であるかどうかは重要ではない(本作でも安徳天皇や知盛が壇ノ浦でしんでいない)。それが「面白いか」、「客を呼べるか」こそが至上命題だったのである。当時の歌舞伎は(浄瑠璃も)古典芸能ではなく、まして芸術ではなかった。大衆的な商業演劇に他ならなかったのである。

が「ナイス!」と言っています。
ヴェネツィア
作者の宮原晃一郎は、大正年間から昭和初期にかけて活躍。独学で英語をはじめ8ヵ国語を修得し、翻訳家として、また児童文学者として「赤い鳥」に童話作品を寄せている。本篇はその中の1つ。蛇いちごの効能を説く。食い意地の張った神主が、出先で供される食事をことごとく食べ尽くすために、大蛇を真似て蛇いちごを食べたところ、自分自身も溶けてしまったという顛末。蛇いちごを食べると身体が溶けて水になってしまうという俗説を物語化したものだろう。そうした民話があったのかも知れないが、私にはどうも宮原の創作のような気がする。
ヴェネツィア
2025/01/18 12:19

「干支本イベント」参加中。「蛇」-28作目。

が「ナイス!」と言っています。
ヴェネツィア
【感想は「蛇」のみ】田村俊子は初読。この人は波乱万丈の人生を送ったようで、一時期はヴァンクーバーに移住したり(18年間を暮らした)もしている。「青鞜」にも寄稿していたし、大正期の典型的なモダンガールだったのだろう。「蛇」は大正5(1916)年に「中央公論」に掲載された。彼女はまたある時期に女優もしていたようで、その間の経験が活かされているものと思われる。盛時には天才女優などともてはやされながら、やがては妾稼業もしなければならなくなった彼女のせめてもの復讐(何人もの男たちへの)が、半裸体に蛇をまとった舞台⇒
ヴェネツィア
2025/01/18 10:54

⇒を見せることだったのだが、それもまたなんとも哀れである。零落、落魄感の横溢する小説。「干支本イベント」参加中。「蛇」-28作目。

が「ナイス!」と言っています。
ヴェネツィア
新しい年を迎えるにあたって、年神さまがまずはねずみたちに声をかけ、家の掃除と正月の飾りつけを命じます。そして、餅つきの次は、お節料理に。牛は米や野菜などの材料を選んで運ぶ係です。虎はほうぼうの国から珍しい食べ物を集める係、とそれぞれの干支の動物たちが役割を果たします。今年の干支の蛇は献立を考える係です。太くて力強い枠線とメリハリのあるカラーで描かれた絵は、構図を含めて楽しさに溢れる。明けてお正月の絵もおめでたい。最後は一同勢ぞろいで幕。
ヴェネツィア
2025/01/18 08:00

「干支本イベント」参加中。「蛇」ー27作目。

が「ナイス!」と言っています。
ヴェネツィア
【感想は「蛇王」(『流域』所収)のみ】初出が変わっていて「高一時代」(昭和49年3月号)。タイトルは、笛の名手四条当麻に仕えた雑色の竹丸が東国で得た異名。笛の秘曲をめぐっての当麻、一番弟子の通村、その弟子の平望、さらにその妻(語り手)、そして竹丸(蛇王)の物語。当麻の生涯最後の秘曲がそれぞれのその後の人生を決定してゆくのだが、全編に漂うもの悲しさが小説の基調を成す。小川国夫には珍しく王朝物語の体裁をとる。女の淡々とした中にも憧憬を秘めた語りが絶妙である。そして、誰の運命もまた哀切である。ただ、女だけが⇒
ヴェネツィア
2025/01/17 16:45

⇒わずかな希望を残して物語が閉じられる。しめやかで陶艶な物語。「干支本イベント」参加中。「蛇」ー25作目。

が「ナイス!」と言っています。
ヴェネツィア
【感想は「なんで人間は燕を愛し蛇を憎むか」(L・テッツナー編のアンソロジー『メルヒェン12ヵ月』4月編)所収)のみ】ラトヴィアに伝わる伝承のようだ。ごくごく短い由来譚。蚊がどうして「ブン、ブン」としか言えないのか、また燕のしっぽはどうしてあんな風に真ん中がないのかを語る。大洪水の時代、みんなが逃げ込んだ箱(ノアの方舟か?)に穴があった。蛇が「洪水の後で、一番甘い血の入った肉を食わせるならば、おれの身体で穴をふさぐ」と言い、みんなは承知した。それは人間の肉なのだが、燕が蛇を裏切り人間の味方をしたので⇒
ヴェネツィア
2025/01/17 14:04

⇒蛇が怒って燕のしっぽに噛みついたというお話。理屈の上からは蛇は正当な権利を主張しただけなのだが、どうやら蛇は悪者と先験的に決まっていたようなのである。エデンの園がずっと尾を引いているらしい。「干支本イベント」参加中。「蛇」-25作目。

が「ナイス!」と言っています。
ヴェネツィア
『華厳五十五所絵巻』は、華厳経の「入法界品」を絵画化したもの。内容的には善財童子の物語である。すなわち善財童子が善知識を次々に歴訪し、最後に普賢菩薩の教えによって菩薩行を体得する過程を描いている。本書には東大寺蔵本をはじめ三種の伝本を掲載するが、十二世紀末頃のものにしても、いずれも絵のスタイルは古い。技法は墨による描線に黒と朱、茶で彩色を施したものである。『法華経絵巻』は、鎌倉初期(十三世紀前半)のものだが、先の『華厳…』に比べれば確かに耽美的な要素が加わっているかも知れない。こちらは色彩に緑が加わる。
が「ナイス!」と言っています。
ヴェネツィア
この絵本は、信州大学教育学部附属長野小学校1年3組の子どもたちが制作したもの。背景にあるのは、長野県(中心になったのは信州大学教育学部だったと思われる)が全国に先駆けて行っていた総合教育であり、その成果の一環がこれである。このクラスでは教室でへびを飼育していた。やまかがしのミスターやまくん、あおだいしょうのあおちゃん、あおだいちゃんである。死んでしまった、それら3匹のへびを追悼すべくできあがったのが、この絵本。へびの死が子どもたちに「天国の世界の物語」を作らせたのだった。絵も1年生の水準を越えてよく⇒
ヴェネツィア
2025/01/17 08:31

⇒描けている。1年3組37人の子どもたちの想いがこもっているのだ。「干支本イベント」参加中。「蛇」ー24作目。

が「ナイス!」と言っています。
ヴェネツィア
【感想は「蛇」のみ】「蛇」は「文學界」(昭和35年6月号)が初出。時代を濃厚に反映した作品である。まず全体の構想はシュールレアリスムの装いを纏っている。それも、少なくても表面的には明るい趣きを持ったそれである。安部公房の一連の作品に似ていると言えるだろう。そして、作品が背負う時代状況は、70年安保の頃(すなわち学園紛争の時代)をこれまた如実に背負っている。それは今となっては滑稽にも映りかねないほどである。あるいは倉橋にとっては当時からそうだったのかもしれないのだが。
ヴェネツィア
2025/01/16 17:13

作品集『パルタイ』の中では、巻頭の表題作がひときわ光るが、こうして「蛇」だけを読んでみると、あらためてその面白さに気づかされる。「干支本イベント」参加中。「蛇」-23作目。

が「ナイス!」と言っています。
ヴェネツィア
橋本治の再構成による『仮名手本忠臣蔵』。なにしろ全部で11段もあって、いささか複雑なこの大曲(通常の時代物は5段構成が一般的)、勘所を押さえながら上手に語ってみせる。ダイジェストなのだが、見せ場は概ね外すことがない。岡田嘉夫の歌舞伎風の絵もなかなかにきまっている。ちなみに絵も文も歌舞伎を想定しているが、本来は浄瑠璃の演目。原作に名を連ねる竹田出雲は竹本座を率いていた。したがって、初演は大坂の竹本座。その後に歌舞伎に移し替えられ(義太夫歌舞伎※という)盛期には江戸三座※※の全てがこの作品を競作したという⇒
ヴェネツィア
2025/01/16 16:47

⇒希代の当たり狂言。本書は歌舞伎の楽しみを巧みに再現して見せてくれる。※丸本歌舞伎ともいう。※※幕府公認の中村座、市村座、森田座をいう。

ヴェネツィア
2025/01/16 16:54

ちなみに、浄瑠璃『仮名手本忠臣蔵』の初演は寛延元(1748)年。事件の実に47年後であった。47年というところがミソだが、実は事件の直後からいくつものお芝居がこの大事件をあつかっていたが、すべて上演禁止に。近松門左衛門も『碁盤太平記』を竹本座で上演したが、即刻禁止に。『仮名手本忠臣蔵』は、この近松の塩冶判官、高師直、大星由良之助を踏襲。なお、「仮名手本」はいろは歌のこと。いろは四十七文字に掛けている。

が「ナイス!」と言っています。
ヴェネツィア
沖永良部島を舞台に大戦末期から、米軍の進駐までを描く。作中の会話文は全て沖永良部島方言で書かれていて、そのことが一層に郷愁(自分がこの地方の出身ではないにもかかわらず)のようなものを感じさせる。それは失われたものへの哀惜の感情だろうか。タイトルは「神に守られた島」だが、多くの人たちが死んでいく。主人公のマチジョーの周辺に限ってもそうだ。物語は、このマチジョーを主軸に語られるが、そこには南の島が持つ独特の抒情をはらんでいる。マチジョーの淡い恋が実ることはないし、それどころか彼らの行末までも定かではない。
風地
2025/01/16 17:28

沖永良部、3回ほど訪れましたが、全く飽きません。飛行機の乗り継ぎになるので、運賃も時間もかかりますが、見どころ満載ですよ。島の方も笑顔で印象深かったです。けれど、厳しい過去について知らぬまま楽しんでしまい、恥ずかしいですね。

ヴェネツィア
2025/01/16 17:37

ぜひ行ってみたいものです。那覇まで飛行機で行って、船で戻るのが案外安上がりかも。

が「ナイス!」と言っています。
ヴェネツィア
蟹江杏 作。ハナが一番好きなものはへび。ほかにもコマルハナバチやカエル、トカゲ、ミミズやコウモリなんかも。この一風変わった嗜好は、古典作品に先蹤を辿れば、まさに「虫めづる姫君」(『堤中納言物語』所収)である。誰からも理解されないハナ。ただ、現代の虫めづる姫、ハナにはたった一人ハルという共感者が現れる。メデタシメデタシ。絵はペン画の枠線(版画?)にラフな彩色を施したヘタウマ系。破壊的な構図が内容にはピッタリ。ラストシーンの惚けた味わいもいい。
ヴェネツィア
2025/01/16 08:27

「干支本イベント」参加中。「蛇」-22作目。

が「ナイス!」と言っています。
ヴェネツィア
青空文庫では文字だけしかないが、本来は詩画集であったようだ。序の部分には大手拓次が描いた漫画めいた蛇の絵が付されている。ただ、詩そのものはどこを読んでも、タイトルとの整合性が掴めない。何かの隠喩であろうと思われるのだが。ただし、詩そのものは大手拓次でしかありえないような、鮮烈な抒情を全編に湛えている。文語体で書かれていることも、プラスに機能していそうだ。また、詩の中に度々現れる「汝」だが、大手が喪失した恋人かとも思われるが、そもそもが幻の想い人であったかのようにも思える。
ヴェネツィア
2025/01/15 17:44

「干支本イベント」参加中。「蛇」ー21作目。

が「ナイス!」と言っています。
ヴェネツィア
パウロ・メンデス・ダ・ローシャは2度目の登場である。今回はキング・ハウス(1972年)とミラン・ハウス(1970年)である。キング邸はサンパウロ南部のゲートで厳重に守られた居住地区にあり、敷地2000㎡の大豪邸。高床式でコンクリートを打ちっぱなしにした外観は、もうほとんど要塞のイメージである。内部もまたコンクリートがそのまま扱われている。もう一つのミラン邸は、このコンクリートの内装が一層に剥き出し感がある。私たちの(少なくても私の)住居観からは随分遠いところにある建物である。
ヴェネツィア
2025/01/15 17:31

私は、これらの2邸に住みたいとは全く思わないが、それを離れて建築の意匠として見るならば、大胆な試みがあちこちになされていそうだ。

が「ナイス!」と言っています。
ヴェネツィア
【今回の感想は「道成寺」のみ】作者不明。出典は『本朝法華験記』や『今昔物語集』をはじめ多数。本編は四番目物に属する準夢幻能。前シテを白拍子が務め、奉納の舞を口実に女人厳禁の道成寺に入り込んで行く。始まってすぐに能の世界に投入できそうだ。後シテの出番は少なく、最後に現れるが、「鐘に向かつて吐く息は、猛火となつて、その身を焼く」と、自滅してゆく。本曲で一番の見せ場がここだろう。もっとも、主題からすれば、法力のありがたきことが語られるのではあるが。動きの大きな能であり、見て面白いだろうと思う。
ヴェネツィア
2025/01/15 17:18

詞章での感想だが、舞台でも見てみたい能である。「干支本イベント」参加中。「蛇」-20作目。

が「ナイス!」と言っています。
ヴェネツィア
原作は『風車小屋だより』のドーデ。絵もフランスのエリック・バテュー。語り手が詩人のグランゴァールに手紙でお話を語って聞かせるという珍しい形式をとっている。結末は勇壮なる敗北。このあたりは元来が遊牧民であったヨーロッパ人の感性かと思う。そして、自由に対する憧れと価値観の置き方が違っているのだろう。さすがは、「自由、平等、博愛」を標榜するフランスのお話である。油絵で描かれた絵がまた素晴らしい。自然の中を駆けるヤギの姿も抒情に溢れているし、敵役のはずのオオカミの表現も可愛いところがいい。
が「ナイス!」と言っています。
ヴェネツィア
片山廣子は歌人にしてアイルランド文学の翻訳家。堀辰雄の『聖家族』の細木夫人、『菜穂子』の三村夫人のモデルとされる。本編は随筆集『燈火節』(日本エッセイスト・クラブ賞受賞)に収録。蛇をめぐってかなり自由な筆致で(行き当たりばったりにと言えなくもないが)書いている。最初が、アイルランドの伝承。続いては『古事記』等に記される日本古代の蛇(ヤマタノオロチや三輪山伝承等)に転じ、藤原道長と陰陽師安部清明のエピソードと北条時政の事績に引き継がれる。いずれも出典を明らかにしないまま。さらにはエデンの園でイヴを⇒
ヴェネツィア
2025/01/14 16:35

⇒そそのかした蛇を思い出し、最後は自宅の庭にいたヌシと称していた蛇の話でしめくくる。芥川にも「才女」と言わしめたらしい人だし、このエッセイ集も評価されているのだが、私にはどうもそのようには思えない。「干支本イベント」参加中。「蛇」ー19作目。

が「ナイス!」と言っています。
ヴェネツィア
1795年に出た小冊子である。時にカントは晩年の71歳だった。この年号から直ちに連想されるのは、1789年のフランス革命だろう。まさに、この時期(18世紀後半)は戦争の世紀であった。カントは哲学者として、語る必要を感じたのだろう。この世紀はまたヴォルテールやルソーの啓蒙主義の時代でもあった。国は違えど、カントもまたこうした啓蒙思想の洗礼を受けていただろう。ここでカントがイメージしていたのは、国民国家だった。そこにわかりやすさと同時に限界もまたあったかもしれない。しかし、彼がここで語っていることは⇒
ヴェネツィア
2025/01/14 15:51

⇒その後の世界(20世紀にも21世紀にも通底する)を予見するごとくに見通してもいた。「将来の戦争を見こして結んだ平和条約は、平和条約ではない」ー日本もドイツもロシアもみんな相互に平和条約を結んでいたのは誰もが知る通りだ。こんな例には枚挙にいとまがないほどである。

が「ナイス!」と言っています。
ヴェネツィア
冒頭には、この物語の舞台となった富山の地勢が詳しく述べられる。伝承というには現代的であり、さすれば当時の都市伝説のようなものだろうか。「應」と称された、かの地を脅かした乞食集団を描く。彼らがやって来た時に、なにがしかの米銭を差し出さなければ、店先あるいは戸口に立ち並び「蛇くひ」をして見せるのである。嫌がらせのために行っているのであるからして、その様は当然見るに堪えない。後半には、伝承されてきた童謡も詠われるなど、現実と幻想とが混然と入り混じる。この辺りはいかにも鏡花の面目躍如たるところか。
ヴェネツィア
2025/01/14 07:36

「干支本イベント」参加中。「蛇」ー18作目。

が「ナイス!」と言っています。
ヴェネツィア
文は『ながくつしたのピッピ』のリンドグレーン。絵は、やはりスウェーデンのクリスティーナ・ディーグマン。リンドグレーンの故郷のスモーランドが物語の舞台になっているのだろうか。あるいは、その地に伝わる民話が下敷きになっているのかもしれない。文も絵も、冬のスウェーデンの情景が美しい。お話は小人が登場するファンタジーなのだが、現実にいともすんなりと溶け込んでいる。最後のシーンはことに抒情に溢れている。文が長いが、小学校3年生くらいなら一人でも読めるのではないだろうか。また、クリスマスの贈り物にもいいかも。
が「ナイス!」と言っています。
ヴェネツィア
ロスアンジェルスを拠点に活躍するレイ・キャピー。カリフォルニア・モダンの牽引車の一人であるようだ。これは彼の自邸なのだが、ラスティック・キャニオンのやや特異な場所に立地。意匠はどことなくライトを思わせる。外装にも内装にもふんだんに木が用いられていて、そのせいばかりでもなく日本的な感じもある。庭石から玄関へのアプローチなどもそうだ。また、周囲の森の樹々ともいたって調和がとれている。採光も十分で、外の景にすっかり溶け込んでいる。自然の中に割って入るのではなく、そこに居させてもらっているといった風なのである。
ヴェネツィア
2025/01/13 17:32

生活の上での利便性を考えなければ、こんな家に住んでみたいと強く思わせる住宅である。

が「ナイス!」と言っています。
ヴェネツィア
金子薫は24歳の時に『アルタッドに捧ぐ』でデビューし、文藝賞を受賞。その後、5つの長編を上梓しているが、これはその五作目。私にとっては4作目なのだが、若い作家の中では最も注目している一人である。残念ながら芥川賞は取り損ねたようだ。さて、この作品だが、オープニングは様々な意味で衝撃的である。内容もそうだが、その語りの斬新さにおいても。ただ、長編を支え切るには、緊張の持続が難しいようだ。したがって、アレッキニーノへの変身や、舞台の設定など新しい要素を加えては行くのだが、冒頭が印象的過ぎたことが逆に⇒
大粒まろん
2025/01/13 23:04

こんばんは、今年もよろしくお願い致します😊金子薫さんの「アルタッドに捧ぐ」を貰って行きます。

ヴェネツィア
2025/01/14 04:58

大粒まろんさん、ぜひ読んでみてください。

が「ナイス!」と言っています。
ヴェネツィア
堀辰雄34歳の短篇。前年に、堀の代表作となった『風立ちぬ』を出版し、この年には結婚もしている。いわば堀にとっては充実していた時期だっただろうか。執筆の場所は書かれていないが、旧軽井沢あるいは鎌倉の旅館でのことであっただろうか。本篇は一見したところ私小説風であるが、やはり堀辰雄独特の心理描写を内に孕んだスタイルと見るべきなのであろう。そのためには、標題には現れてはいないが、蛇が小説に大きな機能を果たしている。堀は文中で、蛇嫌いとは言いつつも、抜け殻しか目ていないためか、怖くはないようだ。小説の末尾で⇒
ヴェネツィア
2025/01/13 11:01

⇒「僕にとって何かの瑞兆であればよい」と締めくくる。この年に限って言えば、あるいはそれは堀にとって瑞兆であったかも知れない。「干支本イベント」参加中。「蛇」-17作目。

が「ナイス!」と言っています。
ヴェネツィア
バージニア・リー・バートン 作。『ちいさいおうち』や『いたずらきかんしゃちゅうちゅう』とともに、本作も彼女の代表作の一つ。以前に別のところにも書いたが、男の子たち(幼児)はとにかく働く車が大好き。作家の長男のマイクもきっとそうだったのだろう。ちなみに本書はそのマイクに捧げられている。主人公の名前もマイク。相棒ははスチーム・ショベルのメアリ・アン。二人の仕事ぶりと、その顛末を描く。題材となったスチーム・ショベル自体がこの当時、すでに廃れていたと思われるが、そこはSL趣味と同じくノスタルジックで力強い⇒
ヴェネツィア
2025/01/13 08:01

⇒ところが子ども心に強く訴えかけるのだろう。絵もクラシックな趣き。初版は1939年。絵本もアメリカン・クラシックとして今に残る。

が「ナイス!」と言っています。
ヴェネツィア
熊楠の博覧強記ぶりにはもう恐れ入るばかり。冒頭の『古今要覧稿』や『淮南子』、『荘子』などはほんの入門編。続いてはバルフォール『印度事彙』、テンネント『錫蘭博物志ナチュラル・ヒストリ・オヴ・セイロン』、グベルナチス『動物譚原ゾーロジカル・ミソロジー』と続々と古今東西の文献が惜しげもなく並べられる。そして、それは最後まで尽きることがない。もっとも、玉石混交なのは熊楠自身、百も承知。中には『絵本太閤記』に記す淀君のエピソードのように多分に眉唾ものもある。それにしても、いずれの項目も面白い。「蛇と方術」⇒
ヴェネツィア
2025/01/12 16:18

⇒「蛇と財宝」、「蛇の変化」などなどどこまでも語り続けて倦むことがないのである。これが「蛇」の項だけの話。この調子で十二支の全てを語って行くのだから、熊楠は実に恐るべき巨人。「干支本イベント」参加中。「蛇」ー16作目。

が「ナイス!」と言っています。
ヴェネツィア
元はロシアの民話なのだろう。トルストイ作とはいうものの、フォークロアの趣きを強く残している。そて、これもまた3人兄弟の物語である。そして、これまた役立たずだと思われていた三男だけが成功する。例は枚挙にいとまがないが、巷間よく知られたところでは、『3匹の子豚』や『長靴をはいた猫』などがその典型である。若干違っているのは、本作では三男が役立たずどころか、みんなに「馬鹿」と思われているところか。長男のセミヨンは軍人として力(権力)を、次男のタラスはお金を自身のアイデンティティとしている。そして、三男坊の⇒
ヴェネツィア
2025/01/12 14:53

⇒何も望まない。無私であり、すなわち無垢なのである。トルストイがそこにこそ人間としての理想を見ていることは言うまでもない。悪魔が登場するので、その限りではキリスト教的といえなくもないが、宗教的であるよりもむしろ率直な民衆感情の反映だろう。

が「ナイス!」と言っています。
ヴェネツィア
文はスイス生まれのフランツ=ブランデンベルク、絵はアメリカ生まれのアリキ=ブランデンベルク夫妻の絵本。出版はニューヨークのようだ。弟のエドワードが病気(見たところは風邪)になったので、家族のみんなが世話をやく。あたし(エリザベス)はなんだかつまらない。今度はエリザベスが病気に。やっぱり健康が一番、そして世話をされる(愛される)よりも、世話をする(愛する)方がずっといいというお話。教訓めいた調子は全くないが、主人公たちが擬人化されたネコの一家という以外はとりたてて物語的な要素のない、いたって普通の絵本。
ヴェネツィア
2025/01/12 08:18

こうした日常的な絵本は、子どもたちの反応はどうなのだろう。自分も覚えがあって、共感を持って迎えるのだろうか。

が「ナイス!」と言っています。
ヴェネツィア
第3巻は「戦争のなかの民衆」。大半はヨーロッパ戦線のもの。ドイツ軍によるウクライナ侵攻、ベルリンの陥落、独ソ戦などが取り上げられている。TVと違って惨殺死体も、また絞殺処刑の写真もある。もちろん、大量の戦死者や犠牲になった民衆の写真も。ことにレニングラード攻防戦は凄惨を極める。そんな戦火の中で工場労働に勤しむ女性たちの姿も。ただし、生産しているのは砲弾なのだが。「正義」なるものの行方をあらためて思う。
が「ナイス!」と言っています。
ヴェネツィア
ネタバレ本作が李龍徳のデビュー作。第51回(2014年)文藝賞を受賞。最後はともかく、全体はタイトルの持つ印象ほどには深刻な小説ではない。これまで万事いい加減に生きてきた(家族の中での劣等感を持ちながら)徳山が、初美に引きずられるままに結末へ向かうのは理解の範疇にある。ところが、初美の行動は初めから終わりまで謎だらけだ。徳山を見初めた理由もわからないし、彼女の行動原理も全く掴めない。入学金紛失に彼女が関わっていたのかどうかもわからないし、徳山との結婚を両親に告げ反対された(在日の故に)その意図もまた不明だ。⇒
が「ナイス!」と言っています。
ヴェネツィア
【感想は「金色の蛇」のみ】森茉莉は多分初読。さすがは鷗外の娘という貫禄である。1965年の作品。端的に言えば男色恋愛小説。裕福な男性クロオド(30代前半くらいか)と、春次(ジェニと呼ばれる。10代後半)の物語。オープニングは、クロウドの妻の死をめぐっての警察の取り調べのシーンから。もちろん、彼女の自死の原因はジェニにあるのだが、刑法上の罪は問いようがない。ジェニに身も心も溺れるクロオド。ジェニは、クロオドにとっては、ファンム・ファタルならぬオンム・ファタルである。魔性の男といってもいい。二人の情交の場面⇒
ヴェネツィア
2025/01/11 13:01

⇒も、またジェニに魅入られるクロオドを描くにも、森茉莉は実に上手い。男色を熟知しているのである。おそらくは大半の男たちよりももっと。BL愛好者の方は一読してみられてはいかが?あるいは、お気に召さないかもしれないけれど。なお、タイトルの「金色の蛇」はジェニのメタファーとして機能している。

が「ナイス!」と言っています。
ヴェネツィア
文のクリストファー・グレゴロスキーはケープタウン生まれ、絵のキャロリン・ブラウンはナイロビ生まれと、共にアフリカにルーツを持つが、現在は二人ともヨーロッパで活躍する。なんのとりえもないために、他の動物たちのように仕事につけないロバが最後にたどりついたのは…。最後のシーンが種明かしめいているし、ここに至るためにだけそれまでのお話があったようで、拍子抜け感は否めない。絵は美しく、動物たちの目の表情だけを擬人化することで感情を語らせている。チュニジア風の背景もいい。
が「ナイス!」と言っています。
ヴェネツィア
この巻はアドルフ・ロースである。取り上げられているのはミューラー邸(プラハ)と、モラー邸(ウィーン)の2邸である。たしかに、これらは姉妹邸といわれるくらいよく似ている。モラー邸の方が2年ほど先行するが、規模はやや小さいようだ。時代からすれば、ユーゲントシュティールと、そしてクリムトらのセセッションのすぐ後くらいだが、これら2邸は大人しくシンメトリックな調和を重んじているかのようだ。モラー邸が一層にその感が強い。ミューラー邸は室内空間に石を持ち込んでおり、まだしも斬新な感じがする。
ヴェネツィア
2025/01/10 17:11

どちらに住みたいかと問われれば、迷わずモラー邸を選ぶが、ミューラー邸の窓から見えるプラハ城の景観は捨てがたい。

が「ナイス!」と言っています。
ヴェネツィア
自身が現役の医者でもある、夏川草介の医療小説。今回はコロナとの壮絶なまでの戦いを一地方病院を舞台に描き出す。信濃山病院は架空のものだろうが、おそらくはモデルが4あるのだろう。信州のどこかの病院であるかもしれないし、作中にわずかに仄めかされる相模原病院であるのかも知れない。いずれにしても、未知のコロナが猛威をふるっていたいたあの時期に、ここに描かれたような医療行為に苦闘していた医師たちは全国にいたはずである。まだ終息したわけではないが、これも作中で語られているように、手探りの段階から既知のものへと、その⇒
ヴェネツィア
2025/01/10 20:11

みあさん、単なる間違いです。

ヴェネツィア
2025/01/10 20:11

みあさん、単なる間違いでした。

が「ナイス!」と言っています。
ヴェネツィア
【感想は「蛇の話」のみ】3つの独立した掌編からなる。「その一」は、お母さんが子どもと仲よしの蛇をまきでうち殺してしまったために、子どももしだいに弱って亡くなってしまうというお話。日本的な祟りや因果応報は似合わないが、しいていうならハンムラビ法典の「目には目を」に近いだろうか。「その二」は、女の子がスカーフを広げたところにやって来た蛇が頭にのせていた金の冠を置いて行ってしまう。女の子がその冠を奪うと、蛇は悲しみのあまり死んでしまうというもの。けっして教訓的なお話ではなく、むしろ哀しみの表象が漂う。⇒
ヴェネツィア
2025/01/10 06:40

⇒「その三」は蛙のお話。ドイツ語では蛇も蛙もUnkeという言葉であるらしい。「干支本イベント」参加中。「蛇」ー14作目。

が「ナイス!」と言っています。
ヴェネツィア
荒井良二 作。絵はこの人に特有の、絵本の常識を覆すような破壊的なもの。ここでもヘタウマ路線を突っ走る。鉛筆描きの線描に(それもしばしばはみ出たり、デッサンがズレたりもする)濃い目の水彩絵の具を塗りたくったような、小学生タッチの絵。でも、時々はプロの画家の片鱗を見せたりもする。お話は、これまたあってないような。「えほんのこども」があちこちへというお話(お話というよりは歌のよう)を届けに行くというもの。リズムを最重視したのだろう。
が「ナイス!」と言っています。
ヴェネツィア
【感想は「蛇の声」のみ】生と性の抑圧が重苦しくのしかかる、初めから最後まで徹底して暗鬱な小説である。2つの事件記事と、それを題材に執筆する老作家の志賀の回想からなる。最初の事件は、交通事故を起こしてしまい、その賠償金を払えず、挙句に夫婦が幼い子どもと心中死するばかりか、被害者の側も事故の後遺症と治療費に苦しむというもの。後半のそれは生活苦にあえぐ老人が、その母親ともども農薬で服毒死を遂げるもの。作家の心情は半ばそれらに同化しつつも終幕ではウィリアム・ブレイクの詩によって昇華されたかに見えるが、疑問も残る。
ヴェネツィア
2025/01/09 15:31

タイトルの「蛇の声」は出口を塞がれた暗鬱たる心象のメタファーであろうと思われる。作中には全く言及はない。「干支本イベント」参加中。「蛇」ー13作目。

が「ナイス!」と言っています。
ヴェネツィア
三浦しをんには珍しい奇譚風の伝承物語。彼女の作品の中で成功しているものは、例えば『舟を編む』にせよ、『風が強く…』にせよ、『神去なあなあ…』にせよ、いずれもそれぞれの条件の中で主人公が精いっぱい努力を傾けるというものであった。そして、読者はそのひたむきな姿に共感を寄せるのである。ところが、この作品では、拝島という特殊な神体系と伝承を持った場を設定してしまったがために、主人公たちの動きを拘束してしまったようである。その結果、伸びやかさを失い、狭量な小説世界に留まってしまったのである。残念。
ヴェネツィア
2025/01/09 12:24

keiさん、私は体系的に読んでこなかったのですが、初期作品はこんな感じだったのですか。だとすれば、どこかで転機をつかんだのですね。

酔拳2
2025/01/09 21:39

分析力よ…

が「ナイス!」と言っています。
ヴェネツィア
【感想は「白い蛇」のみ】ここでは白い蛇が主体的な働きをするわけではない。最初は王さまが、次いでは召使の一人がこれを食べるのである。そうすると鳥たちの話が聴きとれるようになるのである。『ジークフリート』(原話はゲルマン神話)で、主人公のジークフリートがファーフナー(大蛇)を倒した時に、その血を浴び、鳥たちの話が聴きとれるようになるのとまさに同じである。物語の後半は召使いの旅と、救済、そして難題解決に発展してゆく。救済は当然、3度。そして難題も3つである。まさにユングが言う「3の命数」がここにも。
ヴェネツィア
2025/01/09 07:55

ちなみに、最後の難題として登場する「命の木になる金のリンゴ」のモチーフも『ニーベルングの指輪』のワルハラ(天上の神々の世界)の金のリンゴ(神々の糧である)に通底しそうだ。「干支本イベント」参加中。「蛇」ー11作目。

が「ナイス!」と言っています。
ヴェネツィア
イギリスの絵本作家ジョン・バーニンガムの作品。この人は受賞歴も多く、邦訳されているだけでも随分たくさんの絵本がある。私は、まだこれが3作目。本書は、少年(6歳くらい?)が、「もしも…」の仮定のもとに、次々に奇妙な選択をせまるというもの。それ自体も面白いし、さらには絵がいい。表情だけをわずかに擬人化された犬(これが滅法かわいい)や牛、オオカミ。一人で読んでも楽しい。子どもにと一緒に読んでも楽しい。大勢の子どもに読み聞かせても楽しめる。お薦め!
kankoto
2025/01/09 13:57

大好きな絵本です。子供が小さい頃に結構読みました(夜寝る前が絵本タイムでした)まだちゃんととってあります。

ヴェネツィア
2025/01/09 15:07

kankotoさん、大人も子どもも楽しめる絵本ですよね。

が「ナイス!」と言っています。
ヴェネツィア
日本の上代神話や中世伝承における蛇神を徹底的に追求した研究書。1980年刊といささか古いが、この分野ではいまだに最も網羅的かと思う。通読したのは実に久しぶり。『古事記』の三輪山伝承、『記紀』に見られる倭迹迹日百襲姫命(ヤマトトトビモモセヒメノミコトと読む)ーこれらはいわゆる箸墓伝承であるが、これらの神話に見られる男神の正体は蛇であった。以下にイザナミ、肥長比賣伝承、そして道成寺伝承を語って行く。個々の論にはそれぞれあるいは解釈上の異論はあるかもしれないが、著者畢生の研究書かと思う。
ヴェネツィア
2025/01/08 15:59

「干支本イベント」参加中。「蛇」ー10作目。

ヴェネツィア
2025/01/08 17:32

「ヤマトトトビモモセヒメ」⇒「ヤマトトトビモモソヒメ」の打ち損ないです。

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ヴェネツィア
【感想は「三枚の蛇の葉」のみ。】お話としては短いのだが、その中にいくつもの要素が含まれた物語。そして、それらの中核をなすのがタイトルになっている「三枚の蛇の葉」。貧しい若者(名前はない。また、こうしたケースによくある三男坊ではなく、一人っ子)が戦争で英雄になり、王さまの娘と結婚するというのが発端。若者はこの娘に殉死しなければならなくなるのだが、それを救ったのが蛇の葉。彼は墓所で蛇を3つに切り裂くのだが、別の蛇がやってきて3つに斬られた蛇を3枚の葉でよみがえらせる。日本の民話あたりなら、蛇の祟りが⇒
ヴェネツィア
2025/01/08 15:41

⇒ありそうなものだが、こちらは全くそういうことはなく、それどころか若者はその3枚の葉を使って王様の娘を生き返らせる。後半は娘の裏切りと追放、死と、娘の方は自業自得の目にあう。もっとも、これとても蛇には関りがない。つまり、三枚の蛇の葉は、物語の中では不思議な力を持つアイテムといった働きを持つだけだったということになる。「干支本イベント」参加中。「蛇」ー9作目。

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ヴェネツィア
お料理において「蒸す」というのは、これまで私には欠落していた発想でした。我が家には、豚マン(=肉まん)を蒸す時に使う金属製の蒸し器と、タジン鍋(それも最初の珍しいうちはともかく、最近ではほとんど使っていません)しかありません。まさに目からウロコ。レシピもたくさんあって、しかもどれも簡単そうです。お料理ごとに蒸す時間も火加減も明記されていて、これなら失敗がなさそうです。「せいろの魅力にとりつかれたOL、りよ子」(著者)さん、ありがとう。さっそくお薦めの杉のせいろを購入して、試してみます。
Mimi Ichinohe
2025/01/10 12:30

読みたい本に登録させていただきました。蒸し料理って私も馴染みがなきのですが、身体に良さそうです😊

ヴェネツィア
2025/01/10 15:04

Mimiさん、あまり面倒ではなく、しかも身体にも良さそうです。

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ヴェネツィア
ニコラ・ベイリー 絵。ニコラはイギリスのイラストレーター。本書がデビュー作。お話は「マザーグース」そのままなのだが、数ある歌の中からどれを選ぶかは作家(画家)のセンスがかかっているだろう。彼女は魔的な要素のある歌を多く選んでいるように思われる。典型的なのが「コックロビン」。S・S・ヴァン・ダインが『僧正殺人事件』で用いたあの歌である。細密に描きこまれた絵は、深みのある色彩とともにきわめて印象的。時にはシャガール風の構図を見せたりもする。ただ、あまり子ども向きではないかも知れない。
ヴェネツィア
2025/01/08 14:45

Johnnycakeさん、ご紹介いただいたYouTubeを聴いてみました。言葉は現代風な気がしますが、節回しや伴奏音楽は古いスタイルのようで、古雅な響きでした。感謝!

ヴェネツィア
2025/01/08 14:46

ykshzkさん、他の人の絵でもシャガール風の構図をとったものがありますね。

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ヴェネツィア
今回は『道成寺縁起』のみの感想。今も絵説きが行われている道成寺。安珍・清姫の伝承として知られるが、この縁起では僧にも女にも名前がない。いわば古いスタイルを踏襲しているのである。15世紀後半頃のものと推定されている。この伝承の起源は古く、様々な文献に記述が見られる。また、新しいところでは歌舞伎舞踊の『京鹿子娘道成寺』などもある。さて、絵巻だが、ほぼ伝承に忠実であり、日高川で蛇体に変身した女の絵も巷間によく知られたもの。壮絶な鐘巻もまたそうだ。全体に保存状態もよく、色彩も鮮やか。
ヴェネツィア
2025/01/07 16:15

「干支本イベント」参加中。「蛇」ー8作目。

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ヴェネツィア
しばらくぶりに読む山田詠美。これまでには結構読んでいて、これで29冊目。今回のこれが最も軽い文体(ポンちゃんのシリーズは未読だが)。主な登場人物は3人。妻の喜久江(売れっ子のお料理研究家)とその夫の太郎(あまり売れないイラストレーター)、そして愛人の桃子(喜久江の助手)といった顔ぶれ。三者のあり方は不倫というよりは、昔の三角関係という言葉の方がピッタリくるようだ。そして、文体がそうであるように、三者三様に能天気でもある。ことには太郎がそうだ。こんな関係にありながら、全く切迫感がない。とすれば、山田詠美が⇒
ヴェネツィア
2025/01/07 14:32

⇒描こうとしたものはいったい何だったのか。軽やかに始め過ぎて、書いているご本人もその流れのままに突っ走ったのだろうか。

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ヴェネツィア
文のマーガレット・ワイルドはシドニー、絵のロン・プレックスはタスマニアとオーストラリアのコンビによる絵本。登場するのはぶたのばあちゃんと、孫むすめだけだが、行動は擬人化されている。ぶたばあちゃんの終末を描く。悲しくはあるが、最後の1日は美しい思い出に満ちている。これなら安心して神様の御元に行けそうだ。絵はとりたてて個性的というわけではないが、全体を包むパステルカラーが美しい。ことに最後のページの、孫むすめとガチョウが空を見上げるシーンが秀逸。
ヴェネツィア
2025/01/08 09:06

yominekoさん、おはようございます☀️幸せな(ただし覚悟を持った)終末です。

yomineko@鬼畜ヴィタリにゃん🎄🎅🎄
2025/01/08 09:07

そうですか、、、

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ヴェネツィア
著者の中谷宇吉郎は高名な物理学者 。雪の研究で知られる。また、エッセイストとしての評価も高い。「簪を挿した蛇」は、怪談めいたタイトルに見えるが「文藝春秋」に掲載されたエッセイ。前半は中谷が生まれ育った大聖寺(福井県)での少年時代を回想する。大正初年の頃である。近くにあった錦城山は、子どもたちにとって簪を挿した蛇などが跳梁跋扈する魔境だった。長じて回想するに、そうした荒唐無稽さこそが子どもの科学教育にとっては、本当に必要なものではないかと語るのである。すなわち「簪を挿した蛇」は、まさにそのシンボルであった。
ヴェネツィア
2025/01/07 07:17

「干支本イベント」参加中。「蛇」ー7作目。

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ヴェネツィア
文のゼリーナ・ヘンツも、絵のアロワ・カリジェもともにスイスの人。本書は1957年度の国際アンデルセン賞の絵画賞を受賞。お話はウルスリが妹のフルリーナを大雪の日にお遣いに出し、フルリーナがあわや遭難しそうになるが、ウルスリに無事に助け出され(表紙の絵)、二人で子どもそり大会を楽しむというもの。絵は線描にポスターカラー(?)で彩色。独特のタッチでスイスの山里を描き出す。パーティでの様子も、最後の木を植えるシーンもいい。やはり絵が作品を支えているようだ。
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ヴェネツィア
この巻は20世紀建築の巨匠ミース・ファン・デル・ローエの登場である。ミースはバルセロナ万博のために建てた「バルセロナ・パヴィリオン」で名高いが、このトゥーゲンハット邸も、それとほぼ同じ頃(1928-30年)に建てられている。パヴィリオンがいわば公的な性格を持つとすれば、こちらは個人宅であり、私的な建築ということになる。立地はブルノ(チェコ)の街から丘を上がったあたり。緑に囲まれており、遠景に眺められるブルノの街並みが美しい。敷地には高低差があり、それを活かす形で立っている。外観は白亜の建物であり、採光⇒
ヴェネツィア
2025/01/06 16:53

⇒のための窓が大きく取られている。そして、それは自ずと眺望の良さにもつながるのである。内装は石と光沢のある金属をふんだんに用いているのだが、そのために幾分冷たい印象を与えそうである。その代わりではないだろうが、植物が多数繁殖し、室内にまであふれているものもある。私なら、室内にも木目の温もりが欲しいところだ。

が「ナイス!」と言っています。
ヴェネツィア
田中貢太郎による民話風の怪談。物語の舞台も田中の出身地である高知県高岡郡にとられているので、あるいは彼の地に伝わる伝承に基づいているのかも知れない。日本には蛇の祟りを物語る民話も多く残されている。また、大蛇にまつわる昔語りも多い。となると、後は語りの上手さ加減が作品の成否を決めることになるが、田中貢太郎は、なかなか巧みである。とりわけ怖さを表現するのが、直接には大蛇そのものを登場させることなく、剥いだ蛇の皮に恐怖像を仮託させる点である。しかも、けっして祟りであると明言しないところがまた巧妙である。
ヴェネツィア
2025/01/06 10:38

「干支本イベント」参加中。蛇の第6弾。

が「ナイス!」と言っています。
ヴェネツィア
「飛行機を使わずに東京からイスタンブールに辿り着けるか」という企画の後編。北京からモスクワまで一気に列車で行ってしまえば簡単なのだが、ここはあえてアジア諸国の国境をできるだけたくさん越えて行こうという副題を自らに課していたのだろう。もうかれこれ30年も以前のことなので、今とは違って国境越えは遥かに困難だっただろう。また、何度も中国に入国し、その度に「メイヨウ」に不快な思いをしながらもイスタンブールに辿り着く。道中で最も感動的なのはチベットの人々との邂逅だろう。
ヴェネツィア
2025/01/06 08:43

今ではもはやできないだろうが、この人は私たち旅に憧れる者がしたくてもできない旅に挑戦し、紀行として提供してくれる数少ない辺境旅のプロフェッショナル。ちょうどいいことに、高野秀行の旅のスタイルとは全く違うスタンスである。しいていえば沢木耕太郎の『深夜特急』の抒情を控え目に、ただしその分無茶ぶりを加えたといった感じか。

が「ナイス!」と言っています。
ヴェネツィア
著者の岡根谷実里氏は「世界の台所探検家」を名乗る。もともとは土木工学の専門家であったようだが、いつの頃からか台所探検家に。手法は、現地で2,3日間ホームステイをさせてもらって、家庭料理を学ぶというもの。タイトルには台所を掲げるが、実際には料理に主眼が置かれている。取り上げられた国はアジア3か国、ヨーロッパ5か国、中南米2か国、アフリカ2か国、中東3か国に及ぶ。いずれもとっても興味深いが、この仕事をするからには何でも食べられないとできそうもない。パレスチナの項で、山盛りになった牛やヤギの脳みそを供される⇒
ヴェネツィア
2025/01/05 16:38

⇒シーンがあるが、彼女にとってそれは「待ちに待った、牛とヤギの頭料理」であり、「おしゃべりもそこそこに、必死で食べ続ける」ものなのである。もちろん、頭から直接スプーンを突っ込んで食べるのである。なお、アテネでよく食べたファラフェルがイスラエル料理であることを初めて知った。

が「ナイス!」と言っています。
ヴェネツィア
鈴木三重吉の童話。初出は「赤い鳥」。今でこそ、だれしも一度くらいは(実際に、またはテレビなどで)蛇つかいを見たことがあるだろうが、当時(大正12-1923年)はそのもの自体が十分に珍奇でエキゾティックなものだっただろう。その意味では、物語のオープニングからワクワクするお話だったと思われる。物語の後半で蛇つかいのケリムとフランス領事のデラポールトの対決のあたりで、読者にもおおよそ結末の想像がつきそうだが、それにしても実に鮮やかな手際であった。お見事!といったところ。
ヴェネツィア
2025/01/05 13:44

干支本イベントに参加中。「蛇」の第5弾。

が「ナイス!」と言っています。
ヴェネツィア
王谷昌は初読。アマゾンで購入したのだが、届いて表紙を見た途端(少なくても出版社は)エンターテインメント小説に位置付けられていることがわかった。事前には、もう少し純文学よりのものを想像していたのだが。主人公の依子は北海道の奥深くで、伊賀のカバ丸のごとく祖父に徹底的に鍛えられた喧嘩の達人である。ただし、超人的な力を持つわけではなく、そのあたりはリアルの限界を越えることはない。相方は深窓の令嬢(とはいってもヤクザの会長の一人娘)と、作家の方も開き直ったようなエンターテインメント追求の姿勢を見せる。⇒
ヴェネツィア
2025/10/10 08:51

混沌さん、おそらくは翻訳者が優れていたか、もしくは翻訳によってかなり別物になったかだと思います。

混沌
2025/10/12 17:21

そういえば、海外の翻訳はかなり「意訳」しちゃうってのは聞いたことあります。

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ヴェネツィア
主人公の(物語の語り手でもある)田中さんが借りることになった部屋は、立地こそ抜群にいいのだが(S駅との記載だが、下北沢がモデルであると思われる)、建築法を度外視したツギハギだらけの建物の一角で、その家にいるのはちょっと変わった人たちだった。田中さんは容姿も、才能も、その他あらゆる点で、いわゆる普通である。そんな田中さんが、この異世界でやがて自身が奇妙な体験をすることになる。基本的には田中さんの日常が描かれるのだが、そこに紛れ込む(時空がねじれるのだろうか)非日常を、あくまでも日常のレベルで描いてゆく⇒
ヴェネツィア
2025/01/04 16:58

⇒ところに特質を持つ。これまでに読んだ柴崎友香の描いた小説では、芥川賞作の『春の庭』がこれに最も近いか。その延長上にあるといえばいえそうな作品である。

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ヴェネツィア
夢野久作らしい、とぼけた味わいの掌編小説。そりゃあそうだよね、との共感覚がいわば作品のすべてか。互いにとっての立場の違い、および認識の違いは歴然。蛇にとって蛙は、とるにたりないもの。一方の蛙にとって蛇は天敵。共存はありえない。蛇に害する心のあるなしに関わらず。
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ヴェネツィア
鍋田敬子 作。おかあさんが、なっちゃん(幼稚園児)が小さかった頃(出生~今)のことを話して聞かせてくれる。ただ、それは大幅にデフォルメと脚色が加えられたものだった。でも、それを聴くなっちゃんは幸せそうだ。語りは大阪弁かなとも思ったが、文末の「よ」が違うなと。著者の経歴を見れば香川県の人だった。納得。どこの言葉であれ、こういうのは方言での語りがよく似合うようだ。
が「ナイス!」と言っています。
ヴェネツィア
太宰のエッセイ。執筆時期と初出誌は確認できなかったのだが、おそらくは第二次大戦がそれほど逼迫する前、したがって太宰自身もまだ若かった頃だと思われる。全体主義哲学について語っているのだが、随分回りくどく、畢竟はそれを忌避したいのだろうと思われる。まずは認識論から検討し、これは行き詰ると予想する。したがって次に現れるのは象徴である。最後は再び認識論に戻るのだが、結論は「読者なんのことかわかるまい。いけなかった」と反省してみせる。それは正直なところでもあろうし、一方では論理的にではなく、直観において危機感を⇒
ヴェネツィア
2025/01/03 17:23

⇒抱いていたものと思われる。なお、タイトルの多頭蛇はギリシャ神話のヒュドラ、あるいは日本神話のヤマタノオロチを暗に示すものと思われるが、そこにも得体の知れなさが暗喩されていたのではないだろうか。

が「ナイス!」と言っています。
ヴェネツィア
パウロ・メンデス・ダ・ローシャは本国ブラジルのみならず、世界的な評価を得ている建築家である。彼の自邸があるのは、サン・パウロの「カーサ・バンデランチ」として知られる18世紀の重要な住宅群が保存されている地域。住宅地とは言っても日本のそれとはスケールが大きく違う。広大な邸という印象である。コンクリートが打ちっぱなしの外観は、要塞を思わせるもの。形こそ方形だが、トーチカを連想させるのである。もっとも、機能的には住環境に十分に配慮されており、半ば高床の上に建つ建物は中間部に窓を大きくとり、採光と風通しとを確保⇒
ヴェネツィア
2025/01/03 17:08

⇒している。内部空間は、これもコンクリートが剥き出しであるために、そっけないというか、基地めいた印象を受ける。機能的にはともかく、暖かみには欠ける家である。もっとも、それも日本とは気候風土を大きく異にするためであるのかもしれない。

が「ナイス!」と言っています。
ヴェネツィア
タイトルと表紙からはそれと気が付かなかったけれど、これもクリスマス本。でも、表紙には雪に隠れているとはいえ、モミの木が描かれていますね。ぐりとぐらが雪の上で見つけた大きな足跡は彼らの家に向かっている。さて、その正体は…というお話。サンタさんが焼いてくれた大きなチョコレートケーキに二人は大喜び。テーブルの上には計測用の時計もあって、サンタさんはこれで焼いたりする時間を計っていた模様。案外に日常に密着したサンタさんなのでした。そうそう、暖炉では手袋も乾かしていました。
宵待草
2025/01/03 08:53

ヴェネツィアさん おはようございます。 大好きな『ぐりとぐら』シリーズの蔵書の一冊、今年2冊目の共読絵本を嬉しく、レビューを拝読しました!💫 えりこさん&ゆりこさん姉妹は、素晴らしい絵本の数々を遺して下さいましたね!🍀 殊に此の『ぐりとぐら』シリーズは不滅かと思います!💕 今日も穏やかな、良きひと日で在ります様に!✨ 宵待草

ヴェネツィア
2025/01/03 08:55

宵町草さん、いつもありがとうございます。今年もどうぞよろしくお願いします。

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ヴェネツィア
鷗外49歳の作品。物語の場は信州の山の中にある旧家。語り手は鷗外自身のように見えるが、私小説というわけではない。一人称語りによった客観体小説である。この豪家(穂積家)の当主、千足のこれまでの来歴が、そして妻についても、これまでの人となりと結婚後のそれとが語られる。二人には子どもがなく、また姑との折り合いはあまりよくなかったようだ。その妻が姑の初七日に仏壇で蛇を見てからおかしくなったというのである。大きな青大将を「私」(ただし人称は用いられていない)がやすやすと捕まえるというもの。プロットの説明ばかりが⇒
海猫兄弟
2025/01/02 20:27

淡々とした語り口なのにその場の情景や人柄までもがありありと浮き上がり、その現実感と浮き世離れした話の乖離に落ち着かない気持ちにさせられました。

ヴェネツィア
2025/01/02 20:47

海猫兄弟さん、まさにおっしゃる通りかと思います。さすがに鷗外かと。

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ヴェネツィア
本書は生物学の古典的名著の誉れ高いもの。著者のヤーコプ・フォン・ユクスキュルはドイツの(ただし生まれはエストニア)生物学者。「環世界」の提唱者として名高い。それぞれの生き物は、それぞれに固有の知覚と体験的世界を持っているとする。ともすれば、私たちは人間の感覚になぞらえて考えがちだが、彼らは彼ら独自の世界を生きている。例えば冒頭に登場するダニの環境世界は、酪酸と接触刺激、そして体温刺激とから成り立っているとするのである。どの項目でもそうなのだが、読んでいると、これが生物を語っているのだが、哲学の体系を⇒
ヴェネツィア
2025/01/02 16:54

⇒語っているかに思えることである。ユクスキュルの思想体系が確固としてそこにあるからだろうか。もちろん、そうだからといってその体系に生物をあてはめようとしているのではない。

が「ナイス!」と言っています。
ヴェネツィア
アーノルド・ローベル 作。ローベルは「かえるくんとがまくん」シリーズでよく知られた絵本作家。お話は、ずっと昔、まだ色のない(すべては無彩色)の「はいいろのとき」にはじまる。やがて、魔法使いが青色を作り出し「あおいろのじとき」を迎え、「きいろのとき」、「あかいろのとき」を経て、とうとう世の中が今のようなフルカラーになったというもの。特徴的なのは絵。かえるくんシリーズではシンプルだったが、ここでは実にたくさんの人たちや動物、溢れるモノが描きこまれている。今回は色を含めて、この賑やかさを楽しみたい。
みなみ
2025/01/02 16:31

ヴェネツィアさん、わたしはローベルの中でこの絵本が一番好きです。数年前に立川で原画展が開催されたのですが、見入ってしまいました。

ヴェネツィア
2025/01/02 16:40

みなみさん、私も「かえるくん」のシリーズよりもこちらの方が好きです。

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ヴェネツィア
(感想は「蛇性の婬」のみ)「蛇性の婬」は、『雨月物語』の他の8篇にも共通するように、原典を持つ翻案小説である。「蛇性の婬」の原典としては夙に中国白話小説の『警世通言』第28巻の「白娘子永鎮雷峰塔」を基軸に『道成寺縁起』その他が指摘されてきた。また、谷崎潤一郎らが愛読していたことでも知られる。たしかに雨の出会いにはじまる真女子の造型は読者をも惑わせるほどに妖艶である。「浅茅が宿」の宮木も妖艶ではあるが、その質は全く違っている。宮木が凄惨さを秘めた月のような妖艶さであるとすれば、真女子のそれは爛漫たる春の⇒
ヴェネツィア
2025/01/01 17:44

⇒妖艶さである。しかも、「待つ」女である宮木に対して、真女子はどこまでも積極的に豊雄に迫ってゆく。本編を豊雄の成長物語とする見方もあるが(それも首肯できなくはないが)私はやはり真女子の物語であると見たい。その一途さは、本質においては「蛇性」ではありつつも「あはれ」である。

が「ナイス!」と言っています。
ヴェネツィア
三浦しをんさんお得意のお仕事小説なのだが、今回はそのお仕事がいたって特殊。文楽の若き大夫なのである。文楽の世界に飛び込んだ健の、文楽においての、そして人間としての成長物語として描かれる。各章のタイトルは、例えば『女殺油地獄』や『日高川入相花王』などと文楽の演目をあてている。しをんさんの意気込みも気合も十分。最終章『仮名手本忠臣蔵』6段目勘平切腹の場での「ヤア仏果とは穢らはし。死なぬ死なぬ。魂魄この土に止まつて、敵討ちの御供する」はもう圧巻。まさに浄瑠璃の「虚」の空間が「実」に飛翔する。それを描くしをん⇒
ヴェネツィア
2025/01/01 17:25

⇒さんの筆致も、ここに感極まる。それはまさに、近松の言説とされる「虚実皮膜」の境界が消える瞬間である。

が「ナイス!」と言っています。
ヴェネツィア
クリス・ヴァン・オールズバーグ・作。本書で1986年度コルデコット賞を受賞。文も絵も幻想に満ちた物語。もっとも、絵はリアリズムを基軸にしているが、文と相まって幻想性を醸し出す。「ぼく」の幼年時の回想記の形式をとる。クリスマス・イヴの夜に「ぼく」を迎えにやってきた汽車に乗って北極へ。列車で幻想空間に向かうという趣向は宮沢賢治の『銀河鉄道の夜』(あるいは松本零士の『銀河鉄道999』か)に触発されてのものだったかも知れない。サンタさんからもらったのは銀の鈴。絵本全体を限りなくロマネスクな淡い光が覆う。
ヴェネツィア
2025/01/01 10:09

それはまた新春に相応しい(?)ものを。

よう🐦2
2025/01/01 10:11

笑笑はい。

が「ナイス!」と言っています。

ユーザーデータ

読書データ

プロフィール

登録日
2011/11/30(5135日経過)
記録初日
2011/04/07(5372日経過)
読んだ本
8494冊(1日平均1.58冊)
読んだページ
1885304ページ(1日平均350ページ)
感想・レビュー
8404件(投稿率98.9%)
本棚
62棚
性別
職業
専門職
自己紹介

2011年4月からの参加で、15年目にはいりました。一番よく読んでいるのは日本文学、次いでは翻訳文学です。読むジャンルの幅は広い(半ばは意識的にそうしています)のですが、何でも手当たり次第に読むというわけではありません。特に誇れるものはありませんが、連続読書日数は初日から5263 日(2025年9月2日現在)、冊数は8098冊になりました。胃癌で入院中も、海外旅行中も毎日読んできました。さて、どこまで伸ばせることやら。

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